May 24, 2012

田原総一朗の仰天歴史塾 ~ニッポンリーダー列伝~ 第5話 「太平洋戦争への道~近衛文麿と東條英機~」

まずは番組の内容から!

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大東亜共栄圏とは、インドまで含む広い地域。
大東亜戦争とは、アジアの植民地を解放する「大東亜解放戦争」のことだった。
良い戦争のような響きだから、アメリカが「太平洋戦争」に名称を変えた。

戦争をしたくなかった近衛文麿。
したかった東条英機。

近衛文麿
明治24年生まれ
公家の家柄
藤原鎌足が先祖
細川護煕元内閣総理大臣が子孫
典型的なポピュリスト
インテリ、英語が上手い、腹が座っていない、度胸がない、性格としては宮沢喜一似で田中角栄と対照的

近衛が貴族院の副議長になった頃。

1931年9月 柳条湖事件 満州事変勃発 → 石原莞爾の画策

若槻内閣は不拡大方針を打ち出して、関東軍を抑えようとするが、石原は爆撃を敢行
関東軍は政府の意見も天皇も無視するも、後から両者は許してしまう
近衛文麿は満州事変を支持した
日本は国際連盟の常任理事国であり、幹部の英・仏は満州事変に理解を示していた

1932年 満洲国建設

石原莞爾
明治22年生まれ
満洲事変 →
『世界最終戦争論』 → 日本とアメリカの戦争は甲子園の試合、準決勝が日本対ロシア。ソ連に満州を取られると日本が危ないために満州が必要だった。

ヴェルサイユ条約
第一次世界大戦の講和条約 →侵略戦争の廃止、自主独立をすすめる。

5.15事件
2.26事件
若手将校達のテロで、政治家や財界人が恐怖
テロの脅威に政治が屈する時代
首相や閣僚が暗殺され、政党政治が機能不全

1937年 第一次近衛内閣発足

近衛には政治基盤がないが、知的な支えがあった
後藤隆之介 近衛の旧友、昭和研究会をひきいていた

1937年 溝橋事件

石原幹事は中国との戦争に反対したが、武藤章が満州事変を引き合いに出してけしかける
マスコミは戦争を盛り上げる
誰も止めない

近衛の戦争の理屈:
アメリカやイギリスにだまされている蒋介石を倒して、中国国民を救うという名目

1937年 8月 第二次上海事件 → 上海に集結した国民党政府対日本

石原莞爾は戦争の早期終結を目指し、近衛、蒋介石とのトップ会談を計画
失敗を怖れた近衛はトップ会談を頓挫

石原 「この期に及んで優柔不断では日本を滅ぼすのは近衛だ」

1937年 12月13日 南京陥落

南京に入城する日本軍 → 現在論争中

南京事件の問題点:

南京に行くと、本当の戦争になってしまうため、日本では論争になっていた。
石原は大反対。
しかし、上海で勝った軍隊が、勢いで南京へ行ってしまった。(ここに問題がある。)

日本が南京へ入ると、蒋介石は逃げた後だった。
階段やら道端に、軍服が脱ぎ捨てられていた。
司令官も逃げた。
皆、軍服を着ていると殺されると思い、便衣服(普段着)を着てた。
軍服を着た兵隊が誰もいないことに、日本軍は怖くなる。(どれが軍人でどれが民間人か区別がつかない)
兵站部(補給部隊)が遅れたことで、食料がない、医者団がいない、捕虜を捕まえた建築屋もいない。
そういった怖さから、周辺の人間を殺していた状況はあった。

中国側:
20~30万殺された

しかし当時の南京には、10万人以上いなかった。
軍隊が逃げたから、民間人も逃げていたため。
よって、その人数自体は違う。

トラウトマン工作

近衛は駐中国ドイツ大使による和平仲介工作を考えていた。
蒋介石と交渉。
交渉はいい線まで行ったが、日本が南京で勝ったことにより、中国は謝罪と賠償を要求するようになる。

第一次近衛声明:

「爾後国民政府ヲ相手トセス」

→ 蒋介石を相手とせずに、中国の国民を相手にすることになってしまう。蒋介石を倒して中国国民と仲良くするという、攻めてる途中の突然の終結宣言は、当初の屁理屈に矛盾が出てくる。

日本は広報も下手で、中国国民を味方につけることもしなかった。

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ヨーロッパの状況

ドイツ:

アドルフ・ヒトラーが独裁体制
米英と対立することに。

1939年 ポーランド進撃 → これに対し、英仏が宣戦布告 → 第二次世界大戦勃発

デンマーク、オランダ等を次々と落とすドイツ。

1940年 パリ陥落 → フランス降伏

唯一残ったイギリスは防戦一方。
ロンドン空襲。
ヨーロッパにドイツの敵はなかった。

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「バスに乗り遅れるな」 = 日本の流行語、ドイツにならえ。

1940年 7月 第二次近衛内閣

「大政翼賛会」を作る。
党利党略を繰り返す政党政治を終わらせ、一国一党にした。
左翼も右翼も全て一つにした。

現在一国一党をやっている国は中国 = 中国共産党

これにすることで、物事は早く決まる。
だから現在の中国は、高度成長している。
しかし問題は?

学生: 偏った方向へ行くと誰も止めない。

ゴリ: 言論の自由もなくなる。多少物事が上手くいかなくても、日本の方が好き。

紀元2600年式典

「紀元二千六百年」

神武天皇が即位して、2600年だった。
万世一系の天皇制の日本が世界を支配するんだ、というもの。

「奉祝國民歌」 (当時の日本の幼稚園の歌)
「金鵄輝く日本の 栄えある光 身にうけて いまこそ祝へこの朝(あした) 紀元は二千六百年」

松岡洋右
近衛内閣外相(悪化する日米関係の切り札として近衛が任命)
政府の米英派の反対を押し切り、ドイツ・イタリアの枢軸国側に外交の舵を切る。
1940年9月 日独伊三国同盟を成立させる → 英(チャーチル)米(ルーズベルト)から敵とみなされることになる。
(近衛は本音では三国同盟に反対。
しかし軍が三国同盟を推進していることもあり、積極的に食い止めようとはしなかった。)
スターリンと会い、1941年 日ソ不可侵中立条約を成立させる。

松岡は、日独伊ソの四カ国同盟を作ろうとする。
直後の6月、独ソ戦始まり、目論見は破綻。

近衛はここで、戦争回避のために米(ルーズベルト)と会談を計画。
ルーズベルトは、わりと乗り気。会談場所をアラスカに考えたりなどしている。
しかし米国務長官のコーデル・ハルが断固反対。

イギリスはドイツに散々やられている。
英(チャーチル)は、米に援軍要請をしたが、米はヨーロッパと戦争をする理由がない。
そこで戦争をする相手を日本にした。→ 第二次世界大戦に参戦する名目。

蒋介石の妻・宋美齢は英語堪能なため、米に、日本は悪い国である、侵略していると大宣伝。
→ アメリカの対日戦争気分が高まる
→ 米は国民に戦争を賛成させるため、ハルは日本から戦争させることに。
→ よって、近衛達が真剣にルーズベルトと話し合ったというのは事実ではない。

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ベトナムの状況

援蒋ルート: ベトナムなど4つのルート。アメリカが蒋介石を救うために、ベトナムを通して食料・武器を調達していた。

フランスはドイツに降伏しており、北ベトナムを日本は占領。
日本海軍は石油を仕入れたい。
石油を仕入れるためインドネシアを取るために、南ベトナムへ日本は行く。→ アメリカが怒り、日本人の資産凍結、石油禁輸

ABCD包囲網 (America, Britain, China, Dutch ):
日本を包囲

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1941年 9月 御前会議
重要な国策を決定する天皇臨席の会議

米と仲良くするか、戦争をするか、これまで散々閣議が行われていたが、これが最後の会議。
天皇は反対。
近衛も反対。
東条英機が戦争をやろうと主張した。

→ 昭和天皇はこれをよむ。
「四方の海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ 明治天皇和製」
訳: 世界中が仲良くしようとしている時に、なぜ日本は戦争しようと騒ぐのか
(明治天皇が日露戦争が始まるときに読んだ)

昭和天皇はイギリス留学で「君臨すれど統治せず」を学び、この姿勢を通すべきとし、これをよむことだけをした。

→ 反対すべき近衛が、何も言わなかった。

東条英機
江戸時代、能楽師として盛岡藩に仕えた家柄
明治17年生 陸軍を渡る
昭和10年 関東軍憲兵司令官に
学生A: 明治期は大久保利通にしろ、自分が殺されるのも厭わなかった。昭和期になるとこんなことになっている。

田原氏: 岡田啓介はたまたま殺されなかったが、犬養毅は殺されているよ。近衛はここがちょっと。

学生B: 自分だったら、殺されるからと躊躇うかもしれない。でも言わなきゃいけない。

ゴリ: なぜ長期戦になるのがわかってて、東条英機は賛成したのか。

田原氏: 『昭和16年夏の敗戦 』に、陸軍は総力戦研究所で若い学者らに対米戦争のシミュレーション研究を行わせた、とある。結局は石油調達難で敗戦になると結果が出る。それを東条英機の前で発表した。しかし戦争は運がつきものだ、運にかけると、東条は反論。

ハル四原則 = アメリカが日本につきつけていた4つの要求
1. 各国への領土保全 → 中国などからの日本の撤廃を意味
2. 他国への内政不干渉
3. 通商上の平等の法則
4. 太平洋の現状を変革しない

1941年 10月12日 荻外荘会談 → 近衛はこの会談に賭けていた

日米開戦回避のために、陸海空軍の大臣らを集める。
東條陸相は、あくまで1を拒否。
近衛は密かに及川海軍大臣と話し、海軍が開戦に消極的であることを知っていたため、開戦拒否を主張してほしいと根回ししておいた。

豊田外相
「日米交渉はまだ余地がある。何らかの交渉を…」

及川海相
「今や和戦を決すべき十代な岐路。総理に一任。」
(海軍は反対なのに、それを言わなかった。山本五十六は、一年半はやってみせるが、それ以上は持たないと言っていた。)

東條陸相
「納得出来る確信があるなら戦争準備はやめる」 (外交で、米と戦争せずに済ませられるなら、戦争準備はやめる)

豊田外相
「陸軍が駐兵を固守するならば交渉の余地ない」

東條陸相
「駐兵は陸軍の生命であって譲れない。御前会議の時はどう考えていたのか?」

近衛首相
「戦争に私は自信がない。自信のある人でおやりなさい」

東條陸相
「今になって不謹慎ではないか」

1941年 10月18日 東條内閣発足

近衛は内閣を放り出し、東條内閣へ。
軍人としての初めての首相。
これで戦争に突き進むのかと誰もが思ったが、そうではなかった。
木戸幸一内大臣(天皇の側近)が、あえてタカ派の東條を首相にした最後の工作だった。
東条は天皇の命令に忠実な官僚だったため。
毒を持って独を制す。
この危険な賭けに、近衛は反対を言えなかった。

保阪正康氏 「東條を使い、考え方を変えさせて、軍を抑えさせ、戦争を回避しようとした。東條は天皇に言われたら断れない。結果、東条は思惑通りに動き出す。しかし強行派はそのまま残っていて、東条を裏切り者扱いし、東条の会議での発言も変わった。」

東条は陸軍を全く変えなかった。
天皇の手前だから態度を変え、本当は戦争をしたかったのか?
それはまだ謎として残っている。
開戦まであと二ヶ月。

ゴリ: 本当に変える気があるのなら、御前会議で天皇が反対しているとわかっているのだから、そこで変えていたのでは。

田原氏: これはまだ謎のまま。自分は戦後に東条さんの家へ行った。姪がおり、大量のはがきや手紙を見せてくれた。それに全て「意気地なし」「早く戦争しろ」「度胸がないのか」という罵倒ばかりだった。マスコミも世論も開戦を望んでいた。ここで反対したら、陸軍でさえ殺される可能性があった。

学生: 国民も誰もが天皇を崇拝しているはずなのに、なぜ誰も天皇の言うことを聞こうとしなかったのか?

田原氏: 多くの文化人達が、戦争が始まって晴れ晴れしたと、当時書いている。国民にそういう空気が満ち溢れていたということ。

アナウンサー: 東条は矢面に立たされて、葛藤していたのかもしれない。

田原氏: これはこれからのみなさんの研究テーマ。

田原氏: 真珠湾攻撃の前の晩、東条は寝室で正座して一晩泣き明かしていた。家族はうるさくて寝られなかったほど。どう思うか?

ゴリ: 戦争をしたくなくて泣いたのか。

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日米軍事力比較

航空兵力
日 8900機
米 48000機

海軍力
日 21隻
米 112隻

陸軍力
日 560両
米 25000両

日本は数が増えず、アメリカはこの数が増える一方。
日本は石油輸入の80%をアメリカに依存

省あって国なし。

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ゴリ: これだけ不利なのに、なぜあの時、東条さんは「運だから」と言ったのか?

田原氏: そうとしか言えなかったのか。もしくは本当に運があると思ったのか。それをみなさんが研究してください。

1941年12月8日 太平洋戦争勃発

日本は連戦連勝。

しかしミッドウェー海戦で敗北、空母4隻を失い、つまづきの始まり。
米軍優勢、サイパン陥落、B29の本土空襲
日本国民全てを巻き込んだ総力戦へ

女性は軍事工場で働き、男子学生は学徒出陣
少年航空兵が沖縄戦へ
特攻作戦 (片道分の燃料を積み、爆弾を抱えて砲弾の雨の中を突っ込む。確実に生きて帰れない、しかも極めて成功率は低い)

広島長崎に原爆投下

ポツダム宣言受諾 無条件降伏

1945年8月15日 玉音放送


田原氏: 天皇から重大なお知らせがあるから聞けと国民は言われたが、ノイズが多くてよくわからない。「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び」 だけ、皆、よく聞こえた。陸軍は本土決戦と言っていたので、やめると言ってるのか、続けると言ってるのか、意見が割れた。
午後になったら市役所から戦争が終わりましたというお知らせ。
負けたと言わかってがっくり、前途真っ暗。
なぜならその当時の僕らの将来は、陸軍か海軍へ行く道しかなかったから。
自分は陸軍は長く歩かなきゃならないから、海軍は甲板の上だけでよいし、カッコ良かったから、海軍へ行きたかった。
それができなくなり、離れの二階で泣きまくって、小学5年生だったので寝てしまった。

ゴリ: 小学校五年生で海軍に入れないからと泣いたなんて、今では考えられない。

田原氏: 君等の寿命は20歳だと思え、天皇陛下のために死ねと、毎日教えられたのだから。戦争に負けて自殺をした人もいる。今なら女性でも軍隊に入れる。特攻隊も組める。あなたならどうするか。

学生(女性): 当時そういう教育を受けていたら、やはり同じように感じると思う。

ゴリ: 全員が泣いてたら泣く。北朝鮮じゃないけど、国民が一つだったので。

学生(男性): 生き方が見えなくなるだろう。自殺もわかる。

学生(女性): 真っ暗になると思う。

厚木に到着したマッカーサー

平和に対する罪
第二次世界大戦の戦争責任を裁くために作られた「事後法」

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極東軍事裁判

A級戦犯

絞首刑7名
東条英機 (陸軍大将・首相)
広田弘毅 (近衛内閣外相)
松井石根 (陸軍大将・日中戦争時中支方面軍事司令官)
土肥原賢二 (陸軍大将・満州事変時奉天持務期間長)
板垣征四郎 (陸軍大将・満州事変時関東軍高級参謀)
木村兵太郎 (近衛・東条両内閣陸軍次官)
武藤章 (陸軍中尉・日米開戦時陸軍省軍務局長)

終身禁固16名
木戸幸一 (内大臣・天皇側近)
平沼騏一郎 (首相・枢軸院議長)
嶋田繁太郎 (海軍大将・海相)
荒木貞夫 (陸軍大将・陸相)
小磯国昭 (陸軍大将・首相)
梅津美治郎 (参謀総長)
南次郎 (陸軍大将・陸相)
橋下欣五郎 (陸軍大佐・桜会の中心メンバー)

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田原氏: 法律ができる前の罪で罰せられるのはおかしいよね

学生: おかしい

田原氏: 広田弘毅は満州事変の前のこと。前の前まで罰している。ただ問題は、負けるに決まっている日本を戦争がしたということ。責任はある。だから本当は、日本が総括すべきであるのに、未だそれをやっていない。あの戦争とは何だったのか。なぜ日本人自身が裁判をやらなかったと思うか?

学生: 占領軍としては、日本人が総括すると甘くなるのを恐れてやらせなかったのかも

学生: しかしイギリスは満州事変で賛成だった。それを極東軍事裁判では知らん顔をしているのに?

ゴリ: 満州事変ですら罰せられている裁判。欧米諸国は、植民地にされていた国からの賠償正請求や、裁判は何もないのか?アメリカの原爆も?

田原氏: 全くない。今までの日本人は、怖くて総括できなかった。だから君等がやるべき。

学生: 同じ大統領でもドイツはある程度総括をやっている。どうして日本とドイツでも差ができたのか。

田原氏: 日本とドイツの差は、今の日本の憲法も教育基本法もアメリカが押し付けた点。憲法の原文は英語。それを未だに守っている。ドイツは独立した憲法を作っている。日本は独立してやればいいのに、アメリカが押し付けたものをまだそのまま続投している。

終戦後、近衛はマッカーサーと会い、新憲法作りの約束をする。
近衛は自分が日米開戦の回避を試みたと自負していたので、戦犯として裁かれるとは思っていなかった。
しかしマッカーサーは、近衛の憲法づくりを反故にし、近衛に逮捕状。
近衛は青酸カリを飲み自殺。

保坂氏: マッカーサーに裏切られた気持ち。自分を「悲劇の人」だと書いている。しかし自身に責任があるでしょうというのが問いかけしたいところ。

東条は陸軍大臣に呼ばれ、天皇の身代わりになれと言われる。

保坂氏: それはわかってる、と。しかし「自分のプライドが傷つくなら分からない」とも。公と私が競り合っていた。瞬間的に公を捨てた。

東条は自殺未遂。世間から批判を浴びる。

しかし自殺未遂後は使命を全うしようとした。
東京裁判では、一貫して天皇の戦争責任を回避するための発言。
自らの罪を認めて天皇を守った。

1948年12月23日 絞首刑
A級戦犯の処刑は、平成天皇の誕生日に合わせた。
この日が来るたびに日本人が忘れないように。
どの戦犯も、自分が天皇を守るために発言し、身代わりになった。

岸信介が跡をつぎ、吉田茂が「戦争に負けて外交で勝つ」ことを目指し、日本を作り直していこうとする。
吉田が目指した日本の復興とは?
この後は次回。
第6話「戦後復興と日米安保」 6月23日(土)

誰もが書かなかった日本の戦争
なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか
田原総一朗の遺言 ~タブーに挑んだ50年!未来への対話~ [DVD]
自滅するな日本 (田原総一朗責任編集)
昭和史 七つの謎 (講談社文庫)
昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

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内容ここまで。
以下、私の感想。

近衛文麿劇場。
9回をノーアウト満塁にして降板するリリーフ投手というのは、 今の政治家じゃ珍しくないですけども…
今、世界大戦中だったら、大炎上だろうなぁ。怖…。

自分が暗殺されたくない…って気持ちも、わからないではないです。
暗殺の世の中になってしまっていたのは、大問題。
日本は昔から暗殺の世の中だったじゃないかと言われればそうなんですが……いや、それでもトップが「自信のある人で戦争やれ」とか、やっぱりないなぁー
外国のやり方がいくら汚くて酷いとしても、失敗を外国のせいにする前に、力を尽していただきたい。。。

あまりに壮絶なので、まるで映画とか人ごとのように観てしまいましたが、日本のお話。
これを単純なドラマや歴史番組にしてしまうのはマズイですね。(この番組では一応ここまでやるけども。)
朝ドラのような戦争描写の単純化って、汚いものを隠して綺麗なものだけ見せて、視聴者から考える機会を奪うと思います。
ああ、こういうのをポピュリズムと言うのか。

田原さんは米英に厳しいのですが、もちろん太平洋戦争に関しましては、親米にいきようがないですし、ここでの良いところは皆無ですけども、だからと言ってこの感情を煽って、「反米+アジア礼賛(人ではなく、国ね。)」みたいな方向へ政治利用する人達も、他所にはたくさんいますので……そこは注意が必要だと思ってます。
大政翼賛会然り、中共にしても、私はその政治体制には賛成致しかねますので。
まあ番組ではそっち側も結構批判もしてますけども。

あと、今日気づいたのですが、ゴリさんのネームプレートって、肩書きに「日大芸術学部 中退」って書いてあるのね。
そこは「芸人」にしてあげたっていいじゃない^^;

青いblog 田原総一朗の仰天歴史塾 ~ニッポンリーダー列伝~ 第5話 「太平洋戦争への道~近衛文麿と東條英機~」
May 5, 2012

法治国家をあきらめる? ポスト3.11と中国に似てゆく日本

與那覇 潤

菅直人首相による浜岡原発の停止「要請」に対しては賛否両論がありますが、批判の有力な論拠のひとつが「法的根拠に基づかない首相のスタンドプレーであり、『法の支配』に反する」というもののようです。このことに関して寄稿依頼をいただきましたので、「そもそも日本は法治国家なのか」を歴史的に考えてみます。
まず確認しておくべきなのは、しごく大雑把に言って、「法の支配」はそもそも人類普遍の現象ではないという史実です。英国のマグナカルタ(1215年)に典型的なように、それは「封建貴族の既得権益」を君主に認めさせるところから始まった(その手段が身分制議会=立法府の設立)、特殊西欧的な政治体制であり、最初から東アジアには当てはまらないのだと思っておいた方がよいでしょう。

法治国家でない国としてとみに名前が挙がるのは中国ですが、これは当然のことで、中華帝国では皇帝の集権化が達成された宋朝(960-1279年)の時点で封建貴族は一掃され、「自由選挙」(ただし投票ではなく試験による)で選抜された官吏のみで行政府を構成する、科挙制度と郡県制(地方統治を、中央から短期で派遣された官吏が行う仕組み)の体制が成立しました。要するに、そもそもマグナカルタを突きつける前に貴族層が全滅したので、法の支配や議会政治といった形では、王権の恣意的権力行使を抑制できない。そのために生まれたのが、朱子学(朱熹は南宋時代の人)に代表される、「万能の君主に“有徳者であること”を義務づける」儒教思想の系譜であり、法治主義に対して「徳治主義」と呼ばれる仕組みです。

翻って日本はどうかというと、古代貴族(お公家さん)が荘園の実効支配権を失って早期に没落する一方、戦国時代の半ばから武士も城下町に集住させられて在地領主ではなくなったため、やはりマグナカルタの担い手たりうるような「封建貴族」は解体されていたといえます。つまり初期条件としては「法の支配」を欠く中国に近かったのですが、一方で江戸時代には「藩」単位で領地の世襲が認められたため、中国と異なり統治者も被治者も比較的狭い地域で、子孫代々同じ面子が顔をつきあわせて暮らす社会が生まれた(西欧のFeudalismとは異なる、「郡県制」の対義語としての封建制)。結果として、みんなが顔見知りだからなんとなく互いの行動が読めるので、逐一議会を通して普遍性のある法制定を行わなくても、そこそこに各自の取り分が守られる仕組みができました。法治・徳治に比すなら「村治主義」とでもいうべき無原則かつ無思想なシステムですが、近代化にあたってもこれが生き残り、地域ぐるみの集票を通じて戦前は政友会・戦後は自民党という巨大保守政党を支えてきました。

現在の日本で進行しているのは、この「法治主義」の不在を代行してきた「村治主義」の解体の最終局面にあたります。2009年に自民党は政権から追い出され、長期不況の下で属する村を持たない「無縁社会」の蔓延が進み、ついに3.11の地震・津波と原発事故で大量の国内難民を出してしまった。「とりあえず同じ地域に住み続ければ、明文化されたルール(法治)なんかなくてもなんとなく安全」という前提が崩壊してしまった以上、残る選択肢として中国と同様の「徳治主義」が浮上するのは自然なことでしょう。つまり、道徳的に「正しい」人物をリーダーに据えて、法律だ何だには一切こだわらずに「正しい」行動をガンガンとっていただき、ただし彼が不道徳な行いをした時だけはみんなで罵声を浴びせてご退場願おう、ということです。ここ数年来の、政策論議よりもスキャンダル暴露の方が政局を動かし、政治論争がしばしば人格攻撃になり、かつ地方首長のような「一人だけのトップ」の言動の方が国会議員のそれより注目を集める現状は、まさにその表れといえるのではないでしょうか。

かくして、菅直人首相の浜岡原発停止要請は、西洋型の「法治国家」の観点からは問題があるとしても、中国型の「徳治国家」のそれとしては、きわめて自然な行為ということになります(もちろん、伝統中国の儒学史が党争に彩られてきたように、原発がどの程度「道徳的」な施設かをめぐっては、存続容認派と反ないし脱原発派とのあいだで、果てしない論争が続くことになるでしょう)。もちろん、ここで「法の支配」のメリットを安易に譲るべきではないとは思いますが、しかし歴史的に見れば「もともと法治国家でなかった国が、その代行モードを村治から徳治に切り替えただけ」ともいえるので、ひょっとすると私たちは法治国家になる西洋化の夢をあきらめて、中国と同様の徳治社会に入ることを覚悟するべき時が来ているのかもしれません。

與那覇潤(愛知県立大学准教授/日本近現代史)

法治国家をあきらめる? ポスト3.11と中国に似てゆく日本 : アゴラ - ライブドアブログ
Apr 30, 2012

田原総一朗の仰天歴史塾 ~ニッポンリーダー列伝~ 第1話 「近代ニッポンを造った男たち」

解説

[新]田原総一朗の仰天歴史塾 第1話「近代ニッポンを造った男たち」
2/19 (日) 21:00 ~ 22:55 (115分)
BSジャパン(Ch.7)

番組概要
混沌とした時代の日本、失われた20年、震災・原発事故と国難と言われる危機に対し、その対策と術を求め、田原総一朗が独自目線で若者達と近現代史を改めて考える!

番組詳細
ニッポンリーダー列伝 #1【近代ニッポンを造った男たち】 明治維新に遡り、西郷隆盛と大久保利通の二人を取り上げる。西郷と大久保は幼馴染、二人を軸に薩長同盟から鳥羽伏見の戦い、官軍の勝因『錦の御旗』江戸城の無血開城と会津戦争、戊辰戦争で決定的になる関係、官僚機構の基礎等を考える。共に維新を生きた二人が、なぜ袂を分かったのか?考えの違いは何なのか?

西郷は理想主義で大久保は現実主義? 歴史にifはないが、仰天の歴史エピソードも必見。今、教科書に書かれている事実は本当なのか?そして、今の日本に必要なのは西郷隆盛大久保利通どちらの政治家!?

塾長:田原総一朗 塾頭:ゴリ(ガレッジセール) 塾長補:相内優香(テレビ東京アナウンサー)塾生:大学生 8名 VTR 出演 坂野潤治東京大学名誉教授

第2回(2月26日放送)『坂の上の雲』の時代を見に行く 素晴らしき外交官たち 陸奥宗光・小村寿太郎と伊藤博文
第3回(3月4日放送)『政党政治の興隆と終焉』 日本近代化を進めた政治家列伝 大隈重信 原敬など

So-netテレビ王国より

公式サイト
http://www.bs-j.co.jp/rekishijyuku/

バックナンバー
http://www.bs-j.co.jp/rekishijyuku/bn01.html

感想

久しぶりに骨のある番組に出会えました。
まず番組の内容から。

第一回は西郷さんと大久保さんを追っていくのですが、錦の御旗のあたりから見ました。
もし幕府が旗を作っていたら幕府が勝っただろうと。
つまり大久保さんには知恵があった。
その時にすでに14歳の明治天皇を手に入れていて、天皇の側近にこのやり方を悪く言うものもいなかった。
それはなぜか。
そんなふうに考える知恵のあるものが誰もいなかったから。
ここが大久保さんの凄さだってことを言ってました。
つまりこれが勝つための策略であると考える側近や、思いつくものすらいなかったってことですね。

勝さんと西郷さんは無血開城のために会見。
結局勝った側の西郷さんが負けた側の幕府の条件を大幅に飲むことになった。
総攻撃すれば全て取れるものをこのことで幕臣たちを逃がすことにより、武器を運ばれて会津に集結させてしまった。
戦術的に見ればアホである。
しかし坂野さんによるとそれは西郷さんの作戦だったのではないかと。
わざと逃がして会津に拠点を作らせてまとめて叩かないと中央政権ができないから。

そして明治に入るわけですが、19世紀がどのような世界情勢であったか。
今はあまりいい響きではないけれど、と前置きし、帝国主義の時代であったと。
外国を滅ぼし、自分の国を豊かにするための侵略戦争をする時代。

労働者が安く使われ金持ちはどんどん豊かになる。
そのうち労働者が我慢できなくなり革命が起きる。
しかしマルクスは「先進国では革命は起きなかった」と言う。
起きたのはソ連のような農業国。
なぜ先進国では起きなかったのかと言えば、その理由が侵略戦争。
自分のところの労働者には多く給料を与え、植民地の人間をタダ同然で使う。
自国の製品を植民地に売りつける。
植民地にある石油や鉄などの資源を奪う。
だから良いと言ってるわけじゃない、そういう時代だった、と。

アジアで植民地にならなかったのは日本とタイだけだった。
植民地にされるか、植民地を作るか、そんな時代に日本は開国して放り出された。

そしてこの中で新政府は国を作っていくわけですが、岩倉使節団が早々に日本を1年間も留守にする。
ここでは元幕臣達が英語できたので通訳として活躍。
彼らが帰ってくると征韓論が起きる。
教科書には征韓論の説明は「難航する朝鮮との国交樹立交渉を武力を用いて打開しようとする意見」となっている。
しかしこれは解釈が分かれている。
板野さんによれば西郷は軍艦で脅し砲撃はせず朝鮮に条約を結ばせようとしていたのだという。
自分が交渉に行って殺されたらその時は仕方ない、というものだったとのこと。
だから西郷さんは武力行使したい近衛師団を抑え自分が朝鮮へ行くことにした。

果たして交渉に行くだけで殺されると思うものか?
しかしこの時代はたかが交渉で殺される時代。
ペリーもそうだったが、古くは蒙古が日本へ使節を送った際に日本人は使者を全員斬り殺しているので。
そういう前提が当時の日本人にはある。
また、征韓論は働き口のない武士に希望を持たせるためでもあった。

明治六年の政変により、各地で士族が反乱を起こす。
佐賀の乱、萩の乱。
明治政府はこれを次々に鎮圧し処刑していく。
大久保は反乱士族が結束する前にひとつひとつ潰していく。
大久保は挑発をしたが、西郷はその挑発に乗らなかった。
国益第一で、大久保を倒してまで国を取ろうという考えはなかった。
しかしその挑発に乗った部下たちを見て西郷もやむなく戦いを決意。
そして西南戦争へ。

西郷は破れ、一時期大久保の天下となる。
内務省を作り、内務卿を名乗った。
これが日本政府で最も力があった役所だった。
(そのため昭和の戦後、GHQは内務省を潰した。)

しかし大久保さんには暗殺が待っているのでした。
暗殺された遺体のポケットには西郷さんからの手紙が入っていた。
国を共に作ったのは西郷だけだったという意識があったからだろう。

以上、内容でした。

他所の国は軍隊を持っているが、日本はその役目をお金を払って(税金)自衛隊に押し付けている。それについてどう思うか、とか
日本に必要なのは西郷か大久保か、といった問を学生やゴリさんに投げかけて自分の頭で考えさせようとする田原さんが面白かったです。

さて、なぜ私がこの番組に骨があると感じるのか。

NHKの歴史番組だと、まず近代史を解説するのに当時の世界情勢、当時の世界の常識、当時の日本の状況と常識を先に教えないこと。
外国に気を使いすぎて伏せる情報と流す情報の選択が意図的であること。
また、例えば帝国主義の時代であった、という説明を一つするのにもいちいち「感想」を混ぜながら否定から入る姿勢。

例えば西郷さんと大久保さんを”偉人”として取り上げるとしたら、NHKならば悪人に見せないようにする配慮として「中央政権を作るために幕臣をわざと逃がして会津に拠点を作らせるしたたかさ」とは言わない。
軍師や武将を取り上げるにしても、奥さんに頭が上がらなかったとか、小動物に優しかったとか、豆腐好きだったとか、戦後的平和主義者であったという補正をする。
なぜ戦国武将を戦争してない国(現代日本)の「良い人」「悪い人」といった価値観で解説しなきゃならんのですか…

歴史を勉強してる身としては事実を教えてほしいのです。
誰であってもどんな事実も「下からの目線」「平和主義者」に落としこみ、パターン化された感動物語のフォーマットへ持っていく番組構成は「逸話」であっても「歴史」ではないと思います。

この番組は西郷&大久保を取り上げるにあたり、「NHK的にはネガティブな情報」をオープンにし、それを否定するのではなくて「だから凄くもある」と言っているところ。
世界情勢と当時の常識、思想も解説している。
大久保さんなんてゴリさんが「切ったら緑の血が出そう」と言うほどおっかない人物であることが説明されてました。
しかし田原総一朗さんは、今の日本に必要なのは大久保のような人間であると自分の意見として言ってます。
そういう人物であるのに
「暗殺された時にポケットに西郷の手紙が入ってた。」
これだけで十分泣けるわけで。
泣かせるためにあちこち演出したり補正したり創作しなくても、事実を伝えさえすれば。

田原さんがまた政治家について思うことを述べたりして、いろんな意味でぶっちゃけていました。
思わぬ伏兵・テレビ東京は顕在です。

明治のことってまともにテレビで解説されないので、これは幕末維新ファンにはおすすめです。
佐幕派にはちょっと面白くないかなぁ?
いや、でも、これも一説として、聞いておいて損はない話だと思いますよ~

青いblog 田原総一朗の仰天歴史塾 ~ニッポンリーダー列伝~ 第1話 「近代ニッポンを造った男たち」
Apr 30, 2012

田原総一朗の仰天歴史塾 ~ニッポンリーダー列伝~ 第2話 日本を世界に認めさせた外交「坂の上の雲の時代」

解説

田原総一朗の仰天歴史塾 第2話 日本を世界に認めさせた外交「坂の上の雲の時代」
(日) 21:00 ~ 22:55 (115分)
BSジャパン(Ch.7)

番組概要
混沌とした時代の日本、失われた20年、震災・原発事故と国難と言われる危機に対し、その対策と術を求め、田原総一朗が独自目線で若者達と近現代史を改めて考える!

ニッポンリーダー列伝#2【日本を世界に認めさせた外交】
明治の時代、日本は日清戦争と日露戦争の二つの大きな戦争に勝利した。亡国の危機に対した日本の国の将来をかけた戦争だった。清、ロシアとの戦争を勝利に導き、さらに戦後の干渉をはねのけた二人の外交官、陸奥宗光と小村寿太郎。彼らのリーダーとしての資質、豪放な胆力巧みな知略とは一体どのようなものだったのか?
番組内容2 1904年の日露戦争、国力では到底敵わない大国ロシアにいかにして日本は勝つことが出来たのか?
さらに、不平等条約の撤廃は戦争で勝ったからではなかった!?
外交評論家・岡崎久彦氏の話も興味深い。
出演者 塾長:田原総一朗

塾頭:ゴリ(ガレッジセール)
塾長補:相内優香(テレビ東京アナウンサー)塾生:大学生 8名

VTR出演 外交評論家 岡崎久彦氏

公式サイト
http://www.bs-j.co.jp/rekishijyuku/

バックナンバー
http://www.bs-j.co.jp/rekishijyuku/bn02.html

感想

この番組オモシロイ!!

明治時代の歴史自体を教えてくれる番組がないのでこれはありがたい!
もちろん独自の解釈も入っているし、書籍などで自分なりに補足する必要はありますが、ゆっくりと進めるので理解しやすいです。
まずは今回の内容から。

——————————-

取り上げたのは陸奥宗光・小村寿太郎と伊藤博文 。

陸奥宗光、暗殺未遂をした過去。
明治政府は投獄されていた陸奥を出して外務大臣にした。
「刀無しでこれから生きていけるのは俺と陸奥だ」
坂本龍馬がこう言ったように、それだけ優秀だったから。
ジェレミー・ベンサムを勉強した勉強家。

1880年以降、朝鮮の国民は苦しい生活を送っていた。
閔妃を中心とする朝鮮王室は自らの手で改革をできずにいた。
朝鮮全土の内乱→東学党の乱
朝鮮政府は中国に助けを求める。

天津条約(1885)→日清両国が朝鮮に出兵するときはお互いに通知しあう条約。
これに従い日本も派兵。
しかし清と日本の軍隊が行くと東学党の乱は終わっていた。
日本は清と戦争をはじめるきっかけが欲しかった。(後に理由を説明)
そこで韓国から引き上げたくない。
日本は清へ一緒に韓国の改革をしようと持ちかける。
清は日本の撤兵がが先として拒否。

日本は大院君(韓国の皇帝のお父さん)に清国を打つようそそのかす。
伊藤博文明治天皇ともに日清戦争に反対。
明治天皇「朕の戦争にあらず」
しかし陸奥は伊藤首相に伝えた三倍の軍隊を出した。
日本は奇襲が得意だった。
軍艦建造の予算を隠居後にすむ家の庭園改築に使った西太后、清はそんな弱さもあった。

岡崎久彦氏
「日清戦争勝利は日本人の資質」
「個人がベストを尽くす」
「捕虜を返して武士の情け」
「日本軍は吶喊攻撃、散兵戦をするのが強み。
ヨーロッパや中国は傭兵 逃げないように目立つ服を着せてる。
中国の兵隊は整列して進まない限り兵が逃げてしまう。」

日清戦争勝利。
下関講和条約:清に対し、朝鮮独立承認賠償金二億両、台湾割譲
これに待ったをかけるロシア、フランス、ドイツ = 三国干渉

「蹇蹇録」
陸奥が執筆した外交記録。
機密文書を引用しているため非公開とされてきた。
陸奥は戦争開始時から三国干渉を予想していた。
陸奥も伊藤も干渉を知りあらゆる手を打って戦争をした。
ロシアは朝鮮を取ろうとしていた 海への出口がないから。

三国干渉でやられたことを、当時の日本人は大変屈辱に思った。
ここで日本に流行ったのが「臥薪嘗胆」
絶えがたきを耐え 忍びがたきを忍び それが臥薪嘗胆。
ここから産めよ増やせよが富国強兵の一貫となった。

陸奥はなぜ清と戦争をしたかったのか。
朝鮮の中立か支配下に置くことを望んでいたから。
日本は朝鮮を清やロシアの支配下に置かれては安全保障上問題があると考えた。

明治憲法は天皇が主権を持っている
「神聖にしておかすべからず」
その権限は国務大臣がやる。
大日本帝国憲法は手大臣に権限を預けてる。
だから陸奥が言うとそれは可能になった。
戦争反対の博文も陸奥を非常に買っていた。
旧世代(博文)戦争に慎重
新世代(陸奥・小村)戦争に積極的

陸奥が清に勝つ見込みはどうもったのか。
日本は清の内情を密かに掴んでいたため。
「撃ちてし止まむ」の精神。

不平等条約が撤廃されたが、
不平等条約は日本が戦争に勝ったからなくなったのか?

岡崎久彦氏
「日本が戦争に勝ったから撤廃できたのではない。
実は日清戦争が始まる数日前にすべて解決していた。
それは陸奥が交渉した。
条約発効は締結の五年後。
領事裁判権がなくなる。
12年後に関税自由化になる。
日清戦争前の条約に書いてある。
27年間かわるがわる交渉をつづけてきた。」

全ては陸奥の仕事。
やることをやり終え、日清戦争二年後、肺結核で死去。

田原総一朗氏
「陸奥宗光は攻めの外交だった。
大久保と似てる。
伊藤も陸奥の説得に負けた。
陸奥が首相になれなかったのは紀州藩出身だったから。」

その頃の世界はどうなっていたか。

イギリスは東に植民地を広げた。

ロシアは西に領土を広げた。
ロシアの目的は不凍港の確保。
そのため旅順がどうしても欲しくてシベリア鉄道をもっていきたかった。

小村寿太郎
第一期エリート官僚。
大学南校(東大)からハーバードへ。
外務省翻訳局。

伊藤博文
日露協調派

小村・桂首相
親英派

外務省翻訳局に勤務。
清国と国交断絶し公使館を閉鎖して帰国。
時局の的確な判断をみこまれ陸奥に重宝されるようになる。

義和団の乱。
北清事変で中国にいっぱい軍隊を送ったのがロシア。
満州朝鮮を狙うロシアとそれを警戒する日本がもっと多くの派兵を行った。

ロシアが中国に居続ける。
帰れ帰れと日本もイギリスも言ったがロシアは帰らない。
ロシア兵が帰るふりみせて帰らなかったり。

中国は満州をとりたい。
できれば韓国までいきたい。
満州を占領したロシアに日本は戦争の可能性を意識するようになる。
小村はロシアとの交渉が難航する中、日英同盟を締結する。

小村・桂
伊藤博文を枢密院議長に祭りあげ開戦慎重論を封じ込めた。

日露戦争に関して、イギリスは日本を助けてくれないのか?
この同盟というのは自分達がやって初めてイギリスに助けを求められるというもの。
基本は自分達でやらなければいけない。
それは尖閣と同じ。
もし自衛隊が出てきて中国と戦争することになったらアメリカが守るというのが現在のアメリカとの同盟。

日英同盟
日本がロシアと戦争して不利になったらイギリスが助ける。

なぜ小村はロシアよりもイギリスが日本の利益になると思ったか?
イギリスは世界中で戦争してる。
ロシアは周辺だけだから。

ボーア戦争
イギリスがオランダ系移民のボーア人と南アフリカの植民地を奪った戦争

ボーア戦争で疲弊したイギリスは孤立政策を捨てロシアに対抗するため日英同盟を結んだ。

日露戦争
明治天皇 伊藤博文反対
マスコミも反対
しかし日が近づきマスコミも日露戦争を煽った。
太平洋戦争についてもよく言われることだが「煽ったのは弾圧されるから」というのは嘘。
戦争反対だと新聞が売れなくなるから。
最後まで非戦論を訴えたのは萬朝報(ゴシップ報道の先駆)
幸徳秋水のような名物記者がやめなくてはいけなくなる。

明治天皇反戦の詩がある。
天皇の心を国民は知るよしもなかった。

岡崎久彦氏
「君主はどの国も戦争反対。
戦争したら王室がつぶれるかもしれないから。
不自由なく楽しくやっているのに負けたら先祖にわびようがない。
大変な責任を追わなければならないから。」

1902 
日英同盟
日露開戦。

岡崎久彦氏
「日本軍は武器の操作が早い」
「茶の湯の作法」
「日本の下士官は昔も今も世界一」
「将軍はアメリカ
将校はドイツ
下士官は日本
こんな軍なら世界最強」

「戦後の日本復興は下士官の能力。
ろくな政治家がいなかったのだから。
現場の力。
士官がいない。」

日本が弱くなっていることは軍事機密だった。
真実を知らないルーズベルトは誤解した。
アメリカは日本が優勢だと錯覚。

日露戦争勝利。
アメリカのポーツマスで講話協議。
しかしロシアは負けだと思っていないので日本の要求を飲めない。

国民の不満は爆発。
小村への不満。
日比谷の焼き討ち。

ポーツマス条約は失敗だったと今も言われている。
日英同盟は結んでいるがもちろんイギリスは出てこない。
しかし日露戦争で名をしらしめた日本は、アジアの独立運動の拠点となる。
孫文も日本にやってくる。
勝利によって良い面もあった。

小村は戦争をし日本の安全保障のために韓国を支配しなければならないと考えた。
伊藤博文は日韓併合にも反対した。
だからこそ併合に反対する自分は説得役に適任だと考えて向かった。
そして暗殺される。

日本政府は太平洋戦争を総括していない。
そのため韓国が批判している。
戦争の裁判はアメリカが処罰をやったもので、日中戦争以前のことまでさばいた。
日本人自身の総括が必要とされている。

——————————-

以上が内容でした。
以下は私の感想になります。

私は日本史において官僚よりも民間に共感しがちで、どうしても戦争には積極的な考えになれないため、歴史背景を踏まえても世界目線で戦争を理解するところに行きづらいのです。
だからこうして戦争に積極的だった人達が何を考えていたのか教えてくれるのはすごくありがたい。

まあそうですよね。
明日から外国の危険な町のどまん中に無理やり送還される日本人がいるとして。
その国の法律で許されてても、銃なんて野蛮なもの携帯しちゃだめだよ!
襲われても反撃しちゃだめだよ!
人を傷つけるなんて悪いことなんだから!
襲われる前に準備なんかしちゃいけないよ!
……なんて、
自分は安全地帯で漫画読んでお菓子食いながら綺麗事言うのは、やっぱりいい気なもんだよな~(^_^;)
でも近代史批判ってそういうことだよね。
だからこそ自分で何が事実なのかを検証していくことが大事だと思いました。

数年前に田原さんが日本と韓国の学生を集めて意見を聞いた際、韓国の学生たちは伊藤博文を最も嫌いな人物としており、いっぽうで日本の学生は千円札の人ってことしか知らなかったと。
韓国ではマスコミも政府も韓国併合をした人物と煽ってそのように教育されているからだと田原さんは説明していましたが、どちらかというと伊藤博文を千円札の人ってことしか知らない日本の学生の方が重症なのでは?笑
そんな学生が官僚になったり政治家になったり企業の主力になるような日本が没落しないわけがないよね。

「新聞は国の弾圧を恐れ無理やり戦争を煽らされたというのは嘘。戦争反対だと新聞が売れなくなるから。」
という田原さんのコメント、よく言ったなぁと思いました。
TBSドラマ『運命の人』の何が嫌って、主人公が「マスコミは戦争中、ずっと国に騙されて嘘を書かされた。だから今マスコミの記者として真実を突き止めたい」と、自分の動機を語ったこと。
でも戦後だって新聞は自らの判断で嘘書いてるし、国民を煽ってるし、空気に流されてデマまで記事にして謝罪すらしない。
物語の軸になってるその言葉が嘘だからあのドラマには思い入れられません。

さて、小村寿太郎は不利な条件になるとわかって協議に入り、国民からの批判をだまって買ったといいます。
田原さんはこう言います。
「外交でうまくやったのは中曽根。
小泉もブッシュといい関係になった。
しかし今はどの国からも信用されてる政治家がいない。
沖縄は米軍から取り返すべきだが、
”日本はアメリカのために何ができるのか”
を自民も民主も政治家たちは誰も言えない。
怖いから。
今の官僚は天下国家を語らなくなった。
官僚たちは枠内で仕事していて国のことなんて考えないので。
国民に悪者だと思われてもしょうがないという覚悟を持っていない。」
今回来ていた東大の学生さんは、自分の知る学生が将来の官僚になるだろうけど、そんなことまで考えないだろうと不安を口にしてました。

うーん…戦後、国が国民に歴史を教えなかったのは日本が失敗した要因の一つだとは思う。
でも今思うと、うちの歴史の先生が近代史のあたりは詳しく説明せず、プリントだけ配っておざなりにすませてたのって、教科書に正しいことが書いてないせいなのかも。笑
深読みし過ぎかもしれないけど、自分で勉強して真実までたどり着きなさいってことだったのではあるまいか。
情熱がないようにも見えたけど、思想を押し付けないまともな先生だったのかもしれないなー。

青いblog 田原総一朗の仰天歴史塾 ~ニッポンリーダー列伝~ 第2話 日本を世界に認めさせた外交「坂の上の雲の時代」
Apr 30, 2012

田原総一朗の仰天歴史塾 ~ニッポンリーダー列伝~ 第3話「花ひらく政党政治」

今回は政党政治の歴史です。
以下、番組内容の説明からいきます。

————————————————————————————-

政党の誕生は西南戦争の終わり明治初期
この国を牛耳ってきたのは薩長中心の人々だった

1873年土佐出身の板垣退助が自由民権運動を展開
全国規模に拡大していった運動を抑えきれず明治政府は1881年明治14年国会開設を約束
板垣が自由党結成 その後次々と政党が生まれる

大久保利通暗殺後、佐賀出身で財務大臣だった大隈重信が政府を引っ張る

長州閥の伊藤博文 = 時間をかけて国会を開き専制君主国家を確立すると主張
大隈重信 = 国会開設を早め英国同様の立憲政治を導入すべきと主張

大隈、伊藤によって政府から追放される
明治14年国会開設の意見書を提出するが薩長閥と対立し、下野

1882年明治15年
東京専門学校(早稲田大学)設立
大隅、福沢の門下生の尾崎行雄、犬養毅とともに立憲改進党を結成

1885年明治18年(内閣制度が始まった年)
伊藤博文 初代総理大臣に就任
伊藤は元老山県有朋(政党を認めない主義)、自由党:板垣退助、立憲改進党:大隈重信と融和しながら国策をすすめる。
しかし政党の力が増していく。

明治22年大日本帝国憲法発布
1890明治23年第一回帝国議会、第一回衆議院議員 総選挙
立憲自由党、立憲改進党が多くの議席を得る

明治31年
第三次伊藤内閣
土地にかかる税金をめぐり内閣と政党が対立
自由党=板垣退助、進歩党=大隈重信が否決すると伊藤は議会を解散して応戦。
これに憤った両党は合同し一大勢力を築きあげる

第一次大隈内閣

伊藤内閣は日清戦争で金をたくさん使ってしまい地租を増税しようとし、評判が下がった
それでやめざるを得なくなった

1898年明治31年日本初の政党内閣誕生
憲政党結成
板垣退助 大隈重信
内閣総理大臣就任
第一次大隈内閣

——————————————

明治政府は日本人の民度を低く考え愚民政治になることを危惧した。
賢人政治を目論む大衆蔑視。(賢人=自分達=政府)
そのため選挙を嫌っていた。

大隈は福沢の話に乗った。
福澤の助言によりイギリスの政党政治と議院内閣制を導入しようとした。

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福沢諭吉

当時世界を一番よく知ってる日本人だった
江戸末期、25~26歳までの二年間幕府の使節団に同行しアメリカ、ヨーロッパを見聞し西洋の政治屋文化を目の当たりにしたため。
明治に入ると英国流の憲法論、地方分権論等の啓蒙思想を広める一方で国会開設の運動にも力をいれるようになる。

1868年慶応4年 幕臣として徳川慶喜に仕えながら慶應義塾を創設
1872年明治5年 『学問のすすめ』刊行
1875年明治8年 『文明論之概略』刊行
1877年明治10年 『分権論』刊行
1879年明治12年『民情一新』刊行

『民情一新』

「イギリスに政治の党派が2つある。ひとつは保守、ひとつは革新。常に対立してお互いを認めないように見えるが、そもそも人々の中には考えが違う者がいる。だから2つに分かれているに過ぎない。人々の中から人物を選挙で選び国事を語り合う。これを国会という。国会は両方の政党の議員たちが会う場所でひとつの案件ごとに議論があって、たいてい意見が違うから多数決で決める。」

交詢社
福澤の提唱で結成された「実業家の社交クラブ」
憲法制定前、独自の憲法私案を発表した

——————————————

田原総一朗氏

「アメリカは共和党と民主党、イギリスは保守党と労働党。
強い国にする経済を発展する、しかし高じると戦争に好戦的にもなる。=共和党、保守党
弱者の味方、格差をなくそうとする。=民主党、労働党
経済が発展すれば格差をなくそうとする動きが出る。逆もまた然り。
こういう政党政治がいいということを福沢は言った。」

「福沢は大隈にとっての先生。
大隈を福澤が自分の主張を実現するために利用した面もある。
福澤が政界に進出することは考えていなかった。
福澤の主義。
政界に進出するということは権力を取るということ。
福澤は権力者になることを嫌った。」

薩長藩閥と対立する大隈のもとには福沢の推挙する慶應義塾の門下生が大勢送り込まれ、大隈のブレーンとして活躍。

政府にとっての危機的状況に対処するために伊藤博文、自ら政党を結成。

坂野潤治氏

「伊藤は最初は温和政策だったが自由党の反対で前年度予算でしか計上できない不満。
議会で予算を拡大したい。
自由党の星亨は晩年野党から脱したい。
目論見が一致し、立憲政友会が結成された。」

1900年明治33年立憲政友会結成
初代総裁が伊藤博文。
山県有朋は藩閥政府の権力がそがれるとして政友会内閣には大反対だった。
伊藤が亡くなった後も政党は続く。

第一次大隈内閣がわずか4ヶ月で解散。

理由:
内閣の文部大臣だった尾崎行雄が拝金主義だと批判。
後任の犬養毅ももめる。
星亨が内ゲバだめだ、やめようと。
内紛によるもの。

その後、山県有朋、伊藤博文らが政治をやることに。

政界を引退して早稲田大学の総長となった大隈重信。
1910年 南極探検隊後援会長に就任 文化事業展開

政府の任命した海軍大将山本権兵衛がスキャンダルを起こす。
シーメンス事件
ドイツ・イギリスの軍需会社からの軍艦購入などをめぐる海軍の汚職事件。

事件が発覚すると薩長閥と海軍に非難が集中
政党政治に戻そうということに。

大隈、再び政界へ復帰。
16年のブランクは歴代最長記録。(76歳)
1914年大正3年 内閣総理大臣就任 第二次大隈内閣

当時一番強かったのは立憲政友会。
なぜ薩長閥ではない大隈が首相になれたか?
山県有朋が大隈でいこうかということになった。
元老である山県有朋は政党政治大嫌いだった。
しかし大隈なら自分がマネージメントできるだろうという自信。
大隈は棚ぼた、操り人形だと思いながらも受ける。
いざとなれば自分が舵を取る気持ちも。

田原

「大隈は今で言えば野田佳彦。
1914年当時も2010年度(鳩山政権)も歳入より歳出の方が多い。
大隈内閣の一番の課題は財政再建だった。
いかにケチるかがポイントで置かれた立場が一緒。
(ただしもちろん今の財政の方が深刻。)」

1914~18年 第一次世界大戦

イギリスからの要請(日英同盟)で日本はドイツに宣戦布告。
中国におけるドイツの拠点、山東省青島を占領。

大隈は戦争特需による景気回復を期待した。
第一次世界大戦を好機とみて中国における日本の権益拡大を図る。
イギリスの要請はすでに積極的ではなかったが、日本は翌年中国へ「対華二十一箇条」を要求。

対華二十一箇条要求主な内容
1 ドイツの権利を日本が引き継ぐ
2 日本が引き継いだ鉄道の99年間延長、日本人が自由に暮らせるようにする
3 中国最大の製鉄会社を日中合併にする
4 港湾・島を他国に譲らない、貸さない
5 中国政府に日本人の顧問を置き、地方警察を日中合同とする

田原

「世界の列強諸国が最後の侵略先として中国を狙っていた。
”対華二十一箇条”第5条が特に問題で、”対華二十一箇条”が中国に対する侵略の始まり、孤立したきっかけと言われている。
これにより日中戦争となり、太平洋戦争まで行ったと歴史教育では教えている。
つまり大隈こそ日本を悪くした張本人、というのが今の歴史。」

「しかしこれが戦後の歴史教育の大きな誤りだった。
”対華二十一箇条”要求については大隈は世界の国々に意見を聞いていた。
出して良いと言ったのが当時のリーダーであるイギリス。フランス。
ダメ出ししたのがアメリカ。」

アメリカは開戦以来、同盟国側・連合国側の双方に物資を提供して中立を保っていた
経済国となったアメリカは国際外交の主導権を握る

板野

「当時のイギリスとフランスを考えれば日本の対華二十一箇条要求は許されるものでロシアもこれに文句はなかった。
彼らの否定があれば当然大隅は取り下げていた。
許さなかったのはアメリカで、ウィルソン大統領の民族自決主義(政治体制や帰属を自らの意志で決定する権利を持ち他の民族や国家による干渉を認めない)によるもの。
日本は一次大戦後もイギリス中心で世界が動いていくと考えた
実際はアメリカが国際秩序の軸になっていた」

イギリス型 = 帝国主義外交 植民地は現状維持
アメリカ型 = 民族自決外交 植民地は開放し独立させる

アメリカが民族自決を唱えた理由
広大なアメリカ国内の開発が優先されたため
移民してきた清教徒たちがヨーロッパ諸国の侵略行動を嫌った
アメリカの民族自決は世界の中で孤立しない範囲で実行された

アメリカの強み
力の政治
軍事力
出遅れたアメリカは「民族自決」で主導権を握った
ヨーロッパ列強は植民地頼みになっていた

大隈たちはイギリスが主導権を握っていると思いこんでいた。
第五条は切って、第四条までを中国に出した。

これに大反対したのが原敬。

——————————————

原敬

1856年盛岡藩士の家に生まれる
20歳 士族席を離脱、平民に。
26歳 外務省入省
27歳 天津勤務
29歳 パリ勤務
35歳 陸奥宗光大臣の秘書官
39歳 外務次官
40歳 大隈嫌い外務省やめる
44歳 立憲政友会入党

——————————————

田原

「原敬は先見性があった。世界のリーダーはイギリスではなくアメリカになるといち早く見抜いた。」

1916年大正5年 第二次大隅内閣総辞職 78歳6ヶ月(歴代総理の中でも最高齢)

これは大隈が政治外交に八方塞がりで辞めたわけではなく、発端はスキャンダルだった。
大浦内大臣が大規模な選挙干渉を行い内外の批判を浴びたことがきっかけ。

その後、山県有朋が寺内正毅を首相にさせて寺内内閣
米騒動
資本主義の急速な発展により米価格が急騰
各地で暴動が発生して軍隊が出動した
寺内辞意

1918年大正7年
山県有朋はどうしても政友会だけには政権を取らせたくなかった
元老西園寺公望に頼むも体調の不調を理由に断られ
仕方なく原敬に委ねる
原内閣
元老達の影響をあまり受けない本格的な政党政治を行うようになる
原敬は爵位、勲章をもらわなかったため平民宰相と言われた

(大正時代になっても元老への批判は決して許されないことだった
言論の自由なんてなかった)
原敬の外交戦略
対米協調路線の平和主義
中国の内政に干渉しない
四大政網(教育・交通・産業・国防)
ただし田中角栄同様に拡大路線を取り、金権政治を行った
よって当時の評判はさほど良くなった

——————————————

1919年パリ講和会議
第一次世界大戦における同盟国の講和条件について日本を含む連合国が討議した

●民族自決
今までの植民地は維持
これからの植民地化は禁止

●ドイツ
連合国に賠償金1320億マルクを支払う
領土の一部を割譲
日本
山東半島の旧ドイツ権益を獲得

アメリカの日本ドイツつぶし→両国を脅威に感じたため
日本は「人種差別撤廃条項」を提案するが、否決される

——————————————

1921年 ワシントン会議
中国への領土拡大を許さないというもの
狙いは日本を封じ込めること
国際軍縮会議 アメリカは台頭する日本とイギリスを結ぶ日英同盟を破棄させた
☆極東国際軍事裁判ではこれを基準にして裁かれた

——————————————

原敬
対米協調路線に基づきパリ・ワシントン会議の議決を受け入れた
イギリスとの関係を重視し続けても良かった
結局はアメリカが反対する中国進出を認めた

1921年大正10年 原敬、東京駅にて暗殺される
犯人は国鉄の職員
暗殺された原因は政友会のスキャンダル(政治腐敗事件)だった
スキャンダルの内容
1920東京市疑獄事件
1921満鉄疑獄事件
1921アヘン密貿易事件

一方、世界と日本の状況はどうなっていたか。

1929年 アメリカ、株価大暴落 国家予算の10倍の金が消失
1927年 日本、戦争と地震による金融恐慌
首相 濱口雄幸 金融対策 金解禁 しかし経済不況に拍車
1930年昭和5年 ロンドン海軍 軍縮条約調印
列強海軍の補助艦保有量を制限するもの
日本の保有率は米英の7割に届かなかった
海軍大将 東郷平八郎元帥が大反対

——————————————

統帥権
天皇が持つ軍隊の最高指揮権
作戦・用兵などの権限は軍のトップに委託された

——————————————

統帥権がある一方で軍人に選挙権はなく政治に関われない仕組みになっていた
立憲政友会総裁に就任した犬養毅は統帥権干犯問題で浜口を攻撃

政党政治において国政より党利党略が優先されていった

濱口雄幸 東京駅にて銃撃される
政党政治の終焉
軍部が力を持つようになっていく

————————————————————————————-

以上、番組の内容でした。

東京駅で首相が襲撃されすぎ。
テロの時代だったとはいえ物騒な駅…( ̄ロ ̄;)
大隅さんの引退時の年齢話の時に、田原総一朗さんが77歳とおっしゃってて驚きました。
お元気で何より!
田原さん、早稲田出身なのに大隈さんに辛辣だなぁ 笑
その分、原敬さんへの評価が高いですね。
これは戦後の答えを知ってると原さんの平和主義路線の政治対策だとは正しかったと思えるけども、当時は難しかったんだろうな。

でもアメリカを過小評価するのは、日露戦争以前に亡くなった幕末維新の立役者達ならしなかったんじゃないかなぁ。
彼らはもっと注意深くて、冴えていたような…。
いやもちろん憶測だし見抜くほうが難しいし大変だとは言ってもですよ。
常識はイギリスにある、でもイギリスは弱ってもいる。
世界の当たり前に異を唱えるほどに元気なアメリカ。…というのはさ。

う~~~ん…

戦争や政治には報道陣がいつも絡んでおりますね。
前回書いたように彼らの煽り方には良い印象を持ってません。
しかしマスコミがなくなればそれで問題解決なのか。

マスコミが信じられないからネットやツイッターだけを信じる、って人もいます。
しかしそれだってデマが横行してる。
マスコミを疑ってた人がネットとツイッターのデマを信じる。
新聞もテレビもネットも見なければいいのか。
そんな人は人の噂話を鵜呑みにする。

問題の原因は、自分の頭で考えず、自分の意見を持たず、価値観の判断は他人任せ、嫌われないようなことだけ言って、人や空気に流され、検証能力もなく、自分で勉強しない、日本に大勢いる普通の人々なのでは。
それは時代関係なく日本人の気質。
失敗した結果はそこから生まれ、良い結果はそこから脱した人が生んだものではあるまいか。
福澤さんが言ってる独立自尊の精神はそういうことであって、物質的なことでも表面的なことでもないんだけどなぁ。

それにしてもあっという間に昭和に来ちゃいました。
田中角栄さんとかもうすでにたくさん出てきてるし。
来週はすでに昭和じゃないの。
明治時代の歴史解説番組かと思ってたんだけど違ったのね。
個人的に江戸と明治が好きなので、それ以降はあまり興味が……(´ヘ`;)
とは言え、その辺のことも毎度のごとく知らないので、この際だからざっくりこの番組で覚えておくかな。
この後も面白い視点で教えてくれるだろうから。
でも来週に第4話放送したら、第5話は5月って!
続くだけうれしいですけども。

青いblog 田原総一朗の仰天歴史塾 ~ニッポンリーダー列伝~ 第3話「花ひらく政党政治」
Apr 30, 2012

07/25 金爆ALL STAR祭@SHIBUYA-AX その2

7/28にこのブログを書きましたが、追記があるため現在時刻に設定します。詳細は1番下をご覧下さい

スペシャル対盤イベントレポの続きになります。

★ゴールデンボイス★

セトリ
01.ROCKET DIVE/hide with Spread Beaver
(Vo.喜 Gt.樽 Ba.歌 Dr.鬼)
02.ROSIER/LUNA SEA
(VO.歌 Gt.喜 Ba.樽 Dr.鬼)

鬼龍院さんのドラムがめちゃめちゃかっこいい!スティックとかくるくる回し始めて

鬼「どうだ!La’crymaのLEVINさんぽいだろ!」

あはは!ぽいぽい(^-^)!

マネブロによると、鬼龍院さんのドラミングは「力任せでなぜか半笑い」だったらしいけどねww

半笑いだったのは見えなかったわwww

ROCKET DIVEが終わったあと、なぜか歌広さんが

歌「なんだよその歌!自分の楽器はやく持って!」

とか言ってキャンさんをギターにさせて、自分が全然弾けないベースをけんじさんに持たせ始めた;;

ど…どうした!?;;

鬼龍院さんだけドラムなのは変わらず、ボーカルはなんと歌広さんヽ(´▽`)/

いや本当あれどうしたww何だったんだww

それにしても、けんじさんかっこいいな(笑)ギターもベースも弾けて、歌も歌えて…あいつ本当はイケメンなんじゃねーの?(能力的な意味で)

ってか楽器から生音が出るってこんなにも感動するものなんだね(笑)気付かせてくれてありがとう(笑)

そんなこんなで謎の高校生バンドは終了。

★転換MC Tマネ★

質問コーナーの続き!お客さんが女の子ばっかりだから、話しやすくてついつい本当のことをさらっと言いそうになってしまうんだとか。


【夜魔堕さんへ:逮捕歴はありますか?】

夜→キセルで捕まったことがあります。


【夜魔堕さんへ:必殺技を教えて下さい】

夜→ワンカップスプラッシュ


【ゆたこへ:鬼龍院Pとの新婚生活はいかがですか?】

ゆ→結婚したからといって、すべてが鬼龍院さんのものになるわけじゃないし、いつでも離婚できます


【ゆたこへ:好きな男性のタイプは?】

T「(可愛い感じで)『鬼龍院さんです』ってこれ言い方気を付けろって言われたんですよ」

ゆ→鬼龍院さんでも基本的にはちん○こが付いてれば誰でもOK。

…この対盤イベントでゆたこの悪女キャラが一気につきましたよねwwこえーよゆたこwwあとで話に出てくるけど、キャンさんとも一夜を共にしたらしいし(´Д`)


【淳子へ:ガゼットさんで1番好きな曲は?】

@→32口径の拳銃


【淳子へ:今狙ってる麺は?】

@→元ヴィドールのシュンさん


【ナルシスへ:今20歳ということですが、10年後どうなってると思いますか?】

ナ→CYBERワンマン

…反応しずれえww


【ナルシスへ:イケメンですが、父親と母親、どっち似ですか?】

ナ→父親似。だけど今お父さんは徳光和夫にそっくり


【鬼龍院さんへ:バッドペイのときはどう過ごしてるんですか?】

T「バッドペイって皆さんなんだかわかりますか?説明したほうがいいですかね」

客「説明しなくていいよー!」

T「はい。じゃあしません。」

鬼→ちん○こを眺めて過ごしてる


【鬼龍院さんへ:ひげの調子はどうですか?】

鬼→みるみる減ってます。皆もやりなよ!

ひげを剃ることでかかる年間の費用?に比べれば1回で済むこちらは経済的にもオススメなんだとか。


【鬼龍院さんへ:お風呂に1時間も入るとのことですが、何してるんですか?】

鬼→変なことはしてなくて、隅々まで洗ってると1時間かかる

T「本当に綺麗好き、潔癖症ですからね」


【喜矢武さんへ:昨日何食べましたか?】

喜→夜に焼きそば弁当と、食後にゆたこ

うわーwww


【喜矢武さんへ:ブラジャーとパンティーどっちが好きですか?】

喜→パンティーのがご飯になる


【喜矢武さんへ:待ち受けは何ですか?】

喜→けんじのケツ

T「これはどうかわからないですけど、大体メンバーのおもしろ画像ですよ」


【歌広さんへ:ヘドバンのコツを教えて下さい】

T「段々首太くなってきてますよね。あと最近皆太った」

歌→まずは準備運動から。メンバーさんが振ってるときはおさえて、煽り始めたら本気でやる。緩急つけて。


【歌広さんへ:何でマイク食べるんですか?】

歌→河村隆一さんの影響。「I for you」のPVを見て。


【けんじさんへ:ホクロ取ってどうなりましたか?】

樽→鏡を見るのが好きになった。ナルシストに磨きがかかった。

T「ナルシスへの質問じゃないけどいいのって聞いたら、いいって言ってました」


【けんじさんへ:地方妻にしてください】

樽→空きがないからキャンセル待ち


そんなこんなでOKサインも出たみたいなので、質問コーナーは終了。

最後にマネさんが歌広さんにTシャツをあげた件について話してました!

T「本当に脱ぐ瞬間にブチブチッ!って音がしたんで、くれてやりました」

wwwwww

★ゴールデンボンバー★

セトリ
01.僕クエスト
02.元カレ殺ス
MC
03.抱きしめてシュヴァルツ
04.毒グモ女
MC
05.今夜も眠れない(病的な意味で)
06.†ザ・V系っぽい曲†
~EN~
01.女々しくて
動画1 女々しくて K-POP ver. PV
動画2 眠たくて 本人出演ver. CM

V-Love☆Liveの時と同じ、TOKIOの曲をバックにローラースケートとヘルメットで登場ww皆大げさに転けすぎwwキリショーなんかごつん!てひじぶつけたみたいでしばらくさすってたし(-ω-)

~MC1~

鬼「いやー、やっと普通に歌える!(笑)

今日は特殊なイベントだけど、初めて見るって人、どれくらいいる?」

客「(ちらほら手を挙げる)」

鬼「いるね。じゃあまずは自己紹介から…。ね。ボーカルの鬼龍院翔です!せーのっ!!」

シーン

おおおおお!!やっぱりAXぐらいのキャパだとうまくいきますねヽ(´▽`)/

喜「岩手県名物のわんこそばってあるじゃないですか。僕あの、わんこプリンが大好きでね。本当に大好きなんですよ。」

お次は歌広さん。

歌「じゃあ久々にあれやっちゃおっかな♪右手を挙げてー、左右に振って(^O^)/」

歌「お前は歌うな?」

客「歌広場ー!!」

ノシノシ

樽「最近僕ですね、王子様って言われるんですよねー。テニスの王子様?いや…なんだったけなぁ。」

ちなみに未だに半二。

♪抱きしめてシュヴァルツ

ギターソロ、わんこプリン!!

最終的には…なんとジョッキでプリンを飲み物のように口に運ぶキャンさん!!

これは!!

…今までになく汚いww

ドラムソロ…はなんか赤いマントを付けたまま後ろを向いて、バドのラケットで素振りしてるかと思いきやこっちを向いて…

鬼「ペニ○スの王子様!!」

ひでえwww

いつぞやのゴクトさんみたいな黒くて大きなアレがけんじさんの元にww

下(しも)すぎるww

~MC2~

喜「いやー、馬糞が散らかってますね。

ゲロ?ゲロは汚い、せめて馬糞にしようよ」

鬼「どっちもきたねーよ(笑)」

鬼「こないだね、仙台貨物さんのライブに行って、語尾をのばすと拍手が起こるってことがわかったんだよね。」

歌「そうなの?鬼龍院さんはスキッパだと思いまーーーす☆」

客「(拍手)」

歌「本当だ!」

…いやいやいやww

鬼「それから、女々しくてに収録される曲目が変わりました!」

客「えええー!!(´Д`)」

K-POP ver.はPVで楽しんで、曲は韓国語ver.で楽しんでくださいとのことですヽ(´▽`)/

どっちも入れたいってなったけど、4曲以上入れちゃうとアルバム扱いになっちゃうらしく。

何でかわからないけど、自分のメモに「K-POP ぶちこんで」って書いてあるんだよねww何でだろうwwK-POP ver.をシングルにぶちこんだって話でもキリショーがしてたのかなww

あとは今夜も眠れない(病的な意味で)の振り講座。キャンさんの本当難しい(-ω-)

胸揉むやつは、巨乳の人は揉むんじゃなくて、下から持ち上げるんでもいいそうです(^-^)!

~EN~

鬼「アンコールありがとうございます。アンコールは…また改めて発売するものなんですが。」

♪女々しくて

最後にはレバセメンバーも出てきて皆で踊ってました!

~動画~

なんと!女々しくて K-POP ver. PVが先行お披露目!

げきかわですよ。
鬼龍院さんのアップ多すぎ(笑)髪型カエラの時みたい(笑)可愛い(*´∀`*)

楽しみ!

メガシャキCMもおもしろかったw

これまた楽しみ!

ではでは長くなりましたが、もしまた何か思い出したりしたらこっそり追加しておきます☆

参戦された皆様

スタッフさん

キリショー

キャンさん

うぱさん

けんじさん

本当にお疲れ様でしたヽ(´▽`)/

【7/31 追記】

わたしの足らない脳のおかげてMCが色々と抜けてるのですが…記憶力とMCの素晴らしいレポを書いている方がいらして、その方に許可をいただいたので、ブログをリンクさせていただきます。

わたしのブログと合わせてご覧いただけたら幸いです。

めぐみ様、ありがとうございますm(__)m

(^-^)つめぐみ様のブログ

翔べヽ(´▽`)/

07/25 金爆ALL STAR祭@SHIBUYA-AX その2|Lei dovrebbe Volare via…
Apr 30, 2012

07/25 金爆ALL STAR祭@SHIBUYA-AX

運よく当たって行って参りました\(^O^)/今回は周囲の方の協力もあり、なんと!メモりながら参戦したので、レポも6割は正確ですヽ(´▽`)/←
ですがやはりMCはフィクション入ってますヽ(´▽`)/←
自慢のレポ(嘘)読んで下され☆

※これ以前のライブレポは日付順になるようにちゃんと調整して書くので、お待ちください※

ゴールデンボンバー スペシャル対盤イベント
@SHIBUYA-AX

出順

01.転換MC ゆたこ
02.レバーセット
03.転換MC 樽美酒研二
04.夜魔堕さん
05.転換MC 淳子@れいたの嫁
06.ゆたこ with iPhoneバンド(ゴールデンボンバー)
07.転換MC 鬼龍院翔
08.淳子@れいたの嫁
09.転換MC Tマネ
10.ゴールデンボイス
11.転換MC Tマネ
12.ゴールデンボンバー

★転換MC ゆたこ★

ゆ「皆ー、おひさー(^O^)/」

客「おひさー(^O^)/」

麦わら帽子みたいなの被って、大きなシルバーのわっかのピアス付けて、ミニスカ姿のゆたこ(*´∀`*)くっそ可愛い(*´∀`*)

ゆ「東京ドーム5daysおえた後だし、こんな小さいライブハウスは初めて」

wwwww

ゆ「今日はキャンさんのツイッターでも言ってたけど、酒焼けしてます

天使の声が出ないので、脳内で美化して聞いてください」

客「かわいいー!!」

ゆ「(男らしく)うるさいっ!!」

(^o^;

★影アナ(けんじ)★

※エレベーターガールみたいなしゃべり方だったので、是非エレベーターガールになりきって読んで下さい※

「咲き乱れてください。咲き乱れないと…退場させます」

客「(笑)」

★レバーセット★

セトリ
01.BLACK IN BLACK
02.SPICY DOG
03.MUSICライダー

VersaillesみたいなオープニングSEで登場。「レバセ!レバセ!」って言ってるしね。

けんじさん…じゃなくて、ナルシス研二様、ちょーかっこいい(笑)歌うまい(笑)
出てきた瞬間レザージャケット脱いで、もう本当にかっこよかった(笑)

ただ動きがちょいちょい樽美酒さんでした(笑)

3曲目ではタオル回したりして楽しかったよ♪

ナ「俺ゲイじゃねーし(笑)」

いつものゲイ仕様のお立ち台に不満気味でした(笑)

★影アナ(けんじ)★

※エレベーターガールになりry※

「本日をもってレバーセットは…解散致します。目標を見失ったからだそうです。6回解散してますが、皆様からの需要があれば…いつでも復活します。

バイバイ」

客「(笑)」

★転換MC 樽美酒研二★

片目隠れた変なメガネ(サングラス?)に「れ」Tシャツにブリーフ姿で登場(笑)

樽「歓声もっと悲鳴みたいじゃないきゃいやだ!」

客「きゃあああああああああああ(悲鳴みたい)!!」

樽「あーいいねキスしたい。」

樽「この、物販に売ってる「れ」Tシャツ、原宿着ていってみろ?

デートに着ていってみろ。別れが訪れるから」

客「(笑)」

樽「俺のTシャツが欲しくてさ。鬼龍院さんはタミヤ、キャンさんはSEX POT…一緒に言ってみよ、SEX POT!せーのっ」

客「SEX POT!!」

樽「スケベが!」

樽「んで、淳君は…ねこたろうだっけ?ねこたろう、で俺は熊の首取れたやつとかだからさ(笑)」

樽「(ステージ脇見て)あっ、OKの合図来てた(笑)まだ喋ることいっぱいあったのに(笑)

次はあの、元ヴィジュアル系バンドマン。無職で今は…ホームレスなんだよね。」

夜に悪魔が堕ちてくる

★夜魔堕さん★

セトリ
01.予感/DIR EN GREY
02.嘘/シド

いつもの暑苦しい格好で、アコギ抱えて登場(´∀`)

夜「紅歌いたかったけどさ、声が出ない(笑)

じゃあ、おびゃ…オバンギャだけが喜ぶ曲を(笑)」

♪♪♪

…!?コードが繋がってないというハプニングww

夜「普段電気使わないからさ(笑)」

コードをアコギにさして再開。90’s好きなんだけど、DIRさん聞く気にならないんだよな…← でも聞きやすい曲だと思ったから聞いてみます(*´∀`*)←

夜「ひげが口に入ってる(笑)邪魔だな(笑)ちゃんとしたひげ買わなきゃだめだこれ。」

と言ってひげを口の下に下げるもんだから、もはやキリショーww

夜「今日僕、次でラストなんですよ(笑)」

客「えええぇぇええええ!?」

夜「続きは、水曜日の夜中にね(笑)」

1999年の曲をやったから、次は10年後の2009年の曲をやるという夜魔堕さん。

湧くシドギャ(笑)

夜魔堕さん素敵でした。

★転換MC 淳子@れいたの嫁★

@「心臓バクバクなんだよね本当に!!

レバーセットとか普通に格好よくて、普段白塗りしてる意味がわかんないよね!!狙いたくなっちゃった。」

客「キャー!(笑)」

@「次がさ、アイドルなんだけど、アイドルってうざいよねー!!なんかあるとバンドマンとくっつくし!!

ブログとかもすぐオフィシャルのアカウントとかもらっちゃってさ!!バンギャルのアカウントがあったっていいじゃんねえ!!」

@「なんか最近、歌広場さんがインストとかですぐ一発芸に逃げるらしいんだけど。

(銃口を頭に当てる感じをマネして)ばーん!死んだ!みたいな。」

ここらへんでどうやらOKサインが。なんと次のあのアイドルは後ろにゴールデンボンバーを引きつれて!?

★ゆたこ with iPhoneバンド(ゴールデンボンバー)★

セトリ
01.またあんたに番号を教えなかった
02.ラブホテル

きゃーゆたこ可愛い

そして淳子はゆたこに対して中指を立てながら登場ww

ってかバックはゴールデンボンバーなはずだから、淳子じゃなくて歌広場淳じゃないの?でもキャラが完全に淳子ww

淳「あたいのほうがかわいいし」

wwwww

そしてけんじさんは目から下だけ白塗りという、なんとも中途半端なメイクで登場ww

樽「メイクが間に合わなかった(笑)どーもー!樽美酒半二ですー!」

半二ー\(^O^)/咲

またあんたにryの歌詞がさらにおもしろくなっていた(笑)

『話すだけで潮吹いた』

は前回同様(笑)
そして今回…

『待ち受けは高山かな』

ちょwww

間奏中には、何かと攻撃してくる淳子に向かってゆたこが

ゆ「ぶす!!」

淳「(iPhoneベースに必死すぎて聞いてない)」

淳子無視www

振りに関しては

ゆ「振りは…そう!そうよ!いいわよ!うん!」

とか誤魔化してるしw

またあんたにryの魂の語りタイムでダウンのゆたこ。場を繋ぐMCに淳子がなり…

淳「ざまぁざまぁゆたこ!かわいそすー!」

やばい淳子www

そして新曲、ラブホテル(笑)ホテルラブの替え歌みたいな感じです。

入りがぐだって「ストーップ!!」って止まっちゃって、仕切りなおし(笑)くだった犯人は半二(笑)

新曲、これまた歌詞がやばいww

『2回戦』とか、次には『5回戦』とかwwゆたこどんだけヤるんすかww

★転換MC 鬼龍院翔★

鬼「レバーセットさんのSEが仰々しい(笑)なんか…Versaillesさんみたいだったね。

夜魔堕さんも…(笑)まさかコード繋いでないとは思わなかったな(苦笑)」

鬼「グッズなんですけども。この、福袋。だんだんジャニーズ化していってる(笑)」

もともとキャンさんが持っていた、ダサいところが良くて選んだ夜魔堕キャップを完全再現した帽子。「夜に悪魔が堕ちてくる」手ぬぐい。キリショーにもないサインを夜魔堕用に考えたのが書いてある偽造免許証。色々と物販紹介です。

鬼「次はね、あのー、@さん(笑)騒がないとくじけちゃうから(笑)ゆたこはゴールデンボンバーさんが後ろにいたけど…1人でやるらしいからね。」

客「えー!!」

鬼「俺も何やるか知らないんだけど、良かったら、咲いてあげてください(笑)バンギャがバンギャに咲くってなんかおもしろいけどな(笑)

じゃあ皆で…何て呼ぼっか?」

客「@さん!!」

鬼「@さん?@さん(笑)…じゃあ、淳子さーんにしよ。せーのっ」

客「淳子さーん!!」

★淳子@れいたの嫁★

セトリ
01.COCKROACH/the GazettE
02.Take-off/ViViD

客「(デスヴォ)淳子ー!!」

うちもバンギャル界の帝王、淳子さんに咲いたりデスヴォで叫んだりしましたよ\(^O^)/

バンギャのカラオケ部屋でしか歌われないという曲たちを♪ww

うちやっぱバンギャじゃないのかなー。どっちの曲も知らないww←

Take-offに至っては

@「皆知ってるよねー!?」

とか言って始まっちゃって、何これ!?状態(-ω-)淳子さんの振りを見て頑張って振りやりました(笑)

淳子さん普通にまぁまぁ歌うまいよね(笑)本当にカラオケ来てるみたい(笑)

@「カラオケ歌広場へようこそー!!」

★転換MC Tマネ★

目と口の部分だけ穴が開いた紙袋を被って登場w

T「どーもー。マネージャーのTです。所です。」

T様ー\(^O^)/咲

所様ー\(^O^)/咲

T「今日あのサイトで発表していた質問をね、紹介していきたいと思うんですが。600通もいただきまして、ありがとうございます。読めるだけ読んで行こうと思います。」


【T様へ:いくつですか?】

T「40歳ですー。」


【メンバーへ:女性の仕草でドキッとするものは?】

鬼→ニーハイを上に上げて直す
喜→ガチュピン姿でコマネチ
歌→「高山君、ZEXAL見てる?」と聞かれること
樽→脇に手をはさんでブリブリッとおなら


【メンバーへ:ストレス解消法は?】

鬼→お酒を飲む
喜→寝ている鬼龍院さんのスキッパにとうもろこしを差し込む
歌→泣く。布団に顔を埋めて大声で泣く。

客「かわいー!」
T「かわいい?かわいくないです。」

樽→キャバクラ通い


【メンバーへ:夏フェスを体験した皆さんですが、今後対盤してみたい人は?(V系以外で)】

T「こないだJ Soul Brothersさんをお見かけして、体がすごくて。さすがの研二も落胆してましたね。」

鬼→槇原敬之さん、平井堅さん、はるな愛さん
喜→B’zの松本さん
歌→ももいろクローバーZ、レディー・ガガ

T「絶対無理ですね。」

樽→B’zの松本さん

なぜかキャンさんとけんじさんの解答が一緒だったそうです。稲葉さんもいれてあげてよ(´`)←


【メンバーへ:パンツの色は?】

喜→ゆたこは赤のTバック。透け透け。
樽→ワインレッド
歌→ピンクの熊、キャンディー、ハートが書かれてるやつ

T「これわたし見ましたけど本当ですよ。」

…ガーリー過ぎるwwいやもはやガーリーの域を越えてないか(汗)

鬼→真っ白だけど血がついてる

なんか会場が微妙な雰囲気になったところで、次の質問へ(笑)


【メンバーへ:メンバーからTさんに感謝の言葉を】

鬼→「産んでくれてありがとう」

T「産んでねーし」

喜→「いつも苦労をかけすぎてお腹が出っ張って来てるので、お腹ひっこめられるように頑張ります」

T「お腹出てるのは本当です」

歌→「絶対に親孝行するからね。誕生日の移動日は一緒に過ごそうね」

T「絶対嫌です」

T様と歌広さんは誕生日が一緒なんですよね(*´∀`*)前から思ってたけど、これ偶然にしてはかなりすごくない?

樽→「また病んだとき相談相手になってください」

T「これ、リアルですね」


【T様へ:マネさんから見てメンバーが兄弟だとしたら、どういう順番ですか?】

T「これ年齢とか関係なく、けんじが長男ですね。」

客「あぁー。」

T「あぁーですか?穏やかですし。我慢もできますからね。

鬼龍院と喜矢武さんは、どっちがどっちっていうのはなく、次男三男ですね。

で、歌広さんは末っ子。いつも誰かに助けられてるんでね。」

鬼・喜→次男、三男
歌→末っ子
樽→長男

T「歌広さんは『じゅんじゅん人気ないのにさらになくなったらどうしよう』って心配してましたよ。

カメラ回ってなくてもじゅんじゅんて言いますからね。」

客「えー!」

…てな感じでその2へ続きます(^-^)

07/25 金爆ALL STAR祭@SHIBUYA-AX|Lei dovrebbe Volare via…
Apr 29, 2012

田原総一朗の仰天歴史塾 ~ニッポンリーダー列伝~ 第4話「テロの時代」5・15事件と2・26事件の真相とは?

内容の説明からいきますね。
量が多いのでメモ的な記述になります。
感想はその後に。

———

☆ 主な流れ

昭和初期、格差の時代。
金解禁と世界恐慌。
東北で身売り、貧困。
一方財閥はドルの売り買いで裕福に。
世間は資本主義への怒りを強める。

政界
三井財閥と手を組む政友会
三菱財閥と手を組む民政党
→互いの汚職を指摘しあう泥仕合

国家改造の機運が芽吹き始める

5・15事件と2・26事件

この時期を境に戦争へ

———

☆ 年表

1929年昭和4年 世界恐慌

1930年昭和5年 ロンドン軍縮会議調印 東北大飢饉 浜口首相が東京駅で銃撃される

1931年昭和6年 満州事変 3月事件 10月事件 若槻礼次郎(憲政会)首相

1932年昭和7年 犬養毅(政友会)首相

血盟団事件

「金解禁」井上準之助
金を通貨価値の基準とする金本位制に復帰すること
大不況で国民、怒り

「マルクス主義」=日本人に影響
資本を社会の共有財産にすることによって階級のない共同社会を目指す

資本主義がだめという考え

井上準之助(前蔵相)、團琢磨(三井財閥総帥)の暗殺

井上日召(僧侶)「一人一殺」

5.15事件
犬養毅(政友会)暗殺

昭和維新
藤井斉海軍少佐
三上卓中尉
古賀清志中尉「我々は建設の役をしようとは思わない。ただ破壊さえすれば誰かが建設の役をやってくれる。」 → 破壊のための破壊=田原氏「まるで全共闘」

5.15事件は大川周明が支えていた

1933年昭和8年 斉藤実(海軍)首相
日本、国際連盟を脱退

1934年昭和9年
帝人事件
士官学校事件

1935年昭和10年
美濃部達吉「天皇機関説」問題
真崎教育送還、赦免→ 相沢事件

1936年昭和11年 二・二六事件

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大川周明

「天皇を戴く国家主義者」
「万世一系の天皇」
「敵は資本主義者」

左翼社会主義(マルクスへ傾倒)から右翼社会主義へ(国家社会主義)へ

最初は格差社会を批判(左翼時代)
東大卒業後、天皇の論文を書くように頼まれ天皇を調べているうちに天皇に傾倒 → 天皇という王朝は永久に一つの系統として続くという考え
金銭と縁のない軍人が中心となって政治を行うべきと考えた(右翼へ)

戦後民間人唯一のA級戦犯として極東国際軍事裁判に出廷

【備考】
GHQは日本を穏便に占領する上で天皇の存在は不可欠と考えて天皇を裁かなかった。

———————————

犬養が殺された理由

統帥権干犯を訴え、満州事変では対中融和路線を推進したものの結果的に関東軍の拡大戦略を容認することになったのになぜ殺されたのか?

松本健一氏:

犬養は立憲議会、自由民権運動、政党政治などを経てきたが、党利党略(自分の党が勝つために使う)だった。
自分達の使えない統帥権を持ちだして民政党をやっつけるために使った。
軍人から見るとそれが気に入らない=政党の腐敗が殺害の理由

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5.15事件で最も重い罪が禁固15年
死刑が一人もいなかった
だから大川はもっとまともな連中とまたやろうと考えていた。

市民の政党への不満と犯人たちへの共感 → 減刑嘆願運動 → 将校たちへの処分は軽いものとなった → 政治家たちはテロへの恐怖から軍部を刺激しないようになる

革命は日本人にとって憧れだった。
中国でよく起きていたのは、歴代の王が前の王を殺していたため。
日本は天皇が続いていたので革命が起きなかった。
そういう意味での苛立ちがあった。
天皇を殺そうとは思わない。
青年将校たちにとっての最大の敵は資本主義だった。

日本では社会主義の人々がこのような革命をまた起こすか?→起きない
日本のサラリーマンの初任給と社長の給料の差は20~30倍
アメリカは格差が300~500倍
韓国は400倍
日本は生活保護をもらいやすい。外国はもらいにくい。

【備考】
全共闘をしている学生はぜいたくだという思いが警察にあった
全共闘はとにかくぶち壊せばよいと考えた。

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田原氏:
(学生に)君たちが不思議。
二十歳でマルクスに憧れない人間は馬鹿、50過ぎてマルクスに憧れる人間は馬鹿とかつて言われた。

学生:
国の借金を自分のこととして考えられない。
考えが結びつかない。
政治家になりたい人が周りにいるけど醒めて見ちゃう。
ゴリ:
なんとか生きていけてしまう。
どこに投票してもそんなに自分の生活変わらない。

田原氏:
これはまんまとアメリカにしてやられたのだろうか?
(アメリカはそういった考え方とは真逆。)
アメリカの大学の面接で最も問われるのは「どのような社会貢献をしてきたか。」

ゴリ:
日本だと愛国心を持つことが右寄りだとか言われる。

学生:
全共闘は学生のファッションだったのかもしれない?
昔はカッコイイと言われたが今はそれをカッコイイと言われないことが原因?

学生:
自分は経営者になりたい。

田原氏:
だったら「どうなってもいいや」じゃ経営者になれないよ。

———————————

昭和6年9月18日
南満州鉄道の線路が関東軍によって爆破された
関東軍高級参謀 板垣征四郎
関東軍作戦参謀 石原莞爾
による謀略だった
関東軍はこれを中国によるものだとし満州事変へ

首相 若槻礼次郎 不拡大方針
陸軍大臣 南次郎 局地解決

これらを無視して満州全土を制圧

昭和7年3月 満州国建国

抗日運動盛んになる。 蒋介石
欧米列強も日本を非難。

日本では戦争を支持する空気が作られ軍国主義が進展

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1934年昭和9年
首相 岡田啓介(海軍)
帝人事件
11月 士官学校事件

皇道派(陸軍) 過激的?
荒木貞夫大将
真崎甚三郎大将
1.陸軍の隊付き青年将校中心
2.直接行動による軍事政権をつくる
3.天皇親政の実現

統制派(陸軍) 常識的?
永田鉄山少将
東條英機少将
1.陸軍参謀本部の中堅官僚が中心
2.財政界と提携
3.軍部が国家権力を握り総力戦体制を作る

士官学校事件は皇道派と統制派の喧嘩で起きたと言われているが、実は陸軍大佐の辻正信が引っ掻き回した。

辻政信(統制派)
皇道派にダメージを与えるため青年将校たちをあおり事件を起こさせた。

煽られてやったのが
陸軍大尉 村中孝次
陸軍一等主計 磯部浅一

免官

歴史教育の中で陸軍士官学校事件は、皇道派が暴れて統制派をやっつけようとして、ばれて逮捕されたと言われるが、それは嘘で、辻政信が皇道派を潰すためにやった。
皇道派にはあまり戦略が無い。
統制派には戦略があった。

皇道派はいつか革命を起こし真崎を総理大臣にしようと思っていた。
しかし
昭和10年
統制派の策略により真崎甚三郎が教育送還を罷免される。
皇道派の相沢中佐が統制派の永田軍務局長を殺害。

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北一輝

思想家。
1883年明治16年 18歳 社会主義に傾倒 「人道の大義」を新聞に発表
1906年明治39年 23歳「国体論及び純正社会主義」刊行
1911年明治44年 28歳 辛亥革命 上海で革命運動に参加
1923年大正12年 40歳 「日本改造法案大綱」
1936年昭和11年 52歳 二・二六事件

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「日本改造法案大綱」は「国体論及び純正社会主義」をわかりやすくしたもの。
憲法を3年間停止 衆議院・貴族院の廃止 現役を離れた軍人たちが国家を運営する。
私有財産・天皇の財産を制限する。
企業を国営化する。

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多くの青年将校が北一輝に陶酔した。
大川周明は国家改造運動に参加してもらうため北一輝を上海まで迎えに行った。

1936年昭和11年 二・二六事件 大雪の日 東京に戒厳令

村中磯部の逮捕で不信感を抱えていた青年将校たちは、昭和10年の相沢事件で実力行使の決意を刺激された。
翌年春、自分達の所属される師団が満州へ派遣されると北一輝の時期尚早という言葉を無視し満州派遣前の決起を決断。
この日、連隊長のいない0~4時に麻布赤坂地区にある3つの連隊で兵士達に非常呼集がかけられた。

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決起部隊
歩兵第三連隊 937名
歩兵第一連隊 456名
近衛歩兵第三連隊 63名
他 102名
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→ 政府要人を暗殺、警視庁や陸軍省を占拠、軍部主導の理想国家を作る、「尊皇討奸」
→ 反政府クーデター
午前5時決行

首相官邸岡田首相と間違えて松尾伝蔵を殺害
斉藤内大臣殺害
高橋蔵相殺害
鈴木侍従長殺害未遂

鈴木夫人は昭和天皇の乳母であり鈴木侍従長は天皇にとって父親的存在だった。夫人は宮中に電話し昭和天皇が怒る→天皇の怒りを買って決起部隊は反乱部隊とされた。
青年将校達は、天皇は自分達の決起を全面的に認めて下さると考えていた。

「下士官兵に告グ」
親族を国賊

奉勅命令

2/29 決起隊敗北 下士官兵を返した後逮捕。
青年将校の二人が自決、北一輝ら民間人を含む19人が死刑で銃殺。

この事件で陸軍統制派が皇道派を一掃。
統制派は東條英機を中心として太平洋戦争へ。

—————————————

軍隊の考え
「天皇親政の国家にしなければ」という意志を軍隊が抱いた

大川と北の比較
大川周明 = 真面目、学者。北のことを倫理観にはつきあえない、ただ才能はあると評価。
北一輝 = 遙かに熱っぽい、真面目じゃない→三井財閥を脅し年間二万円(現在の1億円)を得ていた。

天皇の考え方の違い

大川周明 = 天皇が中心で一君万民の社会主義国家

北一輝 =
ダーウィンの進化論をいち早く認めた。
人間はどんどん進化している。
昔の天皇は発展しないところの王に過ぎない。
藤原道長、源頼朝、足利尊氏、足利義家、織田信長、皆天皇を馬鹿にしていて皆天皇を上手く使っていた。
西郷と大久保が明治維新で勝ったのは玉を手に入れたから。
北一輝は天皇を利用する社会主義国家を目指した。
美濃部達吉「天皇機関説」発言に似ている。

松本健一氏:

北一輝の政治思想=天皇を政治的中心とする近代的民主国家→これが明治以後、西郷や伊藤ら皆がやっていた思想、これが天皇絶対制になってしまっているのはおかしい
→国民革命を起こす、国民国家を作る、そのためには軍隊を作っても構わない
→天皇のためではなく国民を救うための軍隊でなければならない
青年将校たちに思想をうまく伝えられなかった。天皇は利用すればいいんだという考えを言えなかった。

青年将校の思想 = 天皇の周囲には「君側の奸」がいる。これを殺せばいい。
クーデター後の具体的な方策は全く無かった。
ただ破壊だけをした。自分たちが正しいことをやれば天皇は必ず応援してくれる (≠ 北一輝:天皇を手に入れないと意味がない)

田原氏:

北一輝の思惑通りにことが進んでいたら決起部隊は皇居に向かったはず。
北一輝はアメリカと戦争するのは反対だった。

—————————————

青年将校たちが慕ってきた皇道派の幹部は結局味方になってはくれなかった。
真崎甚三郎は天皇の怒りの様子を見てその後の行動の方針を変えた。
もし天皇が青年将校たちを応援したら真崎たちが新政権を作ったはず。

『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか』 より、その日の実況。
「とうとうやったか!」としたが、その後一変。
北一輝は青年将校たちを操ったという理由で死刑になった。

昭和天皇は19~20歳の皇太子時代 イギリスなどヨーロッパ5カ国を訪問した
クーデターやテロは嫌い、合理的。
だから太平洋戦争も反対した。


田原氏:
二・二六事件は海軍。
五・一五事件は陸軍のお返しか?という見方がひとつ。

田原氏:
当時の公民教育 = 天皇は絶対的な存在であり全ての内面的価値の源である。

学生:
なぜこのようなことを教科書で取り上げないか。

田原氏:
怖いから。

田原氏:
武士道とは経済を軽んじること。
だから士農工商。
軍人も経済を軽んじている。

学生:
どの主義が良いのか。

田原氏:
理想の主義というものはない。
だが社会主義に戻れば良いとは思わない。
中国は思想は共産主義だが経済は民主主義。
問題は自由主義経済の中で個人の欲望をどうするかが今後の課題。
リーマンブラザーズの失敗は私欲が大きすぎた。
もの作りは時間がかかるが、金融は短時間で稼ごうとする。

田原氏:
アラフォーは国に興味がない、発展する国に行って企業を起こせばいいと言う、どう思うか?

学生:
日本が直面している問題は後進国も抱え始めている問題。今どう解決していくかが大事。しかし政治家は票稼ぎばかり。

田原氏:
政治家は日本をどうするかなんて考えてない。お互いにやりあうだけ。
君達に真剣になって欲しいと思うのは、大人たちがどうしていいか分からないから。
だから若者たちが考えなければならない。
1980年は7.5人が年寄り一人を支えた。
2000年は4人で一人。
今は3人で一人。
あと10年経てば二人で一人。
するといつか年金は一人が一人を支えることに。
自分たちはその頃死んでいるが君等は大変。
それなのに今の政治家は一年先のことしか考えていない。
若者たちがこの国を捨てることが怖い。

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以上、番組内容でした。

この辺りの歴史に疎いのでとても勉強になりました(´▽`)
ニ・ニ六事件と五・一五事件、皇道派、統制派ってこういうものだったのか~
司馬遼太郎さんが昭和嫌いなのはこういうゴタゴタを見てきたことが根底にあるのね、なるほど。
軍部にとって都合悪くない犬養元総理をなぜ暗殺したのか、っていうことを説明したあたりがすごく大事な事を聞いた気がしました。
やっぱり歴史って単純なものじゃないんだなぁ。

ただ北一輝さんがリアリストであるといった説明については、天皇の見方についてはともかく、ちょっと腑に落ちないなぁ…。
わたしが社会主義というのが苦手なこともあるのかもしれませんが…。

だってですよ。
努力しない漫画家志望者がいるとする。
その人が『ワンピース』読んで、俺とこいつに格差があるのはおかしい!平等に俺のもジャンプに載せるべきだ!金銭面での格差もなくせ!
その主張が受け入れられてジャンプに大量の駄作が載って、誰が嬉しいか。
才能のある漫画家達はどのようにやる気を保つのか。

俺が作るゲームのほうが優れているんだ!
俺のゲームをソニーや任天堂から発売しろ!
そしてクソゲーだらけの世界に。

コミケでサークルによって売上に差があるのはおかしい!平等にせよ!

いやむしろマンガやゲームなんて競争を助長させるから廃止!
あっていいのは教科書だけ!

つまり格差をなくすということは、怠慢な者、図々しい人間の虚栄心を満たす言い訳となるだけだと思う、日本では。
それは本当に人民主義だろうか。
尾田栄一郎は人民ではないのか。
全ての人間が同じスタート地点に立つための差別の是正はあるべきだと思います。
でもそこからは政治が干渉すべきところではないと思うんだよなぁー。

ただでも田原さんの、理想の主義はない、ってのには同感。
世界も人間も野蛮なのだから、理想の主義、理想の国、理想の社会はこの世にないと思ってます。
どの選択肢にも光と影があるのだから絶対に正しい選択なんてものもない。
やらなくてはいけないのは緊急の選択を迫られている時、どちらが応急処置として害が少ないか。
何を選べば、選ばなければ、リスクを最小限に抑えられるか。
同時に長期的に育てていくことは何なのか。
何を持って選ぶべき基準とするのか。
それを見極めていくしかないと思うので。
そして選ぶべきはたいてい楽ではない方でありもする。

で、田原さんが学生達にがっかりしてるのが可笑しかった。
なんだかずっと前からがっかりしてる気がするので。
学生さんが、かつての学生運動は本当に壊そうとしてたんじゃなくてファッションだったのではと言ってたのに笑いました。
外国へ行ってもそこはすでに日本と同じ状況になりかけてるって意見も、30~40代の人間達の思考回路と比較すると若干頼もしい。
なんでもいいからぶっ壊せ!みたいな方向へ若者が向かわないのは良いことだと思うな~。
代案のない破壊行為なんてものは別の星でやっていただきたい。
私も理解できませんもん、お父さんとお母さんにお小遣いもらって学校行かせてもらいながら革命ごっこやる人の気持ちが。
高学歴という保険をゲットしときながら学歴差別をなくせ、格差社会をなくせとか言う人達も意味わかんない。
底辺なめんなと言いたい。

愛国心を持つとか持たないとか以前に、日本以外の国の人間は皆愛国心を持ってるという事実だけは自覚しとくのは大事だと思います、事実なので。
引きこもって一生働かずに過ごすのならそれでかまわないけど、一歩外に出れば外国も経済的にライバルとなるわけで、世界の人々はそういうモチベーションで仕事してるっていうことくらいはわかってないと対等につきあえません。
そういう自覚がないから日本企業が外国で人材雇用が上手くいかなかったり浮いたりするんだけども。

戦争は今も続いてるんだよね。
手段が経済になっただけで。
それで人が死なないかと言えばしっかり死ぬわけで、そこには植民地だってある。
外国人のナショナリズムに勝てる代わりのものが日本人にあるのかといえば、そんなものないから負けてるわけで。

日本人は勘違いするけど外国に逃げて暮らしても、その国の人達にとって日本人は絶対に仲間じゃないんだよね。
田原さんと同じ世代のアメリカ人に、アメリカの文化に入れ込むのなんてくだらない、日本の文化を愛するべきだと言われた私は今思えば本当に恥ずかしい。
そのアメリカ人は日本人と戦争した記憶が鮮明な世代なのであるからさ。

そんなかつての私のような無自覚な日本人が自覚するためにはどうしたらいいか。
それは「娯楽」が鍵になると思います。
歴史フィクションの功罪はよくわかってます。
でも日本史の中に好きな人物が出来れば意識が変わるよ。
日本を捨てようと思わなくなる。

だってさ、興味ない人の過去に興味がもてますか?
好きな人、もしくは嫌いな人の過去なら調べようと思うでしょ。
でも興味ない人の過去は知りたくもない、知ろうとも思わない。
日本史に興味持たない、日本に興味持てないのはそういうこと。
そんな人に好きな人物を与えるのが娯楽、歴史フィクション。
あくまで娯楽であることが大事で、啓蒙が前面に出てるようなのはウザがられるだけなので論外だけど。

これもまたマシな選択という応急処置でしかないのだけど、娯楽と同じ効果をもたらす手段が他に何があるかと言えば見当たらないんですよね。
社会も教育も政治も機能していないのだから。
唯一入り口になるものとして私が考える代案が、娯楽。
だから私は時代物フィクションに関心を持っていて、作る側には真剣に考えて欲しいとも思っているのです。


さて、次回は5月とな!遠いなー(・_・;)
そして月一放送に。
うん、まあこの番組撮るの大変そうだからそれも仕方ないけど、隔週にしてほしかったかも。
この番組は昭和がメインだけど、明治のこともう少し知りたかった。
田原さん、BSジャパンさん、またいずれ明治ものやっていただけませんか。
よろしくお願いします。
とりあえず次回を楽しみに待ちます♪

青いblog 田原総一朗の仰天歴史塾 ~ニッポンリーダー列伝~ 第4話「テロの時代」5・15事件と2・26事件の真相とは?
Apr 23, 2012

テレビに「公平」「中立」は無い! 当事者の真ん中に立たないと真実は見えないのだ

先日、秋葉原へ行った。
テレビ東京プロデューサーの五箇公貴さんが発掘してくれた、
僕のテレビ局時代のドキュメンタリーがDVDになって、
その発売記念のトークイベントがあったからだ。
トークゲストは水道橋博士さんだ。
そして、土屋敏男さんも来てくれた。
土屋さんは日本テレビのエグゼクティブディレクターである。
「進め!電波少年」などのヒット番組を手がけたのが土屋さんだ。

僕のドキュメンタリーがDVD化されたきっかけは、
テレビ東京の「やりすぎコージー」という番組である。
番組中で水道橋博士さんが僕のドキュメンタリーを紹介してくれた
ことだった。

40年前、僕はテレビ東京の社員だった。
当時は東京12チャンネルといった。
僕はディレクターとして、たくさんのドキュメンタリーを撮った。
その作品を、五箇さんはテレビ東京の倉庫から発掘してくれたのだ。
僕自身、この世にはもうないと思っていた作品もたくさんみつかった。
なかには、いまではとても撮影が許されないであろうという内容の
作品もあった。
たとえば、当時大人気のジャズピニスト山下洋輔さんが
「ピアノを弾きながら死ねればいい」と言った。
それを聞いた僕は、
「それならピアノを弾きながら死ねる状況を作ろうじゃないか」
と考えた。
当時は全共闘全盛の時代だった。
早稲田大学もやはり中核派や革マル派、民青などに占拠されていた。
そのなかに反戦連合という組織があった。
中核派から分裂した組織で、民青のいちばんの敵だった。
バリケード封鎖されていた大隈講堂から反戦連合のメンバーに
ピアノを盗み出させて、民青が占拠している地下ホールに運び込み、
山下さんに弾かせたのだ。それをすべて撮影した。
演奏中に中核派や民青が殴りこんでくる、そうすれば山下さんは
ピアノを弾きながら死ねると考えたのだ。

山下さんもすごいが、その話を実行して、撮った僕も頭がおかしい
としか言えない。
もし、山下さんがそこで死んだら僕も殺人の共犯で捕まっていただろう。

また、高橋英二さんという「七人の刑事」にも出演していた、
有名な若手俳優がいた。
ガンで余命半年と言われた高橋さんから、「俺の死ぬまでを撮ってくれないか」
と頼まれたのだ。
その作品のなかに、高橋さんが国会議事堂に向けて散弾銃を撃つという
シーンがある。高橋さんの望みをなんでも叶えてやるという話になったのだ。
これは完全に犯罪だ。

イベントで土屋さんも話していたとおり、面白いテレビ番組を作るには、
狂っていないとダメなのだろう。
そして、たしかに当時、僕は狂っていたと思うのだ。

ドキュメンタリーを撮ることは、基本的に危ないことである。
危険を覚悟しないといけない。僕はそう考えている。
たとえば、全共闘運動で学生と機動隊がぶつかるとき、
ほとんどのテレビ局は機動隊の後ろから撮影した。
そのほうが安全だからだ。
しかし、僕らは学生と機動隊の真ん中で撮った。
そうしないと両方のことが分からないと僕は思ったからだ。
だから、学生たちが投げ損なった火炎瓶が撮影中の僕らのところへ
飛んできたこともあった。
それを足で蹴飛ばしながらカメラマンは撮り続けたのだ。

三里塚闘争では、最初、農民のほうが強かったから、取材班は
農民の側から撮っていた。
農民の側から撮っていると、空港公団や警察が悪者に見える。
ところが、機動隊が本気になり催涙弾などを使うようになると、
みな一斉に機動隊側から撮り始めた。
自分たちの方に催涙弾が飛んできて危なくなってきたからだ。
すると、それを境に、世間の見方が180度変わった。
テレビに映るのは鋤や鍬といった武器を持った農民や彼らの横にいる
過激派になった。
そのため、今度は農民のほうが悪いという雰囲気になったのだ。

当初、成田空港の建設は無理だと言われていた。
ところが、テレビが機動隊の後ろから撮るようになったとたん、
やっぱり農民の反対は問題だと世論が変わったのだ。

テレビが怖いのは、どこから撮るかによってどうにでも見えてしまう
ことだ。ここが映像の非常に危ないところなのである。
だから僕は、テレビや新聞に客観性はないと思っている。
機動隊の後ろから撮るか、農民の後ろから撮るか、どちらか一方からしか
撮れないのだから、客観性や公平性が持てるわけがない。
それなのにテレビや新聞は「客観性を持て」とか「公平であれ」と言う。
そんなのはすべて嘘なのだ。

「朝まで生テレビ!」の視聴者に、司会者である僕が、
片方の意見に偏っているんじゃないかと言われることがある。
僕の姿勢はハッキリしている。
曖昧(あいまい)さをなくすことだ。
今年の正月の放送で福島原発の問題を取り上げた。
そこで僕が心がけたことは、推進派の嘘はどこにあるか、反対派が
感情的になっているところはどこかを追及することだった。
僕は両者の曖昧さをとことん明らかにしたかったのだ。

今月の「朝まで生テレビ!」では沖縄の米軍基地問題を取り上げる。
沖縄の人たちにたくさん来てもらって、本音を語ってもらう。
もちろん沖縄で討論する。東京で話をしても意味がない。
沖縄の地で徹底的に話し合うのだ。
そんなことができるのは残念ながら「朝まで生テレビ!」だけである。

狂っていると思われても、いつも問題の真ん中に立ち続けたい。
双方から物が飛んでくるところで、徹底的に話し合う、そういう姿勢を
続けていきたい、と僕は思うのだ。

テレビに「公平」「中立」は無い! 当事者の真ん中に立たないと真実は見えないのだ | 田原総一朗 公式ブログ
Apr 17, 2012

 
・「わたしって、バカだから」とか言ってる人が、
 ほんとうにバカなのかといえば、
 まったくその逆だったりすることが、よくあります。
 
 若い女性が出入りして繁盛しているような人気の店で、
 仕入れや企画や販売や、組織作りや、経理や‥‥
 とにかくいろんなことをやっていて、
 たくさんの顧客に支持されている責任者が、
 「学校の成績、すっごく悪かったんですよね」
 なんて言っていたとしても、なんの不思議もないです。
 きっと嘘を言ってるわけじゃないのでしょうが、
 実際に、すごいことができているのだから、
 バカであるわけはないんですよね。

 その逆に、他人のことを「バカだ」と見下していながら、
 ほんとはただの石ころみたいな人もいます。
 石ころなりに、謙虚に転がっていればいいんだけど、
 バカだから、ついついえらそうにするのが迷惑です。
 こういう人が、どこかの店をまかされたとしても、
 きっと、うまくいく可能性も低いでしょう。
 「本気を出せば簡単だけど」とか、
 言い訳するのかもしれませんが‥‥。
 
 人間のやっていることで、いちばん脳を使うのが
 「人間関係」のことだと、聞いたことがあります。
 これは、いくらルールを学んでも、
 なかなかうまくできるようにはなりません。
 でも、芸術的ともいえるような感じで、
 人間関係を結んだり強くしたり楽しくしたり、
 見事にやっていける人だっています。
 それはつまり、脳が見事に活躍しているということで、
 バカじゃないからできているわけですよね。

 えーと、どうしてこんなことを書きだしたのかというと、
 「世の中は、バカじゃない(すごい)人だらけ」だと、
 つくづく思うんだよなぁ、と言いたかったのです。
 むしろ、バカを探すほうがむつかしい、と。
 ほんとのバカは、「りこう」のなかにいるってことかも。
 これからの社会って、そのあたりのことが、
 みんなにバレちゃう時代になるんだと思っています。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次
Apr 6, 2012

「潰れる恐怖から店をオシャレにしました」 ザ・ダイソー矢野社長の“進化”

日経BPコンサルティングが主催するブランド・ジャパン2012。今年のランキングで、大きく順位を伸ばしたのが大創産業の展開する100円ショップ「ザ・ダイソー」だ。2011年の39位から9位に一気にジャンプアップした背景には、矢野博丈社長が感じた「危機感」がある。

―― ブランド・ジャパン2012で、ダイソーが初めて10傑入りしました。今回、9位です。

矢野:ブランドっちゅうとあれじゃろ、モカとか、キリマンジャロとか…

―― それはブレンド。とにかく、この順位急上昇は驚きです。確かに、ウェブサイトもすっきりと明るく刷新し、新しいお店はパステル調中心で、以前とはかなり変わりました。丸の内ブランドフォーラムの片平秀貴代表は、ウェブサイトを見て「社員に自由に仕事をさせている雰囲気が伝わってくる」とおっしゃっていました。

矢野:確かにそれはあるでしょうね。私自身は最近、本当に劣化が激しくて。取材でもあまり話さんようにしているんですよ。昔はそれなりの自信というか、強さがありましたが、最近はあまり自信がなくなった。


(写真:下川高広、以下同)
―― 日課にしていた朝の商品の搬出作業は、まだ続けていらっしゃるのでしょうか。

矢野:実はつい最近まで、人材派遣会社に外注していたのですが、3月からまた社員みんなでやることにしました。社員から「寂しい」「朝礼みたいで楽しみだったのに」「体調が狂う」などという、意外な声が上がりましてね。朝の搬出がないのが苦痛だ、とまで言うのです。

 社員にとっては朝のひととき、役職も年齢も関係なく荷物を降ろして体を動かし汗をかきながら、話が出来る数少ない機会でもあり、気持ちの良い日課だったのです。夏などは、荷物を降ろした後にシャワーを浴びるので、すっきりしゃきっとしますしね。

当たり前にしていた仕事も、外注した途端に「業」になる

 こうした日常当たり前としていた仕事も、外注した途端に「作業」になるのだと痛感しました。頼まれて作業する人にとっては、「苦痛で大変」なことですからね。自分が昔社長になったばかりのとき、店が汚かったので注意すると、当時の店員が「清掃担当者に言っておきます」と答えたものだから、「みんなでやれ。それが一番楽しいし、きれいになる」と言ったことがありました。作業だと思うと大変になってしまいます。でも、100円ショップは、汗をかかないとできない商売ですから。

―― 日経ビジネスでは、2009年10月19日号に特集記事「ダイソー流のデフレ退治」を掲載しました。矢野社長はその頃からPOS(販売時点情報管理)システムを直営店に導入し、販売データを見始めていました。成果は出ましたか。

矢野:パソコンはようできんけえ、分析はしないけれどもデータは見せてもらっています。私はインターネットも分からないし、時代遅れな人間ですから…。織田・徳川の鉄砲隊に武田勝頼が騎馬軍団で突っ込んで行ったのと同じようなもので、私の手には負えないところがありますね。

―― 以前から、「お客様はよう分からん」ということをよくおっしゃっています。

矢野:近年は、お客様は本当に変わられました。コンビニ現象とでも言うのですかね、今のお客様は、思ったものを思ったところでパッと買いたいのです。100円ショップは、アイテムをたくさん揃えて、宝探しのような楽しさを強調していましたが、今のお客様は、それが面倒臭いのです。選ぶ面倒臭さが、波のように押し寄せてきている。そこへの気づきが遅かった。

―― 同業2位のセリア(岐阜県大垣市)は極めて緻密な分析システムを使っています。セリアに「店でも商品でも負けた」とおっしゃる真意は。

矢野:お客様の変化について、セリアが緻密な分析でつかんどった分、うちが遅れをとったということです。しかも遅れがあまりに大きかった。これは大変だ、と思って必死に巻き返しを図ってきました。

 6年ぐらい前までは「ダイソーはつぶれる」という確信を持っていました。というのも、生まれてきたものは皆死ぬのが宿命だからです。そもそもダイソーなんて底の浅い商売ですから、やがてつぶれるに決まっている、と分かっていた。でもいつの間にか、「それでももういいかな、つぶれたら誰かが買ってくれるかな」と思うようになっていました。

年をとると、これまで以上に努力をしなければいけない

 それがだんだん、ウサギと亀ではないですが、安心につながってしまい、変化に気づくことの遅れにつながりました。好調な時の油断を戒めることわざはたくさんあるけれども、少しでも努力を怠ったり、基本的なことを忘れたりした瞬間、あっという間にこうなるのだと思いました。

 店はボロボロ、什器も古くなり、商品もボロボロ。これまでの人生でも相当努力してきたつもりだったけれど、年を取ると、それ以上の努力をせんといかんのだと分かりました。放っておいても売れる時代環境を味わったので、そのことが会社を蝕んだように思います。正直、勘違いしてしまった部分があった。

―― 新しいお店を見ましたが、パステルカラーで色とりどり。大きなアクリル板を惜しみなく内装に使っています。店内も、商品パッケージも、若い女性向けのバラエティショップのような印象になりました。


広いレジ。「DAISO JAPAN」が共通ロゴに
矢野:アクリル板を使うのは社員の発案でした。売上高は2011年3月期に対前年で減少しましたが、これまで使っていなかった内部留保がありましたので、店舗を作り変えるために使いました。当社は未上場ですからね。お金はこうした、困った時に使うものです。

 新しい店舗では、照明や、通路の広さ、さらにはディスプレーにもこだわりました。商品も、お客様にとって有利な色を揃えることに注力しました。社員たちが決めて作り上げました。私にはとても、こんな店作りはできません。昔なら、こうした提案があれば「これじゃ、アイテムをたくさん置けんじゃろう」と言って否定したかもしれません。

 でも、僕のやることは最近、ことごとく否定され始めていたんです。僕の考え方は、過去の積み重ねからきた理論なので、今の世の中では全く通用しない。本当に、難しい時代になりました。進化しないと世の中でうまくやっていけない、と曲がりなりにも知っていました。それこそ、誰もそのようなことを声高に言わなかったころから知っていました。

 でも、私の「進化」は「常識の範囲内の進化」に過ぎなかったんです。進化というのは、大きく自分を否定して、「このままじゃ生きられない」と心底感じて、完全に変わっていくことを指すんですね。

 キリンの首が進化の過程で長くなったのも、そうですよね。そうしなければ生き延びられなかったからでしょう?。大創産業の社員たちに、「このままではつぶれるかも分からん」という危機的な状態から自己否定、過去否定をしてもらい、変革を起こしてもらった。

 つまりは、急成長してきたセリアや、キャンドゥのおかげでまた「つぶれるかもしれない」と思えた。その危機感があったから持ち直すことが出来た。本当にありがたいことです。もうやめようかと思ったけれど、生きててよかった。大創産業という船が、ずるずると沈みかけたところでした。世の中の例でいくと、そのまま沈むのが常ですから。


東広島市の西条寺家店で。照明を使ったピンクのディスプレーも、これまでなかった
船が沈みかけていたのを、社員が持ち上げてくれた

 ダイソーの弱いところは、店長のやる気次第で変わるところでしょう。以前と同じことをしたがりますしね。若くて優秀な社員が、そこのところを頑張って、一気に変えてきてくれました。船が沈みかけていたのを、努力を重ねて社員が何とか持ち上げてくれた。売上高も、2012年3月期で3423億円と過去最高を見込んでいますし、純利益も12%増の見通しです。

―― そのように会社が変わりつつある様子を見て、楽しいですか?

矢野:生きるということは、基本的に楽しいことではありません。人には基本的人権がある、人間らしい人生を送る権利があると言うけれど、そんなことはないんですよ。努力して、いい商品を作った結果として楽しさを味わえていると思っています。楽しさと言うものは、常に努力した結果味わえるものです。

 最近、海外でも商品が良く売れるようになりました。米国もずっと赤字だったのですが、ようやく売れ始めました。シンガポールでもマレーシアでも、社員はとにかく恵まれない年月をたくさん経験してきましたからね。ようやく実りつつあるのかな、と思っています。

―― 海外展開を進めながら日本国内を見て、どう感じられますか。

矢野:日本は酷い国になったと思います。当社が年商30億円ぐらいのとき、ダイエーに場所を借りに行くときは身が引き締まったものでした。怒られるし、指導されるし、厳しく色々と教えていただいた。しかし、ダイエーの経営が2000年前後におかしくなる前後から、ダイエーの社員が「飲み食い中心」、つまりは接待中心の選択をし始めた。

 船が沈み始める頃から、自分だけは生き残りたい、いい思いを少しでも味わいたい、そんなことを思うようになる。人間の心理ですね。つぶれる会社というのはまず社員の心、ソフト面からおかしくなって、それが間もなく店や商品などハードに現れるんです。ひょっとしたら日本という国の状態も、今そうなのではないでしょうか。


改革を指揮した青野美恵子専務。色と商品の質感、コーディネートのしやすさに徹底的にこだわる
 人間は、幸い、恐れおののくことができる生き物です。ライオンは、今日お腹が空かないと、恐れおののかない。でも人間には、将来のことを恐れる能力が備わっている。しかし、最近の日本人にはそれがなくなりました。常にいいことが起こり続けるだろうという、思い込みがあります。

女性のチャレンジ精神と向上心は重要

 もしかしたら国に年金制度がつくられてから、そうなったのかもしれません。日本人は人間、健康で文化的な生活できる権利があると当たり前のように思っているけれど、それは思い込みで、頑張った者に与えられるご褒美に過ぎません。以前から良く言いますが、そうした思い込みにとらわれるのは、恵まれる不幸せとでも言うのでしょうか。私の場合は、若い頃に恵まれなかったからこそ、今日があるのだろうと思っています。

 今の日本で期待できるのは、女性の力でしょうね。今回の商品改革も、青野美恵子専務が中心になって取り組んできた。一つひとつの商品に対する思い入れがわしらとは全く違う。彼女が1つの商品の説明を始めると、もう止まらない。それにもっともっと良くしたい、理想通りの商品にしたい、という執念と私情がこもっている。一方で男は、ぼーっとしているし気が利かないし、「もっと良くしたい」という「もっと」がないですね。

 (戦争のない)平和な時代は、女性のチャレンジ精神と向上心が重要です。女性についていけるよう、男の方の軌道修正が大変ですよ。今は、女性の時代だとつくづく思います。

「潰れる恐怖から店をオシャレにしました」 ザ・ダイソー矢野社長の“進化”:日経ビジネスオンライン
Apr 2, 2012

「実はお金があったから、科学も哲学も文学も民主主義も生まれたのです」
岩井克人×池上彰対談(3)

池上:前回、米国の経済危機の原因の1つに、金融機関の経営者たちの暴走が上げられました。しかも彼らはサラリーマンにして巨額の収入を得ている。なぜ、創業者でもない彼らが、べらぼうな高給を取ることができるようになったのか? そして、なぜ暴走してしまったのか? ここで大きな疑問が浮かびます。米国は、株主による経営のチェック、いわゆるコーポレートガバナンス(企業統治)が厳しいはずです。

岩井:そういうことになっています。

会社と経営者の関係を人形浄瑠璃で例えると・・・

池上:オリンパスの経営陣による損失隠し事件でも、「日本のコーポレートガバナンスはなっていない。もっと米国型の株主主導のガバナンスが必要だ」との声がわき上がりました。ところがその米国で、なぜ金融機関のサラリーマン経営者に対して、株主による経営陣へのチェックが機能しなかったのでしょうか?

岩井:会社と経営者の関係を、人形浄瑠璃における人形と浄瑠璃使いの関係に例えると、問題の構造が見えてきます。

 人形浄瑠璃とは、ご存じのように、人形が人間のように、いや人間以上に人間的に演技することによって観客に感動を与えます。当然ですが、その舞台には人形を操る浄瑠璃使いが絶対に必要です。会社とは人形浄瑠璃の人形と同じです。なぜなら、単なる「法人」にすぎないからです。法律の上では人間ですが、実際は契約に署名する手も、従業員を管理する目も、裁判で訴える口もない。会社が経済という舞台でちゃんと演技するためには、それを人間のように動かす浄瑠璃使いが絶対に必要なのです。それが経営者なのです。

 では、人形=会社と、浄瑠璃使い=経営者とが、契約を結ぶとしたら、どうなるでしょうか。浄瑠璃使いが人形の手を取って契約書を書くことになりますね。なにせ、浄瑠璃使いがいなければ、人形=法人は動きませんから。すると、悪意のある経営者ならば、自分に有利な契約書を書くに決まっています。

池上:いくら株主によるコーポレートガバナンスが形式的に厳しくても、結局、会社という「人形」を操るのは「経営者」。その経営者の一存で決められることの方がとても大きい、というわけですか。

岩井:ええ。もちろん、この構造自体が悪い、というわけではありません。

 大半の経営者は、トップとしての良心にしたがって経営します。最初から悪いことをしようと思っている経営者は滅多にいません。そもそも、金融機関に限らず、会社はみんな社会的公器という側面を持っています。特に公開会社は、株式市場で多くの人からお金を集めており、より強い公共性を持っています。

池上:となると、公共性を持つ会社のトップとして、経営者も必然的に良心が求められるわけですね。でも、必ずしも経営者が常に良心に基づいて倫理的に行動するとは限りません。米国におけるエンロン事件、日本におけるオリンパス事件、いずれも経営者の背任行為が会社と市場に著しい損害を与えました。そんな「例外」的な事件も起き得るのではないですか?

岩井:はい。だからこそ、経営者の倫理的な行動は、なんと「忠実義務」として会社法で規定されています。経営者は、自分の利益は抑えて、会社の利益に忠実に経営するという義務を、法律で課せられているのです。ここが会社と法の関係の不思議な点です。法一般の論理で考えれば、倫理を法律として会社に課すのは実に奇妙な話ですから。そして、この忠実義務に違反すると「特別背任罪」として牢屋に入れられてしまいます。

池上:法律上でも、会社と経営者は「倫理的」であることを求められている――。つまり「倫理的」でなければ、罰せられることがあるわけですね。

なぜ、会社の倫理問題を法律で明記しなければならないのか

岩井:なぜ、会社の倫理問題を法律上で明記しなければいけないのか。これは前回詳しく説明した米国で商業銀行と投資銀行の兼業を禁じたグラス・スティーガル法が、なぜ必要だったのか、ということとも通底します。

池上:どういうことですか?

岩井:会社は人間ではありません。私たち自然人は、生まれながらにして人間として扱われる権利をもっていますが、会社の場合、法律で人間として扱うのは、社会に対して何らかの意味でプラスの貢献をすると期待されているからなのです。その意味で、先ほど述べたように、会社とは社会によって生かされている「公器」なのです。ですから、その経営を任されている経営者も、そもそも公共的な存在なのです。

 そして、このように社会に生かされている会社が、実際に社会に貢献するために、経営者が存在しているわけですが、その行動を全面的に自由放任にしてしまうと、池上さんが疑問を提示したように、経営者に自分で自分に関する契約を書く誘惑を与えてしまいます。つまり、アダム・スミスのいうところの「見えざる手」=市場原理にだけ任せておけば万事うまく行くわけではない。

池上:会社と経営者は良心を持つべきであり、倫理的であるべきだが、会社の倫理や良心は法律である程度規制しないと、実現しきれない部分がある、ということですね。

岩井:市場原理だけでは、公共的存在であるべき経営者の暴走や銀行の浮利追求を止めることはできません。だからこそ、会社法やグラス・スティーガル法が必要なんです。会社とは資本主義の中核的な存在ですが、その会社が資本主義の中で活躍するためには、その会社の浄瑠璃使いとしての経営者に倫理性が不可欠だという逆説があるのです。これは、私が心優しいから言うのではありません。純粋に理論からの結論なのです。

 ところが80年代以降、フリードマン流の市場万能主義がはびこると、経営者も銀行も自己の利益を徹底的に追求すればいい、見えざる手が最後はうまく調整してくれるから、という論調が支配的になってしまいました。だが、これは、間違えた理論にもとづいている。

池上:米国のサラリーマン経営者の給料高騰や、金融機関の暴走の裏には、極端な市場主義の横行があったわけですね。しかも、市場のメカニズムを利用した経営チェックシステムであるはずのコーポレートガバナンスが機能しなかったのは、なんとも皮肉です。

岩井:ストックオプション制度などの発達で、株主にチェックされるはずの経営者を始め幹部社員たちが、同時に株主にもなりました。株主となったサラリーマン経営者は、自己利益追求の一環として、株主の利益の最大化を目指す。チェックする人間とチェックされる人間が同一人物だったらどうなるか?

池上:たしかに、経営者であると同時に株主でもあるのでは、株主によるコーポレートガバナンスが絵に描いた餅になるのは自明の理ですね。

岩井:かくして自らも株主である経営者たちは、株主価値の最大化、と称しながら、自らの報酬をつり上げていきました。先ほどからお話ししているように、経営者たちの野放図な行動を後押しすることになった背景には、90年代から2000年代にかけて、市場万能論的経済学者が、次々とノーベル経済学賞を受賞したこともあります。理論は誤っているのに、です。

 その権威に裏付けられて、経営者たちが、忠実義務という不可欠な倫理性を、すべて自己利益追求という経済論理で置き換えようとする事態が起きてしまいました。

池上:エンロンも、オリンパスも、ですね。

岩井:はい。ただ、オリンパスの経営者の場合は、自己利益というよりは、組織の利益を守るために、会社の公共性を犠牲にしたという面が強いという点で、エンロンとは異なっています。いずれにせよ、どんなところから忠実義務の無視が始まるのか。簡単です。経営者は、ただの株主よりも、はるかに情報を持っているわけです。

池上:当然ですね。内部にいるわけですから。でも、それは突き詰めると一種のインサイダー取引のような危うさが生じるのでは?

経営者が巨額の収入を得る仕組み

岩井:浄瑠璃使いが自分に有利な契約書を人形に書かせるわけですから、まさにインサイダーの構造です。池上さんが指摘したエンロンの経営者やワールドコムの経営者は、まさにこうしたインサイダー取引を実行したわけです。その結果、彼らは巨万の富を得ることになりました。

 すると今度は米国中の会社社会で、雪崩を打ったように、経営者の報酬が高騰していきます。そうなると、莫大な報酬を用意しないと、優秀な経営者をスカウトできない。優秀な経営者が来ないと、自分の投資先の会社の経営が危うくなるかもしれない――。こうした悪循環の論理が米国の企業社会にできてしまいました。

池上:かくして米国では、創業者のみならずサラリーマン経営者までがお金持ちになってしまった、というわけですか。

岩井:でも、高収入が必ずしもよい経営成果を上げる訳ではない。エンロン事件、ワールドコム事件、そしてリーマンショックでの当該企業のトップのあり方を見れば一目瞭然です。市場万能主義が、必ずしもよい経営をもたらすとは限らない。それがまさに市場での結果で証明されてしまったのです。

私たちはお金とどうつき合っていけばいいのか

池上:ヨーロッパでは、知性によってお金をコントロールしようとして失敗した。米国では、自由に任せてお金を放っておいたら失敗した。では、今後私たちは、お金とどうやってつきあっていけばいいのか? そもそもお金ってなんなのか? 岩井先生の説をおうかがいしたいと思います。

岩井:お金の未来、の話ですね。その前に、まず、私がなぜお金について考えるようになったのか、それについて多少語ってもよろしいですか?

池上:岩井先生の「お金論」の源流ですね。ぜひお願いします。

岩井:私が経済を学び始めた一つの理由は、お金を儲けるためではなく(笑)、お金を本当に不思議なものだと思ったからでした。お金というのは、本来はタヌキが化かした葉っぱと何の変わりもありません。ただの紙切れや石ころや金属片を、あらゆる人間が「これはお金なんだ」と思ってくれるから、客観的にお金になる。「皆がお金だと思うからお金だ」という循環論法に支えられている存在なんですね。

 1万円札は紙切れです。実際の物としての価値と、流通する価値とか完全に乖離している。なぜそういう乖離があるかというと、それは単に人々がお金だと思っているからで、しかもその価値は、ほかの人に渡すときに、実際に使うときに改めて確認されるものです。

池上:持っているだけでは価値は発現しない。銀行預金も似たようなものですね。

岩井:銀行預金というのは、銀行の借金です。貸しているのは我々預金者で、我々の持っている預金通帳は、銀行の借金証文の早見表。ただし、その貸したお金は、流動性が高い。ATMで簡単に現金化ができます。もちろんこれも循環論法に支えられている。すべての人が一斉に現金化しようとしたら、取り付け騒ぎに発展します。

 でも、銀行を利用するあらゆる人、あらゆる預金者が、「銀行預金はいつでも現金に換えられる」と思っているから、銀行預金はいつでも現金化できるだけなのです。

近代がお金を産んだのではない、お金が近代を作ったんです

池上:お金とは、いわゆる「共同幻想」、なんでしょうか?

岩井:よく、お金は人々の共同幻想である、という物言いがされます。でも、私はその言い方には多少異論があります。というのは、お金の存在は、「幻想」というレベルではなく、もっともっと人間にとって本質的なものであり、しかも客観的な実体性をもっているからです。だから、お金の存在を前提とした現代社会ができあがっている。世の中にこんなに不思議なものはありません。唯一、お金と比較できるのは「言語」くらいでしょう。私は言語についても考えたかったのですが、その前にまずお金について考え始めたのです。

池上:「お金は、お金だから、お金なんだ」というある種のトートロジーにも聞こえてきます。お金というものは、いつ、どこで、どんなかたちで生まれたんでしょうか?

岩井:3年ほど前のことです。お金についての小さな国際会議がベルリンでありました。非常に学際的で、経済学者の他、社会学や歴史、哲学などの専門家が15人ほど集まって三日間ほど集中的に議論しました。そのなかで私がもっとも刺激を受けたのが、イギリスから招かれたギリシャ古典の大家であるリチャード・シーフォードさんの発表でした。

 彼の研究の発端となった疑問は「なぜ我々は、古代ギリシャ人を近い存在に感じるのか。なぜ古代ギリシャは現代なのか」というものでした。具体的に言えば、ギリシャ神話の悲喜劇は、今読んでも、古さを感じさせず、現代の文芸作品と同じような感動を与えてくれる。そしてギリシャが紀元前の世紀に実現した民主主義の仕組みは、現代の民主主義の原型ですし、さらに、ギリシャにおいて、現代につながる哲学や科学が始めて生まれました。

池上:なるほど。古代ギリシャの市民社会文明は、まさに現代社会とそっくりだ。

岩井:ただ、古代ギリシャと現代社会には共通項が多いぞ、という話自体は聞き覚えがあるはずです。私が衝撃を受けた、というよりは歓喜したのは、シーフォードさんが出した解の方にありました。なぜギリシャと現代はそっくりなのか? 彼の結論は「ギリシャは世界史上で最初に、完全な貨幣経済を実現した社会だったから」というものでした。

池上:何と、お金の発明がギリシャ文明の前にまずあった、ということですか!

岩井:ギリシャでは紀元前7世紀ごろから、貨幣が流通するようになりました。ユーロ統合まで使われていたギリシャの通貨単位ドラクマが既にこのとき誕生しています。貨幣はコインで、その素材は、金と銀の合金でした。ただし、当時はまだ金と銀の合金を安定して製造する技術はありませんでした。ですから、最初から金と銀が混ざっている合金を掘り出して、それを鋳造してコインにしていたのです。よって、金と銀の比率はコインによってバラバラでした。

 つまり素材としての価値はコインごとにバラバラだったのです。金の含有量が多いコインも少ないコインもあった。でも、古代ギリシャでは、金の含有率というコインのものとしての価値を流通させるのではなく、どのコインも1ドラクマという抽象的な「お金」として流通させたのです。

池上:物としての価値ではなく、みんなが認めた貨幣単位をコインのかたちで流通させる。まさに貨幣経済の誕生がすでにこのときのギリシャであったわけですね。でも、それがなぜ現代文明とそっくりな古代ギリシャの文明と結びつくんでしょうか?

岩井:この世の中に、個々のモノや個々の人間を超えた、抽象的な価値や普遍的な法則が存在すること、しかも神様とは独立に存在しうること。これが近代文明の基本です。科学も哲学も政治も文学も、すべて抽象的な価値や普遍的な法則を共有することで、初めて成立する。まず、具体的なモノとしてはバラバラなお金を、抽象的で普遍的な価値として、社会全体が日常的に使い合うという貨幣経済の誕生こそは、まさに近代文明に通じる古代ギリシャ文明の礎なのだ、というのがシーフォードさんの説だったのです。


池上彰氏
池上:抽象価値を共有する。それが文明である。そして初めてギリシャ人が共有した抽象価値こそは、「貨幣=お金」だった、というわけですか。目から鱗が落ちる話です。それにしても、ユーロ危機発祥の地ともいえるギリシャが、紀元前6世紀に「お金」を生んだことでと、現代文明の基礎が出来上がった、というのは何とも皮肉な話です。

岩井:まったくですね(笑)。古代ギリシャでは貨幣の流通をきっかけに、抽象思考の実践が行われました。イデア論を唱えたプラトンなどはまさにその申し子です。ギリシャ哲学は、お金から生まれたともいえます。それはまた、この世には個々の事物の雑多さを超えた、普遍的な法則性が存在するはずだという、科学的な世界観の出発点にもなった。

 それだけではありません。金の含有率は違っても、1ドラクマコインはすべて1ドラクマの価値を持つ、同じである、平等である、という考え方は、個人の間の平等性を前提とする、まさに民主主義の誕生につながります。さらに、お金の流通が進むと、人間は共同体的な絆から切り離されます。つまり、「個人」となります。これまで共同体的な規制や慣習にもとづいて行動すればよかった個々の人間が、英雄でもないのに、自分で自分の運命を切り開いていかなければならなくなる。それは必然的に、悲劇や喜劇を生み出します。

 かくして、お金が日常的に人々の間で流通し始めたことが、今につながる文明社会を生み出したのだ――。こうシーフォードさんは結論づけました。

 私も仮説としては前から同様のことを考えていたのですが、経済学者が「お金が文明を産んだ」というとどうしてもポジショントークに聞こえてします。ところが、経済と一見全く縁のない古典学者が指摘した。そこに私は大変嬉しいショックを受けました。

池上:近代がお金を作ったのではなく、お金が近代を作ったのですね。誰かが発明したのか、自然発生的に生じたのかはわかりませんが、私たちの文明は、科学も哲学も文学も民主主義も、まず先にお金ありきである、と。これからも私たちは、お金とは縁を切れそうにありませんね。

電子マネーとは貨幣の究極の形態

岩井:インターネットが発達し、電子マネーが普及し、形をもった紙幣やコインがたとえ姿を消そうとも、単に電子情報が紙や金属に変わるだけです。「お金」は「皆がお金だと思うからお金である」というお金を支える構造は変わりません。電子マネーは、お金の持つ「価値の抽象性」をますます高めるだけで、お金そのものの性質は一切変化しないのです。

池上:インターネット上でデータだけのお金が流通する、ということは、商取引が光速化するわけですね。例えば、電子マネーが完全普及すると、お金そのものが消えてしまうような気がしますが。

岩井:ところが、逆なのです。電子マネーというのは、貨幣の究極の形態です。紙幣やコインというモノではなく、形を持たない抽象的な数字そのものがお金として流通するというのは、お金の究極の形態です。お金とは何かが、もっともはっきり見えて来たのです。

池上:となると、経済はますますグローバル化する。やり取りされるということは、光速に近い商取引が可能になるわけで、市場はグローバル化する。一方で、イタリアやギリシャの田舎住まいの人のように、たとえ職が見つからなくても生まれた土地を離れない、という人たちも依然としてたくさんいる。抽象的なお金の存在と、土地に張り付いて生きる人間の具体的な経済活動と、ますます乖離が進むような気もしますが。

岩井:結果的には、市場はグローバル化するのは間違いありません。それによって恩恵を受ける人は無数にいます。これは強調すべきです。私は反グローバル主義者ではありません。しかし、それはゆっくりやるべきだと思います。ユーロもそうだったわけですが。

地域通貨がお金の代わりになることはない

池上:お金という抽象価値と特定地域を結びつけようという試みとして、地域通貨があります。地域通貨についてはどうお考えですか?

岩井:特定の地域の活性化に、地域通貨が役に立つことはあります。でも地域通貨とは本来的な意味でのお金ではありません。それは、人々が自分の属する共同体全体に対してもつ義務感を共同体の中でやりとりするだけであって、どこでも普遍的な交換価値を持つ「お金」の代わりになることはありません。

 さきほど、言語とお金は似ているといいましたが、一度、お金によって自由を知り,平等を知り、普遍的法則の存在を知った人間は、孤独ではありますが、原始共産制のような小さな共同体に戻ることは不可能です。資本主義の善し悪しは別として、私たちはグローバルな価値を持つお金と暮らしていくしかないのです。

池上:一方で、今回のお話では、行き過ぎた資本主義、自由放任主義、新自由経済だけでは、社会を幸福にすることは難しい、という現実があぶり出されました。

岩井:フリードマンの言うような、市場原理による理想社会を追い求めた結果です。市場の見えざる手に任せておけば、経済の効率性と安定性は両立し、最終的には必ず安定すると、フリードマン一派は信じてきました。多くの経営者や経済学者もそれに賛同した。しかし実際には、お金を自由に流通させればさせるほど、つまり、それによって経済の効率性を高めれば高めるほど、必然的にその経済の不安性が増してしまう。効率性を求めると不安定に陥る。私たちが生きている資本主義経済には,本質的にそういう「不都合な真実」がある、ということを再認識せざるを得なくなったのです。

池上:やはり「お金の番人」が必要だ、ということですね。

岩井:はい。基本的には市場経済に任せる。けれども、自由放任にすれば暴走してしまうので、どこかで規制を加え監視する。景気が悪くなったら、政府は財政出動をする。金融に関しては、市場原理を超越した中央銀行の公共性が、やはり欠かせない、と思います。

池上:中央銀行不要論を唱える人もいますね。

岩井:オーストリアの経済学者フリードリッヒ・ハイエクはその最たる存在です。

池上:彼もノーベル経済学賞の受賞者ですね。1974年に受賞しています。中央銀行はいらない、のですか?

岩井:私はハイエクの思想は尊敬してるのですが、その中央銀行不要論は、理論上、100%間違いだと考えています。先ほど述べたように、お金の流通価値は必然的にモノとしての価値を上回りますが、ハイエクはこれをお金を作ることのできる銀行の「独占利潤」とみなし、経済の効率性にとっても安定性にとってもマイナスだと考えたのです。だから、お金の発行も自由化せよと。

 しかしながら、これも先ほど述べたように、お金とは本質的に不安定な存在です。その発行を自由放任にすると、安定するどころかますます不安定になる。だからその不安定性をコントロールするために、自己利益の追求をしない超越的な存在がなくてはなりません。それが、中央銀行です。

池上:中央銀行は、どこが発祥の地なのでしょうか。

岩井:スウェーデンです。17世紀の終わりに作られました。有名なのはイギリスの中央銀行、イングランド銀行ですね。これは1688年から89年にかけての名誉革命の際に、国王の資金を補助しようと、当時のロンドン商人が集まって作った、完全な民間銀行だったのです。それが徐々に巨大になって、イングランド銀行が何かをすると、イギリス経済全体が影響を受ける、という体験を通じて、何度も失敗を繰り返しながら、イギリス経済全体のための公共性を自覚した中央銀行として、徐々に変身を遂げたのです。

池上:日本の中央銀行である日本銀行は1800年代の後半にできましたが、米国ではずいぶんと遅れましたね。しかも米国では中央銀行という名前がない。連邦準備制度理事会(FRB)という何とも変な名前です。

岩井:米国の自由放任志向は、中央銀行のあり方にも端的に表れていますね。やはり自由に枷をはめるような行為に抵抗があったんです。建国以来、中央銀行をつくろうという動きはあったのですが、州単位の自治が強い米国では、地方分権論者たちが、中央銀行の成立を嫌ったために、なかなか中央銀行が生まれませんでした。20世紀になってようやく、それも非常に妥協的な形でFRBが、様々な州銀行の寄せ集めとして誕生しました。ウッドロー・ウィルソン大統領が、どさくさに紛れて作ったのです。1913年のことです。

幻に終わったケインズの中央銀行構想

池上:世界全体ではどうでしょう? これだけ市場のグローバル化が進み、お金がインターネットを通じて光速で世界中を飛び交う今こそ、本当の意味での世界中央銀行のような存在が必要な気もするのですが。いまの世界銀行やIMF(国際通貨基金)とも違う、まさに中央銀行的な組織が。

岩井:私もそう思います。実は第二次世界大戦末期、その後の戦勝国が集まり、日本やドイツの敗戦を前提としながら、新しい戦後の金融システムを考えていたことがあるのです。

池上:1944年のブレトン・ウッズ協定ですね。米国のドルを実質的な基軸通貨にするという。IMFもこれをきっかけに生まれました。

岩井:そうです。しかしこの体制が出来上がる前の議論で、ケインズは、バンコールという世界共通通貨を導入し、今のIMFよりも力の強い、それこそ世界の中央銀行としての役割を果たす銀行の設立することを提案していました。ところが米国がケインズの構想を潰してしまいました。

池上:もしこのときに、ケインズの中央銀行構想が潰れていなかったら――。

岩井:世界経済のかたちは大きく変わっていたでしょう。米国はこのとき大きなミスをしたと思います。米国のおかげで英国は戦勝国になったわけですから、英国人であるケインズの案が通らないのは仕方ないにしても、「もし」とは思います。とはいうものの、現実に世界中央銀行ができなかった。つまり、お金のグローバルな公共性を担保する組織が今は存在しません。これからどうやって実現していくかが世界の金融関係者と各国にとって大きな課題です。

池上:新しい世界中央銀行ができる可能性はあるんでしょうか?

岩井:難しいですね。IMFを強化するなど、アドホックな形で進めていくしかないでしょう。実際に、いろいろな動きはあります。しかし、米国はドルが基軸通貨であることの既得権益を守りたいし、中国のような新興国はおいしいどころどりをしたい。各国の利害の対立は避けられないでしょう。

池上:中国を始め新興国がおいしいところどりばかりをせず、世界経済に対して責任を持つようになるまでは、逆にいうと世界単位の中央銀行のようなものをつくるのは難しいでしょうね。

岩井:はい。というと、悲観的な話ばかりのように聞こえてしまいますが、私は、世界が再び社会主義に戻ることはない、と確信を持っていますし、自由とは人間にとってもっとも本質的だとも思っています。だからこそ資本主義が勝ち残ったのです。ただし、市場から公共性までをも排除して自由だけですべてを進めようとして、今日多くの失敗がおきました。社会主義とは別の形で、公共性を何とか担保する仕組みの実現に、世界中の知恵を使うべきだと思います。自由に対する最大の敵は、自由放任主義だと思っています。


池上:資本主義で失敗したから、社会主義にしよう、というのは確かにあり得ませんね。別の選択肢があるわけでもない。

岩井:後戻りもできないし、選択肢もないのです。だからこそ、資本主義を前提としつつ、公共性の担保は絶対に必要だというスタンスをとりながら、いろいろな方法論を寄せ集めていかざるを得ません。気の長い話ですが。でも、ギリシャの話でわかるように、人類はお金を生んだことで現在の文明を手に入れたのです。お金の問題から逃れることは、だからできないのです。

池上:お金の否定は、人類の文明の否定にもなってしまう。ならば逃げずに、最適解を常に探し続けるしかなさそうですね。どうもありがとうございました。

「実はお金があったから、科学も哲学も文学も民主主義も生まれたのです」:日経ビジネスオンライン
Apr 2, 2012

「知性の失敗」のユーロ、「自由の失敗」のアメリカ
池上彰×岩井克人対談 「お金の正体その2」

 2011年、欧州ではユーロ危機が起きましたが、その前に世界を襲った「お金の危機」、それはなんといっても、米国で2007年のサブプライムショック、2008年のリーマンショックです。

 80年代末の東西冷戦の終結と相前後して、アメリカを中心とする金融市場は規制緩和をどんどん行い、実体経済を超える巨大なお金が動く世界ができあがりました。自由放任、新自由主義を標榜し、市場原理ですべてを解決しようというこの流れ、はたして正しかったのでしょうか?

 ユーロ危機が「知性の失敗」だとすると、アメリカの金融危機はさしずめ「自由の失敗」である、と看破する岩井克人・東大名誉教授に、引き続き「お金の正体」に迫っていただきましょう。

池上:欧州の人たちが知性を結集して創り上げた共通通貨「ユーロ」。しかし、そのユーロによる経済圏が危機に直面しています。前回は、岩井先生に、なぜユーロ構想がうまくいかなかったのか、なぜ共通通貨ユーロが失敗したのか、その理由を説明いただきました。お金、そして経済という元々管理が難しいものを、「人間の知性」でコントロールしようとしたのが失敗の原因である、というお話でしたね。

岩井:はい。ユーロを通じて平和で安定的な欧州社会を創ろうという意気はよかった。もっと時間をかければ成功したかもしれません。ですが、あまりに拙速でした。

池上:このユーロの失敗を見て、意気軒昂なのが、経済の自由放任主義を標榜してきた経済学者ミルトン・フリードマンを筆頭とする英米の自由主義経済派、リバタリアンの人たちですね。「ほら、今までさんざん我々が主張した通りではないか、お金や経済など、人がコントロールするものじゃない。市場に任せろ」という意見です。

岩井:たしかにユーロの失敗だけを眺めると、新自由主義の相対的勝利に見えます。けれども、私の意見は違います。今回の金融危機はむしろ「市場の見えざる手にすべて任せよう」というフリードマン派の思想の崩壊の始まりです。

ユーロ危機=「知性の失敗」をもたらしたのは新自由主義?

池上:自由放任主義もまた崩壊しようとしている。つまり、今、意気軒昂なフリードマン流の経済政策も間違っているということですか?

岩井:そうです。彼らはユーロ危機における共通通貨ユーロの失敗だけをつついているのですが、ユーロ危機の原因を辿っていくと、通貨統合のみならず、新自由主義経済の失敗が後ろに隠れていることがわかるからです。

池上:え、具体的にはどういうことでしょうか?

岩井:2011年、ユーロ危機の前に起きた世界を襲う「お金の危機」、それは2007年のサブプライムショックであり、2008年のリーマンショックでしたよね。

池上:あ、たしかにそうですね! 2008年9月15日にアメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻し、世界同時不況の引き金を引いたのでした。そのリーマンショックのさらに遠因を辿ると、米国の住宅バブル崩壊とセットとなった2007年のサブプライムローン問題がありました。

岩井:ユーロ危機の前に、まず新自由主義経済の総本山である米国で、自由主義経済の主役でもある金融市場が崩壊した。この事実を見逃してはなりません。その結果、米国に投資していた欧州の金融機関が経営危機に陥り、ユーロ各国も、その救済に乗り出さざるを得ませんでした。その巨大な余波が、ギリシャやイタリアの国家破綻の危機の遠因にもなっているわけです。つまり、ユーロ危機の一部は、アメリカの金融危機によってもたらされたのです。経済における「知性の失敗」が起きる以前に、「自由の失敗」がまずあった。

池上:たしかにおっしゃる通りです。では、新自由主義経済とはそもそも何だったのか。そこから振り返って、岩井先生に「新自由主義の失敗」について、ご説明願いましょう。

岩井:資本のグローバル化が本格的に始まったのは1980年代からですが、既に1970年代のニクソンショックによって、世界中の為替の大半が変動相場制へと移行し、資本の移動をうながしました。70年代末から80年代初頭にかけて登場した、米国のロナルド・レーガン政権、英国のマーガレット・サッチャー政権は、フリードマン思想に影響を受けて、さらなるグローバル化を進めたのです。

池上:レーガノミクスとサッチャリズム、ですね。「小さな政府」路線の走りです。日本では、小泉純一郎政権が明らかにこの路線を踏襲しようとしました。資本のグローバル化について、もう少し解説をしていただけますか?


ケインズはいらない。世界を市場で覆い尽くそう―?:フリードマンの野望

岩井:資本主義のグローバル化というのは、世界経済を「市場」で覆い尽くそうという考え方です。さらに言うと、ミルトン・フリードマンらが考えるグローバル化とは、かつてのアダム・スミスの思想の現実への応用です。

池上:神の見えざる手、ですね。「国富論」でアダム・スミスが唱えた市場の調整機能の比喩でした。

岩井:まさにそうです。市場の見えざる手に任せておければ、経済の効率性も、経済の安定性も共に実現するという考え方です。

 さらに言うならば、市場に参加する個人も企業も、全体の公共の利益を考える必要がない。ひたすら自分の利益だけを追求していて良い。それでも、むしろその方が、市場がちゃんと機能すれば結果として全体の利益につながる。公益性も担保される、というわけです。

 アダム・スミスは「公共善のためなどと触れ回る人間が善をなしたことなど聞いたことがない」といっています。だからこそ、その市場という仕組みを全世界に広げ、世界を市場で覆い尽くせば覆い尽くすほど、世界経済全体が、より効率的になり、安定性も増す――これがグローバル化の動きの背後にあった経済学の思想です。

池上:そして実際に、金融を筆頭に経済はどんどんグローバル化していった。けれども、岩井先生のおっしゃる通り世界経済が理想的な状態になっているかというと、疑問符がつきますね。

岩井:90年代末にはアジアの通貨危機、90年代末から2000年代初頭にはITバブル景気とその崩壊、そして先ほど池上さんがご指摘されたサブプライムショックが2007年にあって、2008年にはリーマンショックが起きました。

 経済のグローバル化が進んできたこの30年というもの、世界全体の生産性は大いに向上しました。ですが、同時にバブルの勃興とその崩壊が繰り返されてきたのです。自由放任一辺倒な経済は、効率性は上がるけれど、ひどく不安定的だぞ、ということが明らかになり始めたのです。

 けれども、リーマンショックが起きる直前まで、主流派の経済学者たちは「マクロ経済学は終わりである」という認識を示していました。

池上:それはつまりケインズ流の経済政策の意義が終わったと。

岩井:そうです。見えざる手に任せれば、景気の変動もなくなる。市場が世界を覆い尽くした今、マクロ経済学の出る幕はもはやないのという議論です。

 マクロ経済学は、1929年の世界大恐慌を繰り返すまいという意思の下に生まれました。大恐慌は、見えざる手への信頼を失わせました。だからこそ、公共投資や金融政策などで有効需要をつくり、経済を安定させ、失業者が増えるのを防ごうとしたのです。イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズ氏が築いた、マクロ経済学のこの手法は、市場経済を補完するものとして、各国政府がその有効性を認めました。それから現在に至るまで、さまざまな形でケインズ流の経済政策は実行されてきました。

 けれども、こうしたケインズ流の政策の役割はもう終ってしまった、というのが主流派の経済学者の論調です。その証拠として彼らが例に挙げるのは、1980年代から2000年初頭まで、日本を除けば先進国で景気循環が消えてしまったことです。

池上:好況と不況の大きな波がなくなった、ということですね。具体的には、誰が発言したのでしょうか?

岩井:「マクロ経済は終わった」と言ったのは、シカゴ大学のロバート・ルーカス教授です。2006年に亡くなったフリードマンの最大の後継者です。米国経済学会の会長に就いた人物で、2003年の米国経済学会の会長講演で、そう高らかに宣言しました。景気変動はコントロールできる。経済学に残された仕事は、ミクロの効率性を向上させて経済を成長させることだけである。すなわちそれは市場を拡大することなのだ――と。それからもう1人、アラン・グリーンスパン氏を忘れてはなりません。

池上:2006年まで、アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)の議長でしたね。

岩井:グリーンスパンは、こう説明しました。バブルが起きても何もするな。バブルを防ぐために行う規制や緊縮的金融政策は、金融市場の見えざる手を縛るだけで弊害が大きい。万一バブルが崩壊した時には、一時的に金利を下げれば良い。そうすれば再び景気が回復する道筋ができる、というものです。さらに、ベン・バーナンキ氏も2004年に「大安定」という題名の演説をしています。

池上:次はバーナンキですか。バーナンキはグリーンスパンの後のFRB議長です。アメリカの「お金の番人」のトップが2代続けて、マクロ経済の終わりと市場の万能性を主張した、というわけですか。

岩井:2004年当時、バーナンキはFRBの理事の一人で、また議長を引き継いでいませんでしたが、今述べたように、日本を除く先進国は「大安定」時代に入ったと自画自賛していました。ところがわずか3年後、その時には彼は議長になっていましたが、2007年夏に米国ではサブプライムショックが起こり、翌2008年9月にはリーマンショックに見舞われました。「大いなる安定」どころか、大恐慌以来の「大いなる不安定」の時代が到来したのです。なぜか? それこそフリードマン派が礼賛した、自由放任主義経済に本質的な矛盾があったからです。

池上:逆に言うと、サブプライムショックまでの間は、大いなる安定が先進国の間では続いていたわけですよね。なぜその安定が崩れ、突如として不安定化したのでしょうか?

岩井:大恐慌以降、米国経済がなぜ一定の安定性を保てたかを語るのに、グラス・スティーガル法を避けては通れないと思います。大恐慌を教訓に1933年に作られた法律です。

商業銀行は「預金」という名のお金をつくる仕事

池上:たしか1999年に事実上廃止されたといわれていますよね。

岩井:グラス・スティーガル法は、米国でいうところの商業銀行と投資銀行の間に垣根を設けました。日本でいうと、銀行と証券会社の事業を区別し、兼業できないようにするための法律だと思ってください。

池上:なぜ、米国は、商業銀行と投資銀行とを厳然と区分けしたんでしょうか?

岩井:「銀行=BANK」という名がどちらもついていますが、「お金」を作れるか作れないかで、両者の役割が根本的に異なるからです。

 まず商業銀行は「お金」を作れます。預金者からお金を預かり、お金を借りたい人に融資を行う。それが商業銀行の主な仕事です。でも、単に借りたお金を貸すだけでは、どこからも利益が生まれません。実は、銀行預金とは、本来は銀行の「借金」ですが、同時にそれ自体が「お金」としての役割を果たしているのです。経済学でも「M1」と呼び、貨幣とみなします。だから、貸し出す利子よりも、はるかに安い利子しか払わなくて良く、商売が成り立つわけです。

 一方の投資銀行の仕事は、商業銀行とは全く性質が異なります。投資銀行は、顧客のために様々な金融商品の売買を仲介し、手数料を稼ぐのが本来の業務です。

池上:商業銀行における預金が貨幣と同等の役割を果たす、というところをもう少し解説していただけますか?

岩井:何時でも預金者は「銀行預金」を現金化できる。つまり、預金は現金も同然なのです。これを「流動性」といいます。でも、この流動性とは、とても不思議なものです。

 私が「預金をいつでも引き出せる」と思っているのは、ほとんどの預金者が引き出さないからです。でも、ほとんどの預金者が引き出さないのは、私と同じように、他のほとんどの預金者も「いつでも引き出せる」と思っていて引き出さないからにすぎません。ここにあるのは、自己循環論法なのです。もし預金者が、「預金には流動性がない」と考え始め、一斉に預金を引き出そうとすれば、取り付け騒ぎが起きてしまう。その時、実際に銀行預金の流動性は消え、預金は貨幣ではなくってしまいます。銀行の単なる借金、しかも銀行が返済できない借金になってしまう。

池上:みんながいつでも引き出せると思っているから、みんなが引き出さない。だから成り立っているのが「預金」というわけですね。なるほど、よく考えてみると不思議な仕組みです。

岩井:本当に不思議です。銀行はお金を貸す時、預金口座に「5000万円」と書き入れれば良いのです。預金者みんなが「銀行預金はお金だ」と思っている限り、私はその口座をお金として使うことができる。これが信用創造とよばれるお金の創造です、商業銀行には、民間企業でありながら、「お金をつくる」力があるのです。

 もちろん、無限には作れません。預金者からの引き出しに備えて一定の現金をもつことを法律で定められています。また、預金者を安心させるため、国が預金者1人当たり1000万円までの保障を与えています。その代わりに、商業銀行は預金者の不信を招くような活動、特に投機的な活動に手を染めるのを防ぐために、さまざまな規制を課されているのです。「お金を作ることを許しているのだから、大人しく安定的な商売をしていなさい」ということですね。

リスクをとっていけない銀行と、リスクをとるのが仕事の銀行

池上:一方の投資銀行、日本で言う証券会社には、預金保障のような行政からの保護がない代わりに、業務上、かなりの自由がありますね。有り体にいえば、リスクをとってお金を儲けることができる――。

岩井:そうです。もちろん粉飾決算や利益相反は許されません。ですから、米国では証券取引委員会(SEC)、日本なら金融庁のような組織があって監督をしています。ですが投資銀行は、法に触れさえしなければ、自由な金融市場でリスクをとった投機で利益を上げることが可能です。

池上:さらに、お金持ちや機関投資家向けに、大きな投資を代わりに行うヘッジファンドも登場しました。

岩井:ヘッジファンドは、抜け道的な存在ですね。法人ではないので、さまざまな金融規制の対象外なのです。「仲良しクラブがお金を運用しているのだから自由にさせてあげる」という建前になっています。SECに帳簿を見せる必要もないので、競争相手に手の内をさらさなくて済むという旨みがある。投資銀行以上に高収益だけど、高リスクの投資ができる。


池上彰氏
池上:現代の金融市場においては、預金というきわめて信用度の高いお金を扱う商業銀行と、証券投資のようなリスクが生じる投資銀行と、さらに少数の巨額な投資マネーを扱うリスクテイカーであるヘッジファンド、3種類の性格の異なる金融機関が存在する――。「お金を扱う」という意味では、いずれも金融機関ではありますが、リスクのとりかたが全く違いますね。

岩井:そうです。だから、グラス・スティーガル法があったのです。ところが、自由放任主義を推進する人たちは、規制の存在は「見えざる手」の動きを鈍くすると、撤廃を要求しました。特に預金業務が中心だった商業銀行が、収益の高い投資銀行業務をやりたくなったんですね。「そもそも金融とはリスクを売り買いする仕事である。自分のリスクは自分で管理できるので、政府や中央銀行の規制など必要ない」と主張したんです。そして、1999年のグラス・スティーガル法の実質的な廃止へと向かいます。

池上:商業銀行と投資銀行の境がなくなり、商業銀行が証券業務や投資業務に手を出すようになった、ということですね。

グラス・ティーガル法廃止がもたらしたツケ

岩井:すると今度は投資銀行が、収益の高い投資をやっているヘッジファンドをうらやましがって、ヘッジファンドまがいのハイリスクな投資に手を染めるようになりました。そしてついには、商業銀行までがハイリス投資を手掛けるようになりました。

池上:そもそも信用を売りにしていた商業銀行が、ハイリスクなお金の運用をする、というのはきわめて危ういですね。

岩井:ええ。自分で自分の投機のためのお金を作れるなんて、危うすぎます。結果として、本質的に不安定な存在である「お金」は、ますます不安定な存在になります。過剰な投資がバブルを生み、そしてその実態なきバブルが弾ける。90年代後半からの米国経済、そして世界経済はその繰り返しです。

池上:グラス・スティーガル法が骨抜きにされることによって、お金そのもののリスクが増大し、バブルを生んだというわけですか。となると、やはり一定の規制は必要だということになりますね。

岩井:米国では、FRBがその権限を与えられています。しかし、当時の議長であったグリーンスパン氏は、フリードマン以上の自由放任主義者でした。彼は、若い頃は米国の女性哲学者アイン・ランド氏の信奉者でもあった。ランドというのは、徹底的な自由主義者。オカルト的な自由主義者と言ってもいい。その影響下にあるグリーンスパン氏にとって、金融の徹底的な自由化は必然でした。

池上:FRBはバブルが崩壊しても、見えざる手で回復すると考えていたのですか。

岩井:そうです。1998年に、アメリカの有名ヘッジファンド・ロングタームキャピタルマネジメント(LTCM)が破綻したときにも、米国経済は非常に大きなショックを受けました。ですがこのショック時に、米国政府はこれといった財政政策をとらず、FRBによる金融緩和策で乗り切ろうとします。

池上:LTCMには確か、ノーベル経済学賞受賞者が2人、関わっていましたね。

岩井:その通りです。米国で最も信頼されていたヘッジファンドだったのですよ。米国は、その破綻ショックを低金利策でしのぎましたが、これが次のバブルを生んでしまう。それはIT革命による株高で、これは本物の成長だと突き進みました。ところが、結果としてはこちらもバブルだった。2001年にはITバブルが弾け、それも低金利策で何とか抑えるが、次のより大きなバブルが発生するというプロセスを繰り返してきたのです。

 とうとう、サブプライムショックが起き、リーマンショックが起きて、今度こそは金融政策だけで乗り越えることができませんでした。つまり、自由放任思想が、米国発の今回の金融危機を作ったといえるのです。

池上:2012年の米国大統領選挙でも、ここは争点の1つになっていますね。再選を狙うバラク・オバマ大統領はリーマンショック以降、言ってみればケインズ型の規制を復活させようと、グリースパンの前にレーガン政権下でFRB議長を務めたポール・ボルカーを引っ張り出して、「ボルカー・ルール」という金融規制法強化案を発表しました。これに対して、共和党の各候補は、依然として徹底したフリードマン流を主張していますね。金融に対する2つの考え方が衝突しています。

岩井:私は今回の金融危機で、経済学の潮目が変わるだろうと思っていました。やはり自由放任主義だけではうまくいかないと、みんな気がつくだろうと思っていたのです。ところが主流派の彼らは、これまでの自由放任主義は「本当の自由放任主義ではない」と言い出しています。

池上:「本当の自由放任主義ではない」、ですか(笑)。つまり、もっともっと自由放任しろ、と主張しているわけですね。

本当の自由市場を―?もはや「教団」化したフリードマン派

岩井:そうです。これはたとえ話ですが、今の自由放任主義派の論の建て方は、新興宗教の教団に似ています。予言者を名乗る教祖が「今夜こそ宇宙が終わる」と予言し、信者を山の上に連れて行き、その瞬間を一緒に待ちます。しかし、一晩が過ぎても宇宙は終わりません。予言が外れたわけですから、その教団は崩壊しそうですが、そうはいきません。信者は「これまでの自分たちの努力が足らなかったのではないか。今まで以上に教祖様の教えに忠実に頑張らなくては」と考えるようになり、教団は一層団結します。

池上:フリードマン派は、もはや「教団」ですか(笑)。

岩井:極端なたとえですが、自由放任主義者の議論を見るとあながち冗談ではないですね。2008年に象徴的な出来事がありました。リーマンショックの後、フリードマンの弟子を自認している当時のブッシュ大統領もさすがに青くになり、明らかにケインズ的な色合いの濃い金融救済法を成立させようとしました。法案を議会に提出し、これはいったんつぶれ、2度目で成立しました。けれども、フリードマン派は、ブッシュ大統領の変節をなじりました。こういう形で金融機関の救済をしたことが「見えざる手」の動きを鈍くしたと。むしろ、つぶれるところはさっさとつぶしたほうがいい、というのが彼らの考えでした。

池上:リーマンショックで破綻しそうになった企業に米国の保険会社AIGがありますね。当初は救済を断っていたFRBが、方針を転換して支援の手を差し伸べたことで倒産は免れました。フリードマン派はAIGも救済すべきではなかったと考えているのでしょうか?

岩井:もちろんです。でも、AIGの救済は正解でした。今から思うと、リーマン・ブラザーズも救済すべきでした。

 破綻した金融機関の救済には必ず批判があります。日本では、1995年に住宅金融専門会社(住専)の巨額の損失が明らかになったときがそうでした。大いにマスコミにも責任があると思うのですが、「バブルの後押しをした住専はけしからん、国民の税金で救済するとは何事だ」という世論が巻き起こりました。

 でも、あのとき早急に救済措置をとっていれば7千億円近い巨額の公的資金を使う必要はありませんでした。ところが、批判の声が大きいために救済が遅れ、結果として、日本経済は大きなダメージを受け、救済額も膨らんでしまった。

 お金を扱う金融機関が破綻しそうになったとき、市場原理に完全に任せてしまうと、後になって悪くなる可能性が非常に高い。だが、金融機関の救済は必ず批判されます。「今までさんざん甘い汁を吸ってきた連中を、なぜ国民の血税を使って救済しなければならないんだ」という声が上がる。こうした世間の批判を受けた上で救済策を実行するのは、本当に勇気がいります。

池上:金融機関の救済には、論理と感情が交錯しますね。金融機関がつぶれてしまうと経済に大きな悪影響を与える、という論理は誰でもわかる。でも、その一方で、「なぜあんな高給取りの連中を税金で助けなければいけないんだ、自業自得じゃないか」、という心情が生まれるのも分かる。

 だから、「国は、放漫経営でつぶれかかった金融機関は助けてやるくせに、こつこつやってきたうちの工場の経営危機には手を差し伸べてくれないじゃないか」という声が出てくる。日本だけではなく、今回、ウォール街でデモがあった米国でも似たような話がありますね。

岩井:猛烈にありました。ただ米国に限っては、「金融機関を助けるな」という主張には一理あります。「自分たちこそリスク管理の専門家だから、グラス・スティーガル法をなくしてくれ」言っていたのは、ほかならぬ金融機関自身なのですから。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の白熱教室でもこのテーマは取り上げられていたと記憶していますが、調子が良いときは経営者に巨額なボーナスを支払い、悪くなったときに国家援助を受けるのには、倫理的な問題があります。その意味でもグラス・スティーガル法の実質廃止などの金融の規制緩和は、本当に大きな禍根を遺しました。

池上:オバマ政権は金融の規制を元に戻そうとしています。できるでしょうか。

岩井:完全には戻らないでしょう。1980年代からその骨抜き化が試みられていたグラス・スティーガル法が実質的な廃止になったのは90年代後半の、民主党のビル・クリントン政権のときです。実は、レーガン政権以降で米国の世論全体が最も共和党的なものに傾いたのが、クリントン政権の時代だったのです。

池上:国民の平等を訴える民主主義よりも、勝者劣敗の自由主義を求める声が大きかったんですね。

岩井:はい。そんな時代に民主党が政権を維持するためにはどうすればいいのか。共和党的になることです。クリントンの売りの一つは、「ビジネスマンと話ができる唯一の民主党議員」というものでしたから、金融規制緩和の方向へ進みやすかった。ただ私はクリントン政権は全体的には良かったと思っています。

池上:当時、民主党の中でも反対した人たちもいましたね。

岩井:たくさんいました。お金は人間に自由をあたえると同時に、一種の公共性を持っています。なにせお金は天下の回りものです。人々が、それをお金として受け取ってくれると信じて流通させるから、お金なのです。いわば社会全体の信用に支えられている。お金の自由促進的な面だけを重視して、お金の公共性をないがしろにしたりすると、いざ経済危機になったとき、お金の仕組みを立て直すのがとても難しくなります。

 自明の話ではありますが、例えば景気が上向き、バブルのような状態であるときに、お金の公共性を保つために金融引き締めを実施する必要があると人々に理解してもらうのは、とても難しいことなのです。

池上:「お金の公共性」という側面がとても重要ですね。そう考えると、「お金を扱う金融機関も公共的な存在」ということになります。となると、やはり野放図な経営は許されないでしょうし、その意味では公共的な規制が必要ですよね。銀行のような金融機関の公共性については、どうお考えですか?

岩井:預金を扱う商業銀行は、本来は非常に保守的な機関であり、がちがちの規制に縛られたお堅い職業と見なされてきました。お金を作ることのできという公共性を持っているからです。先ほども申し上げたように、お金とは皆がお金だと思わなければお金でなくなるという、本質的にはとても不安定なものです。だから、取り扱う銀行は安定な存在でなければならない――はずだった。

池上:お金という不安定なものを扱っているからこそ、銀行は信用される存在でなければいけない。それなりの給料を得て、それなりの服装をし、それなりの建物で仕事をするのも、信用の裏返しであると。

岩井:そう、給料が高いのには理由があります。ある程度高くしておかないと、意識もまた高くならない。何か間違いを起こすと多額の給料を失うという恐れが、銀行員に規律ある行動させるインセンティブになる、というわけですね。

池上:そういう説明は、子どもの頃からずいぶんと受けてきました。ですが、どうも最近の銀行の不祥事などを見ていると、高給に担保された銀行の倫理感というのも怪しくなってきたようにも思えます。

 なぜ、変わってしまったのでしょう?よく、東西冷戦という構造が消えたことが、原因だと言われますね。ロケットやミサイルを研究していた人たちが職を失い、金融工学へと入り込んできたと。あるいは「東=共産主義」という仮想敵がいなくなったことで、資本主義自由経済の中で、油断をして勝手なことをやり出したと。

ニューディール政策と第二次世界大戦が所得格差を縮めた

岩井:自由放任主義を押し進め小さな政府を志向したレーガン政権時代、89年のベルリンの壁崩壊が起き、91年のソ連崩壊で、共産主義の敗北が決定的なものとなりました。これにより、市場の見えざる手を全面的に信奉するフリードマン的な経済思想が完全勝利したとみられていました。

 ソ連型の計画経済は、西側の資本主義経済に敗れた。間違いのない事実です。社会主義が再び世界を席巻することもないでしょう。社会主義は、人間の自由を抑圧するシステムであること明らかになったからです。市場は自由を促します。ただし、その結果として、市場主義万能論が短絡的に進みすぎたという側面を見逃してはなりません。

 本来、信用をベースに作り上げなければならない金融機関の仕事まで、市場に全部任せてしまおうという流れが90年代に生まれ、米国の株式市場は未曾有の成長を遂げました。株式投資さえしていればお金持ちになれた時代です。しかしその後の市場の動きを見れば、1997年のアジア通貨危機、2001年のITバブル崩壊、2007年のサブプライムショックという具合に、市場の歯車は狂って行き、ついには2008年のリーマンショックへ行き着くわけです。

池上:2011年ウォール街で起きた「Occupy Wall Street」の抗議運動を見る限り、自由放任主義もいよいよ曲がり角に来たのか、という印象を強く持ちます。

岩井:冒頭でも少し述べましたが、こうした自由放任主義の流れを一貫して創ってきたのが、米国と英国の2国です。米国にいるトーマス・ピケッティ氏と、エマニュエル・サエズ氏というフランス系の経済学者、それから日本では一橋大学の森口千晶氏などが、世界中の所得分配の歴史的な推移について優れた研究をしています。

 第2次世界大戦前、1929年の大恐慌の頃まで、世界のどこの先進国でも凄まじい所得格差が存在していました。高額所得者トップの1%の所得が、国民全体の所得の約2割を占めていたのです。米国も、フランスも、ドイツも、そして日本もほぼ同じ割合でした。中でも一番格差が大きかったのがスウェーデンです。なんと高額所得者1%の所得が国全体の35%を占めていたのです。

池上:今や、福祉国家として名高いスウェーデンが所得格差の大きい国だったとは。もしかすると当時の反省が、今のスウェーデンを生んだのでしょうか?

岩井:ご明察の通りです。国民の所得格差の酷さを改善すべく、スウェーデンは社会福祉国家の道を歩み、ケインズ以前にケインズ政策を行っていました。

 大恐慌時代は、ソ連が急速に台頭して、共産主義に対する憧れや希望が西側諸国にも浸透し始めた時代でもあるのです。ハリウッド俳優にも共産主義信奉者がいたりしました。共産主義に対抗する意味もあり、米国ではニューディール政策を打ち出して社会福祉を厚くし、所得の不平等を抑えようとしたわけです。

池上:大恐慌以降の米国は、行き過ぎた市場主義を反省してケインズ経済学的な財政政策をとったわけですね。その後、第2次世界大戦へ突入しますが、戦争は経済にどんな影響を与えたのですか?

岩井:戦争で国は一丸となります。お金の面で言えば、累進課税が増えます。若者が血を流して戦っている。銃後の人間はお金を出せというわけです。米国の歴史を見ても、所得税はもともと戦争のときにだけ出現する税制でした。

 余談ですが、イラク戦争のとき、戦地で米国の若者が血を流しているのに、ブッシュ政権は減税しました。米国の歴史において初めてのことで、大変に不名誉なことです。米国の凋落の一つの原因はここにあると思っています。

池上:第2次世界大戦のときは増税により税収入が増えたわけですね。

岩井:はい。累進課税ですからお金持ちがたくさん税を納め、結果として国民の貧富の差は小さくなりました。第2次世界大戦が終わったとき、米国も日本も、戦前は20%ほどあったトップ1%の占める所得の比率が、8%くらいにまで落ちました。スウェーデンに至っては5~6%です。戦争により不平等度が低くなったわけです。最近日本は多少は上がっていますが、9%止まりです。フランスも同じくらい。ドイツは少し高いく、スウェーデンは7%ほどです。

 ところがこのトレンドから、1980年代に2国だけが抜け出します。米国と英国です。両国は自由放任主義を追い求めました。その結果、戦前のように、高額所得者トップ1%が、国全体の所得の2割を保有する不平等な所得構成に戻ってしまいました。

池上:高額所得者トップ1%とは、どういった人たちなんでしょう? やはり株で儲けた人たちですか?

米国の新しい金持ち、実はサラリーマンだった?

岩井:そう思うでしょう? ところが違うんです。戦前の上位1%は、ほとんどが資本家でした。配当所得や利子所得が中心でした。ところが、最近の上位1%に増えているのは、まず自営業者です。その内訳は、スポーツ選手など特殊な技能を持っている人、それからベンチャービジネスを成功させた人。特筆すべきは、昔と違って、給与所得者が多いことです。彼らが上位1%に入ってくるということは、「会社とは何か」という問題に関係します。会社が儲かったとき、株主以上にサラリー所得者が儲けているということが数字で明らかになったのです。

池上:「金融市場で儲けている人たちが米国の金持ち」というイメージがありましたが、むしろ「サラリーマンの一部にお金持ちが増えた」というのが実態なんですね。たしかに、年収数十億や数百億円単位の企業経営者が、米国にはごろごろしています。おそらく彼らがここでいうところの給与所得者ですね。ただのサラリーマンではなく。

岩井:ええ。経営者が、ストックオプションやボーナスなどを使って自身の給与を増やしていったわけです。かつて米国では、経営者と新入社員の平社員の給与比率は1対30から1対40だったのが、どんどん経営者側の給与のみが増えていき、今やその比率は1対500とか1対1000になった。だから高額所得者に占める給与所得が増えている。といっても従業員全体ではなく、一部の経営者が巨額の富を得るようになった。それが今の米国の金持ち事情なのです。

池上:しかし、米国といえば、株主による経営陣へのコーポレートガバナンスが強いはず。創業者やオーナーならばまだしも、サラリーマン経営者が自分の給与を野放図に上げることに、株主の厳しいチェックが入るような気もしますが。なぜ、米国では、経営者の給与が高騰したのでしょうか?

岩井:確かに不思議に思われるかもしれませんね。

池上:次回は、そのからくりと、「お金の未来」について、岩井先生にご説明いただきましょう。

「知性の失敗」のユーロ、「自由の失敗」のアメリカ:日経ビジネスオンライン
Apr 2, 2012

2012年 池上彰×岩井克人 新春対談 お金の正体(その1)
ユーロ危機とアメリカ金融危機から見えるもの

 2011年、欧州ではユーロ危機が起き、米国ではウォール街で経済格差の是正を訴えるデモが起きました。

 どちらも騒動の主役は「お金」です。2002年に誕生したヨーロッパの統合通貨ユーロ。そのユーロがつくりあげた経済圏が、参加国の財政破たんなどを機に崩壊の危機に瀕しています。一方、市場経済の極みともいうべきアメリカの金融市場は、ユーロ危機より前の2008年に起きたいわゆるリーマンショックでその土台がぐらつきました。さらに2011年には、相変わらず高給を食む金融関係者や企業経営者に対し、はっきりと反旗を翻す動きがウォール街をはじめアメリカの各所で起きています。

 この危機と騒動の本質は何か? 私たちが「正しい経済」を手に入れるにはどうすればいいのか? そのためにはどうやら「お金の正体」を改めて知る必要がありそうです。そこで今回は、『貨幣論』『二十一世紀の資本主義論』『会社はこれからどうなるか』などの著作で、「お金と資本主義と会社の関係」を考え抜いてきた岩井克人東大名誉教授にご登場いただきます。「お金の正体」、迫ってみましょう。

ユーロ危機はなぜ起きたか?――知性の失敗

池上:昨年2011年は、経済の側面で見ると岩井先生のご専門である『お金』そのもの価値が揺らいだ年でした。そのひとつの象徴がユーロ危機です。「ユーロ」が参加国の従来の通貨を統合して法定通貨となったのは2002年1月ですから、今から10年前ですね。誕生から10年という節目に、ユーロという枠組み自体が破綻の危機にあります。複数の国に共通の通貨を使わせるという仕組みはなぜうまくいかないのでしょうか?

岩井:たしかに統一通貨ユーロの試みは、今のところうまくいっていません。でも、複数の国の通貨を共通化する政策がうまくいったケースもあるのです。例えば、明治維新の日本がそれです。江戸時代には、江戸は金、大阪は銀と、事実上一国に2種類の貨幣単位が存在していました。

江戸の日本はかつての欧州 統一通貨「円」はなぜ成功した?

池上:そのうえ、江戸時代には、藩札もありましたね。今でいう地域通貨です。明治維新前の日本はユーロ統一前のヨーロッパのような通貨体制だったわけですね。藩札はどんな役割を担っていたのでしょうか?

岩井:私の両親は島根県出身ですので島根を例にお話ししましょう。かつて出雲地方を統治していた松江藩ですね。松江藩の経済状況が悪くなると、松江の藩札をたくさん発行します。それは結果として出雲地方に流通するお金の価値を下げることになる。そして江戸に対して、あるいは大阪に対して、藩の産品を輸出しやすくして、「外貨」を稼ぐ。一方、藩札の価値が下がるので、江戸や大阪、あるいは他の藩からの輸入は減らざるを得ない。結果、藩内の雇用をある程度確保することになるわけです。

池上:国をあげて輸出を増やし、安い輸入品が入ってこないようにする現在の政策と変わらなかったんですね。藩ごとの藩札、共通通貨の江戸の金、大阪の銀が混在していたのが江戸時代までの日本の通貨事情だった。

岩井:だから、こうした複数の通貨の両替を生業とする人たちもいました。いわゆる両替商、為替商です。それが明治維新を経て、「円」という通貨に全国統一されました。いろいろな失敗もありましたが、ひとまず通貨を統一して、そしてその統一がある程度うまくいったがゆえに、日本は近代国家として、経済的そして産業的に発達できましたわけです。

池上:なぜ明治維新の日本では、通貨統一がうまくいったのでしょうか?

「労働力の移動」が統一通貨が成立する絶対条件

岩井:それは、通貨の統一と同時に「労働力の移動」が頻繁に起きたからです。ご存知の通り、江戸時代まで、人々は自分の住んでいる藩に縛りつけられていました。明治政府は、通貨統一と相前後して、人々の移動の自由を認めるようになったのです。日本人はどこに住んでもどこで働いてもよくなりました。

 経済学用語に「最適通貨圏」という考え方があります。ある地域で共通通貨を維持するためには、その地域内では、資本や労働力が自由に動くことが前提となるんです。

 明治期の日本では、通貨の統一と同時に、人々と資本とが移動し、経済活動が活発なところに労働力と資本とが投下されるようになりました。それが成功の大きな要因といっていいでしょう。最適通貨圏の模範でした。

池上:岩井さんのご先祖さまの例で言えば、江戸時代だったら松江藩の経済状況が悪化して失業しても国を出ることが叶わなかったのが、明治維新以降は、いざとなったら出雲地方を出てほかの土地で働くことが可能になった。それが日本全国で起きた。だから共通通貨「円」への移行が成功した、というわけですね。

岩井:その通りです。実際、私の両親は戦前に島根を出て東京へやってきました。同じような人たちは周りにたくさんいました。島根から東京へ。地方から都会へ。

 こうした労働力のダイナミックな移動が、経済の地域間調整を行ってきたのです。資本が動き、人々がそれに合わせるように動く。資本が投下された場所に労働力は集約され、経済が活性化する。その繰り返しで、江戸時代には経済的には必ずしも統一していなかった日本は、ひとつの通貨で経済活動を行う国に変身し、先進国になりました。

 もちろんその成長と引き換えに、たとえば島根県は過疎化し、東京や大阪には過剰といわれるほど人口が集中しました。それがいいか悪いかはまた別問題としてあります。が、経済の側面から眺めると必然的な流れだったといえます。

ケンタッキーフライドチキン・スクールに象徴されるアメリカの成長

池上:アメリカはどうだったんでしょう? ドルの誕生と国の成長も、明治維新以降の日本と同じような経緯をたどっているのでしょうか?

岩井:はい。アメリカは日本よりもはるかに国土が広いですが、もともとが「移動の自由」を掲げてできた国のようなものですよね。西部劇の世界さながらに、人々は馬車に乗って移動し、新しい街を瞬く間に作り上げ、栄える街は人口が増大し、寂れる街はゴーストタウンになる、というのを繰り返しました。

 馬車から自動車の時代になっても、この構造は基本的には踏襲され、その証左として、現在でも基幹道路の要所要所の街には、ケンタッキーフライドチキン・スクールといわれる学校があります。

池上:ケンタッキーフライドチキン・スクール?

岩井:ケンタッキーフライドチキンのようなフランチャイズチェーンのように、教える内容を規格化し、どこから来た誰でも面倒な手続きなしで転入でき、すぐに転出もできる学校です。それだけ人々の移動が激しい。


池上彰氏
池上:明治維新以降の日本とアメリカの国内成長の過程を眺めると、共通通貨が成功するか否かは、お金の統一と同時に「人=労働力の移動」がカギというわけですね。

 さて、そこでヨーロッパでユーロがうまくいっていない原因に話を戻しましょう。岩井さん、日本とアメリカの例を踏まえて、もう一度「ユーロがうまくいかない」わけを教えてください

岩井:ユーロの失敗。それは、ヨーロッパ経済を通貨で統合しようと考えたヨーロッパのインテリ層の理想と、通貨は統合されても国どころか地元からさえ離れないヨーロッパの普通の人々との現実との差が生んだ、まさに「知性の失敗」が大きな原因でしょう。

池上:知性の失敗? 詳しく教えてください。

岩井:そもそも、ユーロを推進したのは、ヨーロッパのインテリ層、指導者層です。彼らにとってみれば、ヨーロッパ域内はもちろん、世界中を自由に移動するのが当たり前です。イタリアで生まれ育ち、イギリスのケンブリッジで博士号を取り、ベルギーの大学で教え、ドイツ人と結婚して、研究のため2、3年アメリカへ渡るというような人が、珍しくありません。そんなヨーロッパのインテリ層がそもそもユーロを構想したのです。

失業しても移動しないヨーロッパの「普通の人々」

池上:ヨーロッパのインテリ層は、域内を自在に移動し、仕事も得ているわけですね。つまり、仕事の需要に合わせて自分が動く。

岩井:逆に言うと、ヨーロッパ域内を自在に移動し、雇用の場所を見つけられる、あるいは、そもそもそうやって「場所に縛られずに移動してもいい」と考えるのはインテリ層やエリート層に限られる、ともいえます。「万国の労働者よ,団結せよ」といったマルクスには申し訳ないですが、異なった国の労働者ほど団結しにくい存在はありません。

池上:ということは、そうでない大半のヨーロッパの人たちは違う、と。

岩井:ええ。ユーロ危機の中心のひとつであるイタリアの例を紹介いたしましょう。私はかつてイタリアのシエナという美しい街に半年間暮らし、そこで目の当たりにしましたが、イタリア人の大半はイタリアの外へ出ようとはしません。それどころか、地元からイタリア国内の他の地域にすら出ようとしない人のほうが多いのです。地元地域への帰属意識が強く、またそれぞれの地域文化に誇りを持っています。

 一番の楽しみが何百年続いたパリオという地区対抗の競馬です。たとえ勉強や仕事のために平日は地元を離れても、週末には洗濯物を抱えて実家に帰る。シエナの若者の9割は地元へ帰ってくるという統計があったはずです。おそらくイタリアのどの地域も同じようなものでしょう。

池上:地元を離れない上に、イタリアをはじめ、南欧の人々は基本的に楽天的ですね。先日、ローマに取材に行って驚いたのですが、ユーロ危機のど真ん中にいる、という意識をイタリアの一般市民がほとんど持っていない。失業率も上がって苦しいはずなのに、緊迫感がない。現地で退職した学校の先生に話を聞くと、現職時代の給料は安かったけれど、年金は退職時の給与と同額が保証されているから心配ないよ、と余裕でした。

岩井:ユーロ危機のもうひとつの当事国ギリシアも同じような状況です。

池上:国が保障しているから、子供が成人して大学を卒業して働き場所がなく実家にいついていても、とりあえずの生活には不自由しないのです。もちろん、その人は、結構な年齢になった子どもに職がないことは嘆いていました。しかし、それでは国がもたないのではと尋ねると「大切なヨーロッパ文明発祥の地を、他の地域が早く助けなかったからだ」と言ってのける。ローマ文明を興した我々が一番の文明人なんだという過剰な自負と、楽天的な気質とが同居している。岩井先生がおっしゃるように、ギリシアにも、同じことが言えるでしょう。たしかギリシアの自殺率は、世界で一番低いレベルのはずです。

岩井:そのうえイタリアもギリシアも観光国家の側面があります。ますますもって自分の地元を出て外で稼ぎに出かけるという発想が起きにくい。

池上:一方、自国が不景気になっても、ユーロに加盟して独自通貨がないから、為替対策による産業振興や雇用の確保もできませんね。

ユーロ圏では、個別の財政政策がただの赤字垂れ流しになる

岩井:そうです。かつては、国内が不景気になると、出雲藩が藩札を発行したように、ギリシア中央銀行がギリシア通貨であるドラクマを発行し、切り下げを行い、輸出を増やし、輸入を減らし、雇用を確保していました。しかし今はそれができません。となると、同じユーロで経済活動を行っているドイツなどと同じ土俵で戦えるか。それは難しい。ギリシア人やイタリア人が移動をいとわなければ、フランクフルトや、あるいはブリュッセルやパリへ働きに出ることで、ある程度地域の経済状況に合わせた雇用調整ができたはずですが、そうした動きは現実には起きていない。かつて1950-60年代には出稼ぎが盛んで、その時の国辱的なイメージが残っており、今では政府は食い止めようとする。ただし、東欧や中欧は違いますが。

池上:かつての日本は通貨の統一と同時に国そのものも統一しましたけれど、ユーロの場合は通貨を統一しても、国それぞれは未だに独立した存在ですからね。島根から東京に移動するのと、ギリシアからドイツへ移動するのは、心理的にも実質的にも難しい側面はあるかもしれない。

 うーん、となると、頭が痛いですね。ユーロ通貨統一に合わせた域内の労働力移動が見込まれにくい今、ユーロ危機に打つ手はないのでしょうか?

岩井:難しい。短期的には、欧州中央銀行がユーロ債を大量発行して、第二のリーマン・ショックを避けることしかありませんが、現在は、これもいやがっています。何しろ財政政策は使えない。そもそもの危機の原因が放漫財政にあったのですから。

 共通通貨になる前は、財政支出を増すと、利子率が上がってしまう。国内投資は減るし、高い利子率に惹かれて外国資本がやってきて、ドラクマ高になり、輸出も減る。財政に自然に規律がかかったのです。

 ところが、ギリシアのGDPがユーロに占める割合は3%ほど。共通通貨になったら、寄らば大樹、いやドイツの陰で、いくら財政投資を増やしても、EUがひとまとまりの金融市場になっていますから、利子率は上がらないし、ユーロ高にもならない。密かにですが国債をばんばん発行して、政府が社会保障や公共投資に使って、国内の雇用や公務員の年金財源を確保するという、悪魔の誘惑が生まれてしまう。民主主義国家は、本当に、ポピュリズムに弱い。その誘惑に負けて、財政赤字を大きく膨らまし、それを隠蔽してきた。

 それが明るみに出て、ギリシアには投資価値がないことに人々が気づきます。自国通貨ドラクマがあった時代ならば、まずドラクマが暴落するはずですが、それがない。結果すぐにギリシア国債が下がり、それが火種となって、ユーロ危機につながったわけです。

池上:ギリシアの財政赤字のひどさが明るみに出たのは、2009年10月政権交代が起きたのが直接のきっかけでしたね。

 国々をまたいで通貨を統一しても、国々をまたいで労働力は移動しない。通貨が統一されているために、不景気になっても各国単位の財政政策は有効な景気対策にはならない――。こうして見ていくと、ユーロ危機は、起こるべくして起きたようにも感じられます。

 そこで根本的な疑問がわき上がってきます。そもそも先ほどお話に出たヨーロッパのインテリ層は、なぜ通貨を共通化しようとしたのでしょうか?

アメリカの影におびえて急ぎすぎたユーロ成立

岩井:それはヨーロッパ域内の政治の意志が大きかったのです。第二次世界大戦のように、その後の東西冷戦のように、ヨーロッパ域内で隣国同士が戦い合うような事態を避けなければいけない。より具体的には、ドイツとフランスとのパワーをバランスしよう、というわけですね。つまり、経済大国となったドイツの力を抑え、ユーロという枠組みに押し込めて、ドイツとフランスとの確執を埋没させよう、さらに統一ヨーロッパという強い経済圏を創出しようと考えたのです。それが共通通貨ユーロという形に結実しました。

 しかし、インテリの政治的な夢と、現実との間にはギャップがあった、というわけです。

池上:なるほど、それで「知性の失敗」というわけですね。ヨーロッパ知性主義が理想のユーロ大経済圏を求めたけれど、各国の人々は実際には踊らなかった。日本国内やかつてのアメリカ国内で起きたような、労働力の頻繁な移動が、ユーロ圏内では起きなかった――。では、どうすればうまくいったのでしょうか?

岩井:ヨーロッパは文明が早くから発達した地域ですから、文化的にものすごく多様性がある。そんなヨーロッパ域内で、人間が自由に動くようになるには、時間がかかります。まず、労働力の移動をもっとゆっくりじっくりと促してから、ユーロを導入する、という順番であれば、もっとユーロはうまくいったかもしれません。たとえば、導入が20年後だったら、という思いはあります。

池上:急ぎすぎたということですね。第二次世界大戦後、ヨーロッパではゆっくり時間をかけて、統一ヨーロッパのかたちを整えようとしてきました。1957年にヨーロッパ経済共同体(EEC)ができて、1993年にヨーロッパ共同体(EC)ができて、その後、勢いに乗って、ヨーロッパ圏の大統領と国旗と国歌を定めようとしたらさすがに否決されたりもしました。そのスピードからすると、ユーロ導入はまだまだ時期尚早だったのかもしれません。

岩井:時間さえかければ、ひょっとすると第2のアメリカ合衆国になったかもしれません。しかしそうなるためにはやはり一世代くらいの時間はかかります。

池上:なぜ、ヨーロッパはユーロ導入を急ぎすぎてしまったのですか?

岩井:アメリカの影響が大きいですね。ドイツやフランスなどヨーロッパの経営者の多くがアメリカで経済学や経営学を学ぶようになり、経済に関するヨーロッパのインテリの思考がきわめてアメリカ的になった。

 その結果、例えばドイツですら、グローバル化したい大手銀行を中心に、従来からの社会民主主義的性格を持った市場経済、という概念を否定し、より新自由主義経済的な経済運営を求める動きが強くなったのです。

池上:アメリカ流市場主義の影響下にヨーロッパもあった、ということですね。

岩井:はい。なにより90年代、世界経済が「アメリカの時代」になったことで、ヨーロッパの指導者層は焦りました。その焦りが、ドルに対する対抗意識を生み、基軸通貨ユーロを立ち上げてドルと競合する、あるいはユーロ圏をつくって、アメリカ=ドル経済圏と対抗しよう、という野心を抱いたのですね。ユーロ合衆国です。

 そのため、通貨統一という本来ならば時間をかけなければいけない事業を、今にしてみれば拙速に進めてしまいました。ただ、そんな野心を抱いていたヨーロッパのインテリたちも、アメリカ的な資本主義のほうがこんなに早く凋落するとは思ってはいなかったでしょう。

フリードマン流「新自由主義」が正しいのか?

池上:ちなみにギリシアの国家経営破綻がすぐに明るみに出ず、ヨーロッパの人々が雇用を求めて移動を厭わないようになれば、ユーロはなんとか維持できていたんでしょうか? 

岩井:分からないですね。というのも、ユーロ危機の勃発は、ギリシアなどの国家経営破綻だけが原因ではなく、アメリカ発のサブプライムローン問題、そしてリーマンショックも大きく影響しているからです。いま起こらなかったとしても、いつか起こったと思います。

池上:統一通貨圏はうまくいくわけはないんじゃないか?という議論は、ユーロの導入時にも専門家の間でなされていているのですよね?

岩井:ええ。さきほど最適通貨圏のお話しをしましたが、これを唱えたのはカナダ人の経済学者、ロバート・マンデルです。

池上:1999年のノーベル経済学賞受賞者ですね。


岩井:マンデルなどは最初からユーロはダメだろうと明言していました。それから、シカゴ大学の経済学者、ミルトン・フリードマンらも懐疑的でした。

池上:自由放任主義を唱えた、いわゆる新自由主義派の代表ともいえる経済学者ですね。1976年にやはりノーベル経済学賞を受賞しています。

岩井:はい。徹底した市場主義者フリードマンの理論からすると、統一通貨ユーロの発想は相いれませんからね。ただし、フリードマンは、以前に一度、大きな間違いを犯しているんです。実は、1971年のアメリカのニクソンショックを後押ししていたんです。

池上:ニクソンショックとは、それまで固定相場制をとっていて金の兌換紙幣だったドルを変動相場制に切り替え、金との交換停止を断行した一連の政策で起きた「ショック」のことでしたね。時の大統領リチャード・ニクソンがアメリカ議会にも知らせずに、1971年8月15日、突然発表したことから「ニクソンショック」と呼ばれています。

岩井:71年当時ドルは世界の基軸通貨という役割を担っていました。一国の通貨に過ぎないのに同時に世界の共通通貨になっている。フリードマンは、これをアメリカにとっては不利なことだと考えました。ドルが世界の基軸通貨であるということは、金に直接的にリンクした固定相場制であり、そのため、アメリカは国内の経済政策が自由に取れない。当時はベトナム戦争下で財政赤字が深刻化していました。その状況を打開するためにも、ドルと金との繋がりを断って、当時のマルクや円のように一国の通貨となって、ドルの価格は為替市場で自由に変動するのが望ましいと考えたのです。

池上:ところが、アメリカの不景気は解消されなかった……。

岩井:固定相場から変動相場に移行したにも関わらず、ドルは基軸通貨であり続けた。ドルを基軸通貨にしたのは、金との固定相場ではなかったことがわかってしまった。

 けれども、フリードマンは、その後もすべての通貨価値は市場で自由に決まるのが望ましいと考えています。ユーロのような統一通貨は人間が上から貨幣経済をコントロールするものであり、絶対にうまくいかない、と反対していました。ユーロがスタートした当初、フリードマンらのこうした意見は表にあまり出てきませんでした。

池上:当初、ユーロは好スタートを切ったかに見えましたしね。

お金と経済に「知性」はいらない?

岩井:はい。でもユーロ危機が表面化した時、フリードマンはすでに亡くなっていましたが、「あのとき、ああ言っていた」とフリードマンらの意見が急にクローズアップされるようになったわけです。

池上:今の時点で「通貨や経済を人間がコントロールできるわけがない。市場に任せろ」というフリードマンの意見を聞くとたしかに説得力がありますが、一方でユーロのような統一通貨へ憧れを抱く人々の気持ちもわかります。

 人間には、お金に振り回されてきたという長い歴史がありますから、知性の力でお金をコントロールできるようにしよう、多国間で通過を統一しよう、とヨーロッパの知性主義がユーロに行きついた、というのは、ある意味で理解できます。

岩井:明治維新の日本、そしてアメリカのように、条件さえそろえば、通貨統一は成功します。私もユーロの構想は悪くない、と思っていました。ユーロ、というのはたしかに、人間の知性で考えた概念です。知性を集約し、政治的な意思で統一通貨をつくり、その成功に向けて加盟国の経済を統合させて、強く安定的な経済圏を実現する――。

 このシナリオそのものは、悪くない、と思います。ただ、繰り返しになりますが、各国、そしてヨーロッパの人々の足並みがそろう前にあまりに拙速にユーロを成功させようと急ぎすぎた。ユーロの加盟国も急速に増やしすぎた。残念だな、という感は否めないですね。

池上:やはり人間の知性では、お金を、経済をコントロールするのは無理なんでしょうか?

岩井:東欧やソ連の社会主義体制が終焉したとき、計画経済への幻想は打ち砕かれました。今回のユーロ危機では、市場経済にある種の計画性を持ち込もうというやり方が挫折したのも事実です。ですからこの結果を受けて、新自由主義を標榜するフリードマン一派は自分たちが正しかったと快哉を叫んでいます。けれども、人間の知性がお金や経済にまったくかなわないか、というとそれも正しくありません。というのも、ユーロ圏とまったく反対に位置づけられそうな自由主義的なアメリカの資本主義とグローバルな金融市場が、ユーロ危機と相前後して、いやむしろユーロ危機に先だって、危機を迎えているのですから。

池上:たしかに! では次回は、アメリカの市場経済の危機について「お金の正体」に焦点を当てながら、岩井先生に解明いただきましょう。

2012年 池上彰×岩井克人 新春対談 お金の正体(その1):日経ビジネスオンライン
Mar 31, 2012

田中公平氏とヒャダインこと前山田健一氏の対談が実現。前山田氏が「このままじゃ大丈夫じゃないことが分かりました」と語った訳は……?


 ある日のこと。作詞家,作曲家,編曲家,そして歌手やタレントとしても活動中の,“ヒャダイン”こと前山田健一氏から「あの田中公平さんとお会いすることになったんですけど,その場限りじゃきっともったいないので,4Gamerさんもご一緒しませんか?」という連絡が入った。
 田中公平氏といえば,「エスパー魔美」「トップをねらえ!」「勇者王ガオガイガー」「ワンピース」といったアニメ,そして「天外魔境」シリーズや「サクラ大戦」シリーズ, 最近では「GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動」といったゲームの音楽を手がけてきた人物だ。たとえアニメやゲームに詳しくなくとも,日本で暮らす人ならば,一度くらいは田中氏の生み出した音楽に触れたことがあるのでは,そう言っても,決して誇張にはならないだろう。
 この前山田氏からの提案を断る理由など何一つない。即座に日程を調整し,1月24日に収録したのが今回の対談である。当初,収録には2時間程度を想定していたのだが,お二人のやりとりは途切れることなく続き,気付けば2時間半をオーバー。場所の都合で半ば無理やり切り上げる形になってしまったのが残念だが,本稿ではその内容を,ほぼ余すところなくまとめてみた。
 内容は,お二人の生い立ちから,二次創作文化への思い,現在の音楽業界について,職業論,プロとしての処世術に至るまで多岐にわたっている。そのため,記事のボリュームも相当なものになっているが,とくに田中氏の言葉からは,前山田氏がそうであったように,何かしら得るものがあるはず。ひとまずはブラウザのお気に入りに登録して,時間のあるときにじっくり読んでいただけると幸いだ。

田中公平氏
1954年生まれ。作曲家,編曲家,歌手。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。ビクター音楽産業に3年間勤務したのち,ボストンにあるバークリー音楽院に2年間留学し,帰国後から作曲家としての活動を本格的に開始。「エスパー魔美」「トップをねらえ!」「勇者王ガオガイガー」「ワンピース」といったアニメ,「天外魔境」シリーズや「サクラ大戦」シリーズ,「GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動」などのゲームで,音楽を担当している。2008年には歌手としての活動も開始。最近では,4月スタートのアニメ「氷菓」で音楽を担当している
「田中公平のブログ My Quest for Beauty」 前山田健一氏
1980年生まれ。作曲家,作詞家,編曲家,歌手。自身曰く「鳴かず飛ばずの時代」(2007年~)に,ヒャダイン名義でゲームのアレンジ曲をニコニコ動画で発表し,話題を呼ぶ。2010年5月に,ヒャダインがプロであることを告白。これまでに,東方神起,月島きらり starring 久住小春,麻生夏子,ゆいかおり,ももいろクローバー(Z),でんぱ組.incなどの楽曲を手がけている。ヒャダイン名義で歌手活動も行っており,5月9日(水)には4thシングル「Start it right away」(TVアニメ「黒子のバスケ」のEDテーマ)を発売予定。2012年1月からテレビ朝日系列「musicる TV」のMCを務めるなど,地上波タレントとしての一面も見せる
「ヒャダインのチョベリグエブリデイ」

「ニコニコ動画」が大好きで
ヒャダインに会ってみたかった(田中氏)

4Gamer:
 今日はよろしくお願いします。
 いちおう,こういう流れを考えてみたんですが……(と,想定している話題を書いたメモを田中氏に渡す)。

田中公平氏(以下,田中氏):
 あ,とりあえずね。そんなのなくていいです。

4Gamer:
 (´・ω・`)

前山田健一氏(以下,前山田氏):
 (爆笑)。

田中氏:
 いやもうね,今日は前山田君に会っていろいろ聞いてみたかったんですよ。

4Gamer:
 田中さんから前山田さんに「会いましょう」という連絡をされたんですよね。それが今回の対談につながったという。

前山田氏:
 そうなんです。直接お目にかかるのは今日が初めてなんですけど,とある方を介してちょっと前からメールのやりとりだけはさせていただいていまして。
 で,田中さんから「会いましょう」という声をかけていただいたんですが,その場限りで終わらせてしまうのはもったいないと思って,4Gamerさんで対談という形にしてもらいました。

4Gamer:
 急にそのお話をいただいたときは,正直なところびっくりしました。
 そもそも田中さんは,何をきっかけに前山田さんに興味を持たれたんでしょうか?

田中氏:
 私はネットの巡回をよくしますし,「ニコニコ動画」も大好きという,著作権者には珍しいタイプなんですね。

4Gamer:
 確かに著作権者の中には,苦々しい思いをしている人も多いと思います。

田中氏:
 でもね,他人の著作物を勝手に使うな,権利を守れ! ってどんなに声を上げても,この流れは止められないですから,使ってもらったうえで,それが新しい文化の創造につながったり,新たなプラットフォームが生まれたりして,そこから少し印税が入ってくるようなシステム作りをしたほうがいいと思うんです。

4Gamer:
 ただ規制を厳しくするだけではなく,プラスに活用するべきということですね。

田中氏:
 ……っていう話を,著作権協会で分科委員になっていた時期に言い続けていたら,クビになっちゃったんですけど(笑)。
 で,そんな中で前山田君はヒャダインという名前で凄く面白いことをやっていたんです。当時はヒャダインという奴の素性が分からなかったので,誰だこいつ? 訴えられたらどうすんだ? なんて思いながら見ていて。その頃から一度会ってみたいと思っていたんですが,その正体が前山田健一君だというじゃないですか。
 前山田君といったら,「ワンピース」の「Share the World」を書いたイヤな奴じゃないか! って(笑)。

前山田氏:
 そんな!(笑)

4Gamer:
 ワンピースの最初の主題歌を作ったのは田中さんでしたね。

田中氏:
 まあ,それ以外に作ってるものも凄くセンスがあると思っていたら,今度は歌まで歌い始めてね。「カカカ」(※「ヒャダインのカカカタ☆カタオモイ-C」)って。こっちは,「ガガガ」(※「勇者王ガオガイガー」の音楽を田中氏が担当していた)ですからね。ガガガ対カカカが,今回のテーマ(笑)。
 それでまあ,ヒャダインと前山田君が自分の中で一致したあと,ネットで調べていったら,大阪星光学院の出身だということが分かったんです。私と同じ母校なんですよ。そこからさらに調べていったら,上山善治郎先生の教え子だったという。

前山田氏:
 えええええ? あの上山先生ですか?

田中氏:
 その上山先生です。先日も会ってきて,前山田君の話もいっぱい聞いてきましたよ。

前山田氏:
 上山先生,もうけっこうなお年ですよね?

田中氏:
 今,68歳だけど,65歳で定年となってからも,嘱託という形で週に3回,地理を教えてらっしゃいます。
 でね,上山先生が一番最初に担任として受け持ったクラスに,私がいたんです。17期でね。だから上山先生は,私達の学年のことは全員覚えているんですよ。先生も当時はまだ教職に就いて3年目ぐらいで,僕らとは10歳しか離れていないんで,アニキみたいな感じでした。

前山田氏:
 僕は44期ですし,さすがに当時の上山先生もアニキっていう感じではありませんでした。

田中氏:
 時々,飲みに行くんだけど,「今度は前山田も呼べ」と厳命されているので,いずれ連絡します。 

前山田氏:
 僕のこと覚えててくれました?

田中氏:
 さすがに長いこと教師をやっているから,受け持った全生徒のことは覚えてないそうですが,「あいつ京都大学行ったよな。頭良かったで」って言ってましたね。

前山田氏:
 覚えていてくれたんだ!

田中氏:
 上山先生に「今度,前山田が同じ業界に入ってきまして」って言ったら,そのことも知ってました。

前山田氏:
 意外ですねぇ。びっくりしました。僕も上山先生は好きだったんで,本当に嬉しいです。

田中氏:
 「担任だったわけじゃないんだけど,前山田はええ奴だから,面倒見たって」ともおっしゃってましたよ(笑)。

4Gamer:
 では今日は,音楽家としてだけでなく中高の先輩から,後輩に向けてのアドバイスなども聞かせていただけそうですね。

前山田氏:
 ぜひ,よろしくお願いします!

ニューヨーク滞在時に起きた同時多発テロ
そのとき音楽で人を楽しませようと決めた(前山田氏)

田中氏:
 前山田君は東京に出てきて何年目ですか。

前山田氏:
 大学を卒業してすぐにこっちに来たので,かれこれ10年ぐらいになります。

田中氏:
 何か,つてがあって上京してきたんですか?

前山田氏:
 かつて,作詞家の松井五郎さんに師事していまして……。

田中氏:
 え。なんで作詞家の松井五郎先生に?

前山田氏:
 大学4年のときに週に一度一時間だけ,作曲講座に通っていたんですが,そこの先生が「あなた面白いから,東京の作詞家を紹介してあげる」って言ってくれたんです。それが上京のきっかけですね。
 当時,松井さんには作詞を教えてもらうというよりも,業界のルールやクリエイターとしてのありかたなどを教えていただきました。口の聞き方や挨拶の仕方から始まり,〆切りまでにできるだけ多くの曲を書くという姿勢に至るまで。

田中氏:
 それは貴重ですよ。うちの若手にも聞かせたいね(笑)。

前山田氏:
 僕はそれを教えてもらえたので,凄くラッキーでしたね。今でもその教えが役立っていますから。もし松井さんに出会っていなかったら,「どうして誰も評価してくれないんだ?」って腐って終わっただけだったと思いますし。

田中氏:
 でもなんで最初,作曲講座に通おうと思ったんですか?

前山田氏:
 大学3年の夏休みに,ニューヨークに行ってミュージカルをさんざん見ていたんです。凄く良かったなぁ,楽しかったなぁと思っていたんですが,帰国する前日に,アメリカで同時多発テロ事件が起きて,そこから一週間,帰国できなかったんですよ。
 とにかく周囲は物々しい雰囲気に包まれているし……,僕はブロードウェイの安いチケットを買うためにWTCに入っていた「TICKETS」にも通ってましたし……。そのときに自分の人生について初めてちゃんと考えたんです。

田中氏:
 まあ,そんな経験したら考えるよなぁ。

前山田氏:
 帰国予定がもう少しあとだったら,あの日も普通にWTCに行って,そこで死んでいたかもしれないんですよ。そういう思いと,ミュージカルの素晴らしさの影響で,音楽で人を楽しませる仕事をしたいな,と。

田中氏:
 その日までは,どんなミュージカルを見ていたんですか?

前山田氏:
 「オペラ座の怪人」や「ライオンキング」なんかも見ましたが,繰り返し見ていたのは,「レント」ですね。8回か10回ぐらい見ました。

田中氏:
 レントは,「ラ・ボエーム」が下敷きとは思えないぐらいのものになってますよね。ジョナサン・ラーソンが一人で書いているとは思えないほど,いろんな曲があって。

前山田氏:
 脚本も演出も全部一人でやって……。

田中氏:
 でも初演の直前に死んじゃってね。

前山田氏:
 ええ。そういうものが黒人のもの凄い声量で歌われると,なぜか自然と涙が流れてくるんですよ。あの体験は強烈でした。


顔が良くて,踊りが上手くて歌が上手くて演技が上手い
あいつらおかしいんですよ(田中氏)

田中氏:
 アポロ・シアターでゴスペルは見ましたか?

前山田氏:
 ええ,見に行きました。

田中氏:
 前山田君が行った頃は,そんなに治安は悪くなかったと思うけど,私が行っていた頃は大変だったんですよ。地下鉄は24時間走ってるんですけど,危なくて乗れたもんじゃないから,歩くかエクスプレスバスで移動するしかなくて。

前山田氏:
 アポロ・シアターはハーレムにありますからね。治安がなかなか……。

田中氏:
 そう。160~170丁目ぐらいがハーレムで,200丁目ぐらいがリバーデイルっていう高級住宅街で,そこに日本人の友達が住んでいたんです。なのでその友達の家を拠点にブロードウェイへ通ったんですよ。……26歳の頃だから30年ぐらい前だ。

前山田氏:
 バークリー音楽院に通われていた頃ですよね?

田中氏:
 そうそう。2年半通っていたからね。学校はボストンにあって,平日はそこに通い,週末になるとグレイハウンドのバスに4時間半乗ってニューヨークへ向かうんです。朝の5時か6時ぐらいに8丁目に着くんだけど,もう本当に治安が悪い。なんせ,「ウエスト・サイド物語」の舞台になるぐらいだから。

4Gamer:
 ギャング団が常に抗争を繰り広げているような。

田中氏:
 まさにそう。で,そこからリバーデイルに行くんだけど,バスが動いてないから歩くしかないんです。明け方だっていうのに,たき火しているガラの悪そうなのがいてね。目を合わせたら殺られる! って冷や冷やしながらそーっと抜けて,角を曲がったところで全力疾走して……で,7丁目ぐらいまで行けば比較的安全になるんです。
 そこでコーヒーハウスに入って時間を潰してから,リバーデイルの友達の家まで行くんです。で,夕方になるとそこを出て,ミュージカルを見に行くという日々だったんですよ。

4Gamer:
 危ない思いをしてでも,見るべきものがたくさんあったということですよね。

田中氏:
 「コーラスライン」「エビータ」「レ・ミゼラブル」あたり,全部見てますよ。

前山田氏:
 いいですね,羨ましいです。
 僕はブロードウェイミュージカルが本当に大好きなんですけど,何から何までレベルが高いんですよね。

田中氏:
 顔が良くて,踊りが上手くて歌が上手くて演技が上手いっていうね。あいつらおかしいんですよ(笑)。

前山田氏:
 そう。僕は「あ,何も適うものがない」って打ちのめされもしたんです。

田中氏:
 一個一個が適わないんだからね。
 しかも,曲もいい。こんな曲,私に書けるかな? って思ったし。

前山田氏:
 でも僕は,そんな人達を見て,日本で自分もそういった存在になりたいな,みたいに思ったんです。それでとりあえず,自分の好きなことで名を上げたいと考えて……。

田中氏:
 そのとき,パフォーマーは目指さなかったの?

前山田氏:
 それはなかったですね。そんな自信はありませんでしたし。
 それに僕,就職活動にも乗り遅れていたんですよ。

田中氏:
 そら,大学3年でそんなことしてたらなぁ(笑)。

前山田氏:
 ですね。なので,そのときに初めて「音楽だな」って思ったんです。

田中氏:
 それにしても,大阪星光学院に通わせて,京都大学にまで入った息子が,音楽をやるなんて言い出したら,親御さんも驚かれたでしょう。

前山田氏:
 いや,それがそうでもないんです。親とたこ焼きをつついているときに,「あんた,将来どうするん?」と聞かれて,「とりあえず東京にでも行って音楽やろうかなと思ってる」って言ったら,「あ,そうなんだ」で終わりました。

田中氏:
 はー,そんな簡単に。何屋さんなの?

前山田氏:
 カメラマンなんです。

田中氏:
 あ,じゃあ大丈夫かな(笑)。

4Gamer:
 これがもう少し堅い職業だったら,ひと悶着あったかもしれないですよね。一般論ですけど。

前山田氏:
 ですね。しかもうちの親は石垣島から大阪に出てきて,子供を授業料の高い学校に通わせてくれたので……感謝しかありません。


好きなことを仕事にしましょう
あとから好きになってもいいから(田中氏)

田中氏:
 大阪星光学院っていう学校は,医者の息子が多いんですよ。私もそうなんですけど。

前山田氏:
 本当に多いですよね。

4Gamer:
 そこから多くの生徒が医大に進むタイプの進学校ですね。

田中氏:
 私の頃は,まだ医者の息子ばっかりってわけでもなかったんですけどね。もっといろんな家の子がいて。
 そうそう,去年の10月に中学3年生から高校3年生までを集めた講演会を,母校でやってきたんですよ。ピアノを弾きながら「ウィーアー!」を歌ったりして。それを見た上山先生が,「あんたのだけや,誰も寝えへんかったの」って言ってくれましたね。
 ほかの人の講演ではみんな寝てたらしいんですけど,私は寝そうな奴が見えたらピアノを弾いて一緒に歌わせますから(笑)。

前山田氏:
 そりゃ,あんなキラーチューン出されたら目も覚めますよ!

田中氏:
 そのときの生徒達は,1/3ぐらいが医者の息子だったんですけど,そこで私は,「医者の息子として生まれたけど医者にならなかった」っていう話をしたんです。
 そこで,「自分が本当に医者になりたいんだったら,努力してなればいいと思う。でも,ほかにやることがなくて勉強ができるからとりあえず医者になろうなんて思っていたら,それは大きな間違い。医者っていうのは人の命に関わるんだぞ。お前ら,その覚悟はあるのか?」って話をしたんです。

前山田氏:
 息子を医者にしようと思って学校に入れた親御さん達にとっては,とんでもない講演者ですね(笑)。

田中氏:
 先生達は焦ってましたけどね(笑)。
 そうしたら,私と同期の奴の息子もそこにいたらしくて,メールが来たんですよ。「お前,凄いこと言ってくれたな。えらい考え込んでるよ,うちの子供」って。でも,その子供からは「僕も一度考え直そうと思ってます」ってお礼のメールが来てね。

4Gamer:
 そこで考え直して,やっぱり医者になろうと思えた子であれば,きっと,しっかりした医者になれそうな気がします。

田中氏:
 だと思います。早い段階でそういうことを悩まないで,とりあえず勉強ができるからってんで医者になったって,そっからがしんどいですからね。

4Gamer:
 田中さんも医者の家系だったわけですよね。それなのになぜ,音楽の道に進もうと考えたんですか?

田中氏:
 後付けの理由なんですけど,私は命に関わることより,心に関わることをやりたかったんです。きっと。
 だからあのとき,命に関わる覚悟のほうはできなくて,医者にはなれないと思ったんですよ。

4Gamer:
 そのとき,ご両親の反応はいかがでしたか?

田中氏:
 もちろん,反対はされました。代々繁盛していた病院の子として生まれて,しかも男は私だけだったんです。だから私を医者にするために,あの学校に通わせてくれていたんですよね。

前山田氏:
 ですよねぇ……。

田中氏:
 でも東京藝術大学に行きたいと言ったら,納得してくれましたね。そのときに聞いたんですが,うちの親父は新聞記者になりたかったらしいんです。でも祖父からの許しが出ずに,医者になったと。だから「俺と同じ思いをせんほうがええ。ホンマにやりたいんやったら,やれ。その代わり,日本一の作曲家になれ」って。

4Gamer:
 もしもあのとき医者にならずに新聞記者になっていたら? という思いが,どこかにあったのかもしれないですね……。

田中氏:
 ね。そういうことは口にしない人でしたけど。
 それに私が作曲家としてはまだまだの時期に,親父は死んじゃったんで,そんな話はそれっきりになっちゃってね。

前山田氏&4Gamer:
 ……。

田中氏:
 それでね,その講演のときに,もう一つ,「好きなことを商売にしましょう」という話もしたんです。実際のところ,この世の中で好きなことを仕事にできている人は凄く少ないですよね。

4Gamer:
 ですね……。

田中氏:
 でもね,あとで好きになってもいいんですよ。

前山田氏&4Gamer:
 それだ。

田中氏:
 あの学校に通っている子達が親の望むとおりに医者になったとして,最初は医者という仕事が好きかどうか分からなくても,やってるうちに好きになれればいいんです。

4Gamer:
 責任感といったことだけではなく,もっと積極的に仕事に誇りを持つとか,その仕事をしている自分に自信を持つとか,そういうことが大事なわけですよね。

田中氏:
 そう。それで一番いいのは,朝起きたときに,「ああこの仕事をしていて良かった。仕事場に行くのが楽しくてしょうがない」と思えること。そういう人生を送りましょうという話をしたんです。

前山田氏:
 僕もなるべくそういう気持ちでいたいんですけど,それでも理不尽な手直しなんかがあると,なかなか……。

田中氏:
 そういうときはね,ちゃんと戦うんです。
 もちろん,クライアントの言うことが正しければ,ちゃんと書き直しますよ。こちらの考え方が間違っていたのであれば,それは素直に従わないといけません。でも,理不尽なら戦うんです。

ほかの人がやらないことをやったほうが,絶対にいい
だから,アニメの音楽を作ろうと思った(田中氏)

田中氏:
 話は変わりますけど,前山田君は,何で音楽を始めたの?

前山田氏:
 小さい頃,姉がピアノを習っているのを見て,マネして弾いていたんです。それが楽しくて,「僕にも習わせてくれ」ってお願いしました。ある程度弾けるようになってからは,歌謡曲とかアニメやゲームの音楽を耳コピして遊んだりして。

田中氏:
 なるほどなるほど。
 私は,クラシックピアノは小学校6年のときに先生とうまくいかなくなって,あとはずっと耳コピで弾いてましたね。高校に入ってから,受験のためにまた習ったりはしたんだけど。

4Gamer:
 田中さんの頃だと,どんな曲を耳コピしていたんですか?

田中氏:
 いろいろ弾いてましたよ。歌謡曲も。南 沙織やら天地真理やら。だから,筒美京平先生の曲はコード進行も全部分かってます。
 でも,超クラシック派でもあるので,ワグナーなんかも聴いてました。大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会に行って,座席でスコア見ながら聴いているような,イヤな子供でしたよ(笑)。

4Gamer:
 あー,いましたね。僕の同級生にも,同じようなことをやっていた,寺の息子がいます。

田中氏:
 医者の息子とか寺の息子とか,まったくそこら辺はなぁ(笑)。
 で,前山田君は私の曲だと,どの辺から知ってるの?

前山田氏:
 「エスパー魔美」とか「ドラゴンボール」ですね。

田中氏:
 そうか。今度,岩男潤子さんと一緒にコンサートをやるんだけど,そこのバンドマスターをやっている川村 竜君っていのがいてね。彼が一番最初に死ぬほど感銘を受けたのは,ドラゴンボールの「摩訶不思議アドベンチャー」のイントロだって言ってましたね。

前山田氏:
 あ,分かります。イントロからエネルギーが充填される曲なんですよね。

田中氏:
 川村君は,この曲のせいで音楽の道に入ることになったそうです。「田中先生の責任です」なんて言われました。
 それにしてもあの時代に,あんなことをよくやったと自分でも思いますよ。まだ打ち込みが使われるようになったばかりの頃ですから。しかも,あれは私も半分ぐらい,自分で打ち込みもやってるんですよ。
 でもみんなが打ち込みをやるようになってからは,自分でやるのはやめました。マニピュレーターに任せることにして。どうしたって,時間がかかりますからね。

前山田氏:
 ああ,分かります。自分で全部やろうとすると,時間がいくらあっても足りなくなるんですよね。

田中氏:
 それでね,みんながシンセミュージックに向き始めたときに,私は本気でアコースティックに切り替えたんです。ほかの人がやらないことをやったほうが,絶対にいいだろうと思って。
 もともと,アニメの音楽を作ろうと思ったときも,そっちをやっている人がほとんどいなかったからなんですよ。そこに割って入って行けば,ほかの人達とは違う仕事ができるという自信もありましたしね。

4Gamer:
 アニメが好きで,アニメの音楽を作りたい! というわけではなかったんですね。

田中氏:
 そう。自分に能力があると信じていたから,それをどこで発揮しようかと考えたんです。でも,演歌だったらどこかの先生の弟子になって10年ぐらい下積みをやらないといけないだろうし,歌謡曲だとプロダクションの力が大きいから,音楽だけで決まることが少ないだろうと。
 そう考えていくと,映画の劇伴なら実力だけでいけそうだと思ったんですが,当時の日本の映画には壮大なものがなくて,魅力を感じなかったんですよ。

4Gamer:
 かつての邦画は,日常の風景を淡々と描くようなものも多かったですしね。

前山田氏:
 小津テイストな。

田中氏:
 ね? でも,よく考えてみると,アニメなら壮大なことができるし,オーケストラだって使えるわけだから,ハリウッドに行く前にこっちで修行したら,向こうからお呼びがかかるかもしれないって思ったんです。
 今は別にハリウッドに行かなきゃいけないなんて思ってないですけど,当時はいつかはハリウッドで書かなきゃいけないと思ってましたし,書くべき人間だとも思ってたんですよ。だから,それに向けて,ここで頑張ろうと。

4Gamer:
 最初から目標のスケールが大きかったんですねぇ……。


もう僕はダメなのかな……と思っていた時期
ニコニコ動画が始まった(前山田氏)

田中氏:
 で,前山田君は音楽の仕事でいつ頃から食えるようになったの?

前山田氏:
 ここ2~3年です。おかげさまで。

田中氏:
 それまでは?

前山田氏:
 家庭教師とか居酒屋でバイトしてましたね。
 松井先生の元を離れてから,作曲家事務所をインターネットで検索して,デモテープを送ったらすぐに所属させてもらえたんですが……とにかく仕事が決まらなかったんです。コンペがあると聞くと,すべてのコンペに2曲ずつは書いて提出していたんですが,何の反応もなかったんですよ。

田中氏:
 聴いてくれてるかどうかも分からないよな。コンペの俎上に載ってるかどうかすら。
 そういうときって,事務所の力もある程度あるから。

前山田氏:
 そうなんです。事務所力,政治力というのも必要なんだなと。
 で,もう僕はダメなのかな……と思って,その事務所を辞めて,これからどうしたらいいんだろう? と悩んでいる時期に,「ニコニコ動画」が始まったんですよ。
 当時のニコニコ動画は無法地帯で,他人の著作物そのままの違法アップロードばっかりだったんですけど,次第に二次創作的なものも目立つようになってきたんです。それらが案外レベルが高くて,面白そうだなと思って,自分でもやってみたんです。

4Gamer:
 それで生まれたのが,ヒャダインなんですよね。

前山田氏:
 ええ。自分の力……とくにアレンジ力というものに自信が持てない時期だったので,とりあえず自分が昔遊んでいたゲームの音楽をアレンジして,どんな反応があるか試してみたかったんです。
 なおかつ,遊びながら想像していた物語を歌詞にして,歌モノにしてみようと。
 ……でも歌ってくれる人間がいないんですよ。

田中氏:
 そりゃ,自分で歌うしかない。

前山田氏:
 そうなんです。女性ボーカルの曲を作ってみても,女性を呼べるような環境じゃありませんでしたからね。六畳間の汚い家で,ネズミが走っている音が聞こるような。実際,ネズミにレトルト食品を食い散らかされたこともありますからね。

4Gamer:
 よっぽどのネズミ好き女性でも見つけないことには,どうにもならないですね。

前山田氏:
 だから自分で歌って,その録音した声のピッチを上げて……っていうことをやったのが,結果的に良かったんでしょうね。

田中氏:
 フォーククルセダーズや,あんしんパパ以来かもしれないな。うまくいったのは。ピッチを上げると,みんな一緒に聞こえちゃうから,曲自体に相当なオリジナリティがないと面白くはならないんですよ。……ボーカリストとしては初音ミクと一緒です。

前山田氏:
 ですね。僕が初音ミクを使わないのは,自分でヒャダル子という女性声が出せるからというだけであって,最近の若い子達が初音ミクを使う理由もよく分かるんです。

田中氏:
 分かる分かる。

4Gamer:
 自分で歌いたくないし,歌ってくれる人もいないし,だけど曲は作りたいという人にとって,ボーカロイドの存在は福音だったでしょうね。

田中氏:
 初音ミクといえば,昨年ボーカロイドの開発者とドイツのコンベンションで話す機会があって,そのときにボーカロイドのアイデアって,「フィフス・エレメント」のオペラシーンからでしょ? と聞いたら,やっぱりそこから始まったって言ってましたよ。

前山田氏:
 リュック・ベッソンですね! すげえ。

田中氏:
 だからもしかしたら,ボーカロイドの未来は,ああいうことにもなるんじゃないかとも思うんですよ。日本語版だけじゃなく海外の言語版も開発しているらしいんで,それも楽しみですね。出し惜しみしないで,いろいろな言語や,シャウトもできるロック系や,クラシック系なんかも揃うと,もっと面白くなるし,プロだって使いたくなるし。

4Gamer:
 100人のクラシック系ボーカロイドによる合唱団とかも面白そうです。

田中氏:
 そういうこともできるからね。未来が楽しみだなぁって。


元ネタや作者への尊敬,そしてプライドが
パクリとオマージュの差を生む(田中氏)

4Gamer:
 ニコニコ動画の話題が出たので,お聞きしてみたいんですが……。
 いわゆる二次創作的なものにおいて,「パクリ」と「オマージュ」の差はどこから生まれるものだと思いますか?

田中氏:
 何から何までパクリパクリと目くじらを立てないほうがいいのかなと思いつつ,何にも考えていないパクリはいかんだろうというのは私にもありますね。自分なりに工夫してくれていれば,許そうって思えるんですけど。
 結局,元ネタやそれを作った人を尊敬しているかどうかですよ。それにね,誰かが作ったものを自分の名前でそのまんま出すっていうのは……自分自身のことも尊敬できてないでしょう。

前山田氏:
 プライドということでしょうか……?

田中氏:
 そう。プライド。
 つまり,他人が考えたものを自分のものとして出すわけでしょ。それって本来は恥ずかしい行為ですよね。でも,作った人を尊敬し,自分もプライドを持っていて,元ネタを自分なりに一度吸収して噛み砕いてからアウトプットする分には,何でもOKだと思います。何をしてもね。

前山田氏:
 安直すぎるのはダメだってことですよね。リスペクトがないと。

田中氏:
 すでにあるものから,適当にちょいちょいつまむ感覚は,プロとしてはダメでしょう。アマチュアだったら,まだいいです。それで商売しているわけじゃないし,好きなものを自分なりの作品に落とし込む能力なんてないんだし,世間もその程度の人なんだと思うわけですから。

4Gamer:
 ところが最近は,それで小規模ながら商売になってしまうケースもあるようです。

田中氏:
 コミケとかね。二次創作自体,決して悪くないとは思っているんですけど,そこまでやるのはどうかな? というのは,ありますね。

4Gamer:
 でも,そこの線引きは難しいですよね。

田中氏:
 そこから著作権料をとるのか? というのもね。例えば,盗作されたとなって,適正な形で著作権料をいただこうとなると,下手したら裁判までしなきゃいけなくなりますからね。

4Gamer:
 裁判にかかる費用やら期間を考えると……。

田中氏:
 そんなの面倒だし,過去にプロ同士がその手のしょうもない裁判もやってたしな(笑)。

4Gamer:
 ああ……,何のことかは分かります。

田中氏:
 まあいいや(笑)。
 前に自分のブログにも書いたんですけど,ポール・マッカートニーが「Yesterday」を作ったとき,あまりにも素晴らしい曲が出来たものだから,どこかで聴いた誰かの曲を知らないうちに盗んでしまったのかもしれないと思い,学生アルバイトを数十人雇って1か月かけて,20年ぐらいの間に発表された楽曲を全部調べさせたけど,似た曲がなかったそうなんです。で,それなら発売しようということにしたらしいんです。
 これはさすがに極端な例ですけど,それぐらい慎重になったほうがいいんですよ。盗作を指摘されたときに「第一感で自分で考えたものです! だから偶然です」なんて弁解するんじゃなくて。

前山田氏:
 でも,危険なんですよね。好きで何度も聴いている曲の場合は,似たものが出来てしまったときに自覚できるんですけど,街中で一回だけ聴いたものとかの影響が,いつの間にか出てしまうことは確かにあって。

4Gamer:
 何となく聴いてしまって,それが残ってしまって……という。

田中氏:
 罪の意識がある分にはまだマシかもしれないですけど,潜在意識に刷り込まれているからといって,「これは俺の曲」なんて言ったらダメですよ。それは,ただの無知だから。

シンガーソングライターの登場以後
プロの作曲家が減った(田中氏)

4Gamer:
 無知を自覚するか,それとも無知であることに気付くこともなく開き直るかは,同じ無知でも大きな差がありますね。何事においても。

田中氏:
 多くの日本のミュージシャンの悪いところが,それなんです。まだアマチュアリズムから抜け出してない。
 その理由は,プロの作曲家がいなくなったからなんですよ。例えば筒美先生みたいなね。筒美先生は,どこかで聴いたことがあるようなフレーズをたくさん生み出しているんですけど,全部,自分なりに昇華してますからね。あれならOKだと思うんです。

前山田氏:
 筒美節というものがありますもんね。

田中氏:
 そう。今の若いミュージシャンなんか,どこかで聴いたことのあるようなものや,あからさまに元ネタと同じものを堂々と発表していることがありますが,そもそも元ネタの存在を知らなかったりするんですよ。
 プロの作曲家がいなくなって,こういう状況になってしまっていることを,私はもの凄く寂しく思っています。

4Gamer:
 1970年代後半あたりから,歌手にしろバンドにしろ,作詞や作曲は専門の人達が手がけていた時代から,誰もが自分で作った歌を歌う時代に移り変わってきたと聞きます。

田中氏:
 シンガーソングライターの登場が,一つの契機だったでしょうね。だから今でも,昔から人気があるシンガーソングライターが,昔と同じような曲を書いて歌って,同じファンだけが買うっていう循環になってしまっているんですよ。
 本来,歌唱力のある人は,いろんな作曲家にいろんな形のプロデュースをしてもらって,違う世界を開いていくほうがいいんです。それは世界中で,今でも行われていることなんですから。

前山田氏:
 ですね。マドンナなんかもそうですし。

田中氏:
 レディー・ガガだってそうでしょう。自分で書いている曲も多いけど,いろんな腕利き達とコラボしてるじゃないですか。

4Gamer:
 考えてみると,今の日本では自分で作詞や作曲ができるほうが,ミュージシャンとして上という空気はありますよね。
 一方,アニメソングやアイドルソングでは,昔ながらにいろんな人が曲を書き,プロデュースをし……という形が残っているような気がします。

田中氏:
 ええ。日本でCDが売れなくなったということの一つの原因として,音楽を作るプロがいなくなったというのは,大きいことだと思うんです。でも,アニメの世界と劇伴の世界では,まだプロが生き残っていますから,少しだけ未来はあるんじゃないかと思っています。
 ただ……声優さんが誰も彼も自分で全部曲を作りますって言い出したら,こっち側も終わりでしょうね。

前山田氏:
 僕は作曲だけじゃなくて作詞もやるんですが,歌詞についても当てはまるところがありますね。
 これは僕ではなくて,とある音楽プロデューサーの言葉なんですけど,「最近のシンガーソングライターは,発信したい気持ちも,内面に深いものも持っているんだけど,言葉を持っていない」と話していたんですね。だから,「作詞サポートという職業,作詞ディレクターという職業を設けるべきだ」と。
 僕もこれを聞いて,本当にそのとおりだと思いましたし,今でもそうだと思っているんです。

田中氏:
 かつてのシンガーソングライターの歌詞には,ちゃんと意味がありましたからね。どうしようもないのもあったけど(笑)。
 まあ確かに,シンガーソングライターには,作詞ディレクターや作曲ディレクターが必要かもしれない。

前山田氏:
 ここのコードをちょっと変えたり,一音変えたりってことをするだけで凄く良くなる曲っていうのは,実際にいくつもありますから。

田中氏:
 プロが少なくなっているというのは,そういうことを分かる人が減っているということなんです。
 それに,正統的なプロも減っているんですよね。ミュージカルを聴きに行くと,やっぱり凄くうまいんですよ。この転調痺れるなぁとか。プロってこういうもんだなって思うわけです。そういう人材が,日本から減ってしまったなぁ。


前山田君はセンスがあるんだから
もっと勉強して幹を太くしたほうがいい(田中氏)

4Gamer:
 そういったプロとしての観点から見て,田中さんは前山田さんの手がけた楽曲をどのように評価していますか?

田中氏:
 面白いよね。

前山田氏:
 ありがとうございます!

田中氏:
 ただ,変化球が多いのは,ね。昔の手癖からきてるだろうから,しょうがないのはよく分かるんですけど。

前山田氏:
 ですね……変化球ばっかりです。

田中氏:
 だから前山田君があと10年,20年先も音楽で生き残っていきたいのなら,もっと正統なクラシックやジャズなんかの凄いものを,たくさん聴き込んだほうがいい気がするね。
 今でもこれだけセンスがあるんだから,幹の部分を太くしたほうがいい。幹を太くしないで,枝で勝負している人は,大体立ち枯れしますよ。今はまだ,枝だけで勝負してるでしょう。

前山田氏:
 おっしゃるとおりです。その枝も枯れかかっていて,生えてこない状態になってきているので,とりあえず切り刻んだ枝で何とかしてるんですけど,この先を考えて幹の部分をどうしたらいいのかって,よく考えているところなんです。

田中氏:
 修行期間が少し短いというのもありますね。

前山田氏:
 確かにそうかもしれません。

田中氏:
 うちの若い奴には,こう言うんです。「デビューのときまでに,もの凄く大きな袋を背負っておけよ」と。
 袋の中に自分の書きたいものとか情熱とか勉強したものとか根性とかセンスとか,そういうものをドーンと一杯ためておいて,いざ仕事となったときに,その袋から出していきなさいと。仕事をしながら,袋の中身をもう一度詰め込んでいくのは,とてもしんどい作業ですから。まあ,本人が気付かないと,いくら言ってもしょうがないんですけど。

前山田氏:
 まったく同じことを,松井先生からも言われました……。

田中氏:
 だから私は,デビューなんて遅ければ遅いほうがいいとすら言ってるんです。

前山田氏:
 先ほどもお話ししたとおり,僕がこの仕事で食っていけるようになったのって,28歳ぐらいからなんですね。今だから思えるんですけど,22~23歳ぐらいで,作曲家としてお金を稼げなくて結果的に良かったなとは思っています。

田中氏:
 それができていたら,今頃はもう作曲家じゃないかもしれないな。きっと,ニコニコ動画に投稿しようなんて思わなかっただろうし。

前山田氏:
 ええ。それもありますし,何にしても独りよがりになっていたように思います。
 食えなかった6年間は,ずっとバイトをしていたんですが,その時期に初めて,自分が生まれ育った環境とは異なる環境で生きている人達に出会い,知らなかった世界や価値観に触れることができたんです。とにかく,いろんな部分でカルチャーショックを受けましたね。
 それまで自分がいかに狭い範囲でしか生きてこなかったのかを思い知ることができたので,今にしてみればあの期間は本当に良い経験だったと思っています。

田中氏:
 それはいい経験をしましたね。でも,もっと下積みがあっても良かった。

前山田氏:
 そうなんですよね。音楽の学校を出ていないので,音楽的なインプットはどうしても少なくて,根っこがしっかりしていないんです。


この3年間,必死にできることをやったあと
ニューヨークへ行きます(前山田氏)

4Gamer:
 常にアウトプットしながら,ちゃんとインプットもし続けるというのは,なかなか難しいものですよね。アウトプットの量が多いほど,インプットしたい量も増えていくのに,時間だけは有限で。

田中氏:
 私と一緒にワンピースの曲を書いてる浜口史郎君の場合は,藝大を出てビクターに入って,私と同じ事務所に入ってという,私と同じような道を歩んでるんですけど,作曲家として7~8年目のとき,食っていける状態になっていたのに,2年間バークリーに留学したんですよ。そういうのも,アリじゃないかな。
 まあ,彼がバークリーに行ったのは,私のせいだけどね。「ジャズを知らないんだったら,バークリーでいろいろ習ったほうがいいよ」みたいな話を常々していたら,全部の仕事を休んで本当に行っちゃった(笑)。

4Gamer:
 もう一度学びたいと思っても,実行に移せるのはそれだけで凄いことですよね。とくに生活の面で。

田中氏:
 浜口君の場合,ワンピースの印税があったから何とかなったって言ってましたけどね。まだ結婚もしてなかったし。
 というのも,彼が向こうに行っている間も,私は日本でワンピースを続けていたし,その間,彼の書いた曲が使われることもあるわけです。そうなると,その分の印税も発生するんですよ。だから,「公平さんのおかげです。ありがとうございます」って言ってましたね。
 そして2年経って帰ってきて……凄く良くなりましたね。ジャズ的なものも書けるようになったし。そういう意味で,彼にとってあの2年間は大きなものだったんでしょう。

前山田氏:
 行こうかなぁ……。

田中氏:
 あの,あれはダメよ。充電とかいうやつ。ニューヨークで充電してきます! ってやつ。

4Gamer:
 漏電しがちという。

田中氏:
 充電なんて低い志だったら,そりゃダメですよ。ただ向こうに住んでいるだけになって,日本では忘れ去られてしまうという。
 だから本当に学校に通うとか,誰かに師事するとかね。例えばジョン・ウィリアムスの弟子になるとか,ハンス・ジマーの工場にアシスタントとして入れてもらうとかね。そんな感じで2~3年行くんだったら,必ず意味がありますから。日本での2年やそこそこのキャリアって,別に大したことないもん。

前山田氏:
 ……行こうかなぁ。

田中氏:
 またけしかけちゃった(笑)。

前山田氏:
 僕もなぜかシンガーソングライターになってしまったんですが,そうやって表に出る仕事と裏方とを同時にやっていくことを考えたとき,すぐに飽きられて捨てられるんじゃないか? という怖さが常にあるんですよ……。でもそれは,自分が持っている袋の中身が足りないからなんですよね。
 だから今,決めました。 とりあえずこの3年間,35歳ぐらいまでは,ミュージシャン業とタレント業を,必死に頑張ります。そしてその後,ニューヨークに行きます。決めました。そういう人生設計にします!

4Gamer:
 あっという間に3年後の人生設計が出来てしまいました。

前山田氏:
 実は僕,向こう3~5年ぐらいの人生設計は常に考えているんですよ。2012年にはマンションを買おうと,26歳ぐらいから思っていましたし(笑)。

4Gamer:
 ある程度の具体的な目標を立てて,それに向けて努力をしていくタイプなんですね。堅実だ……。

前山田氏:
 いやもう,本当にニューヨークに行きます。そうします。ありがとうございます! 何か凄くスッキリしました。

4Gamer:
 それまでは,今あるものを出し切る方向で。

前山田氏:
 ええ。もう出し惜しみもせずに,今ある枝を全部切り落としていくぐらいの勢いで。今ある枝とか,生え始めた芽を一生懸命枝にしたりとかもしつつ。そのうえで,もう一つ次のステップに行くためには,これまでとはガラッと違う方向性にしたいです。

田中氏:
 そうだね。さっきから悪口ばっかりいってるけど,息の長いシンガーソングライターって,それだけ幹が太いんですよ。同じような曲ばかり書いていても,ちゃんとオリジナリティを保っているということは,それだけの幹があるんです。ただ,彼らには枝がないから,違うことができないだけで。
 前山田君には枝があるんだから,幹を太くする努力をすればいいんですよ。

前山田氏:
 そうですね。僕もこの業界で長生きがしたいですから。

田中氏:
 長生きするには,とにかく誰も寄せ付けないぐらいのオリジナリティを身につけることです。そして,この人ならこういう曲を書くというイメージを,業界内に確立しないとダメですね。そのうえで,毎回,「この人は挑戦しているね」「冒険しているね」と言われるような曲を作ること。つまり,一瞬聴いただけで「あ,これは○○が作った曲だ」と誰もが分かるんだけど,毎回ちゃんと違うことをやるというね。
 例えば私が書いた曲だと,ウィーアー!と「ウィーゴー!」を比べてもらったら分かると思うんです。12年の間に,同じテイストを残しながら違うことをやっているというのは,プロほど褒めてくれますから。

前山田氏:
 田中さんは,作曲家として仕事が来なかった時期はありましたか?

田中氏:
 そういう苦労はほとんどしてません。それは,デビューした時に,もの凄く大きな袋を持っていたからなんです。それと,仕事にも恵まれたし,人が少なかったというのも大きい。ほかにいないっていうね(笑)。

4Gamer:
 これまで膨大な量の曲を書き続けてきていらっしゃいますが,その大きな袋の中身が空になってしまうことはなかったんですか?

田中氏:
 私は今年で31年目なんですけど,たぶん20年ぐらいはもつ袋を用意できていたと思うんですよ。でも一度,本気で自分を変えようと思って,勉強をし直して,一曲にかける時間も長くしたんです。
 だから最初の15年で5000曲ぐらい書きましたが,あとの15年では3000曲ぐらいにペースダウンはしてるんです。でも,その分,一つ一つを濃くしようとしてきました。さすがに最近,袋の中身は尽きつつはありますが,その都度勉強するつもりでやってます。

前山田氏:
 本当に理想的ですねぇ……。

田中氏:
 いやぁ,うまいこと行きましたよ。
 それと私の人生で一番良かったのは,大ヒットが初めに出なかったことなんですよ。「トップをねらえ!」の作曲とか,ドラゴンボールの編曲とかは,みんな知ってますけど,それだけで食えるっていうものではありませんでしたからね。「勇者王ガオガイガー」だったり「バスタード」だったり「絶対無敵ライジンオー」だったり,中ヒットや小ヒットばっかりだったんです。それが17~18年続いて,そこでサクラ大戦やワンピースという大ヒットに恵まれて。要するに,後半に大ヒットが来ているんです。
 これが初めのうちに大ヒットが来てしまうんだと,あっという間に飽きられますから。みんなそうでしょう。

前山田氏:
 怖い……。イヤだ……イヤだ……。

田中氏:
 世間はもの凄い正直ですから。

前山田氏:
 正直で,残酷なんですよね。

田中氏:
 そう。でも,わりと公平でもあるんですよ。運不運はありますけど,本当に実力があったら,ちゃんといい時は来ます。

前山田氏:
 ですよね。だから幹を太くして,どんどん枝を張って,袋にぽんぽんぽんぽん貯めていかないと……。

田中氏:
 それができれば,きっと音楽家として長生きできますよ。

ファンに売れる作品だけでなく
子供達が最初に見るアニメを整備しなければ(田中氏)

4Gamer:
 ところで,田中さんは4年前から歌手活動をスタートしていますが,何か理由があったんでしょうか?

田中氏:
 私は,デモテープは自分で歌ってきたんですよ。以前,オペラ歌手の錦織 健さんに曲を書いたとき,デモテープを聴いた錦織さんが「先生がご自分で歌ったほうがいい」なんて言ってくれましたけど,そんなの私が歌って売れるわけがないことぐらい分かってます。最初から歌手としてやっていたら,今頃この業界にはいないでしょう(笑)。
 ただ,作曲家としてとりあえず形にはなったので,違うこともやろうかなと。で,歌手をやってみたら,コンサートやライブができるようになって,それが嬉しいんですよね。

前山田氏:
 分かります。それは大きいですよね。

田中氏:
 いろんな人とコラボもできますからね。去年はスウェーデンとドイツでライブをしてきたんですが,今年もあちこちに行く予定です。

4Gamer:
 世界を股にかけての活躍ですねぇ。

田中氏:
 海外にはまだまだビジネスチャンスがあるんです。例えばブラジルなんて,JAM Projectが大人気だし,串田アキラさんだってサンパウロ空港に着いたら2000人ぐらいのファンが待ち構えていて,「ダイレオン! ダイレオン!」って叫んでたそうなんです。それ,「巨獣特捜ジャスピオン」の戦艦の名前ですからね。何でそんなの知ってるんだって。

4Gamer:
 意外なものが意外な場所で受けているという。

田中氏:
 そういうのはほかの国でもいろいろありますからね。ドイツのコンベンションに呼ばれたときも,私一人のピアノリサイタルに2000人来てくれましたし。もちろん,コンベンションがあるからついでに来てくれた人も多いんでしょうけど,「サクラ大戦」メドレーを弾いていたらずっとシーンとしてて,最後に終わったらもの凄い歓声でね。みんな咳一つせずに真剣に聴いてくれていたんですよ。

4Gamer:
 音楽家が真剣に演奏していれば,聴衆も真剣に受け止めようとする,そういう文化がきちんと根付いていますよね。

田中氏:
 そうです。それと,ゲームとアニメの地位が日本より高いというのもあるでしょう。
 日本だと,「オタク」という言葉が流行りすぎて,ゲームやアニメをバカにするような空気が蔓延しているんですよね。世界ではリスペクトされているのに。だからいまだに,「なんでアニメの音楽をやってるんですか?」って言われますもん。

4Gamer:
 なんでアニメ「なんかを」という扱いですよね。

田中氏:
 年配の方はとくにね。若い人は,そういう偏見がだいぶなくなっていて,私がワンピースの曲を書いてるなんていうと,騒いでくれるんですけど(笑)。

前山田氏:
 最近は,アニメや声優,あとはアイドルなんかもそうなんですけど,わりと近い過去や現在にブームになっているからなのか,オタク文化に対する偏見はだいぶ少なくなってきたような気はします。

田中氏:
 でもアニメでDVDが売れるのは,“萌え”か“スタイリッシュ”のどっちかでしょ。全体的につまらなくはなってますよ。それもあるから,地位が向上しないというのもあると思います。

4Gamer:
 DVDやBlu-rayが売れる作品と,テレビで見ればいい作品って,本来は別の軸で評価していいものだと思うんですが,パッケージが売れるものが圧倒的に正しいみたいな雰囲気はありますね。

田中氏:
 「日常」も面白かったのに,パッケージでは売れなかったですし。

4Gamer:
 NHKでも放送されるなど,別の形の広がり方は見せたんですけど。
 結局,作品のジャンルや特性ごとに, パッケージの販売というだけではなく,適切な売り方を考える必要があるということなのかもしれません。

田中氏:
 そのとおりでしょうね。「サザエさん」をDVDで見ようとは,ほとんどの人が思わないじゃないですか。

4Gamer:
 凄く古いサザエさんと最近のサザエさんを見比べられるような商品だったら,ちょっと興味はありますけど。

田中氏:
 確かにそれなら見たいですね。それで,サザエさんを第1話から見る回とかやったら……どんだけ時間かかるのかな(笑)。
 でもやっぱり本当はね,ファンに売れるだけのアニメじゃなくて,無垢なままの子供達が最初に見る作品とか,そういうものをちゃんと整備してあげないといけないんですよ。だから名作劇場なんかは絶対に続けるべきだったんですよね。

4Gamer:
 一度終わらせてしまうと,再開は難しいですから。

田中氏:
 そう。あとは,「まんが日本昔話」。あれも必要なんですよ。どこの放送局でもいいから,ちゃんとやってほしいですね。
 いや,本当は僕らがやらなきゃいけないことなんです。これだけアニメ業界で仕事をさせていただいたんだから,恩返ししないと。そういうつもりで,「怪傑ゾロリ」の音楽は担当したんですけど,3年間いい視聴率だったのに終わってしまってね。

前山田氏:
 あれはいい作品ですよね。僕も怪傑ゾロリを読んで育ちました。でも確かに,ああいう作品は最近,少ないかもしれないですね。


「先生に全部お任せします」と言われたのに
「何か違う」と言われるのが一番困る(田中氏)

4Gamer:
 がらっと話題を変えさせてください。
 田中さんは,これまでたくさんの劇伴を手がけられてきていますが,その都度,具体的なイメージを共有してから作曲に取りかかるんですか?

田中氏:
 「以前の○○みたいな感じでお願いします」みたいなこともありますし,「先生に全部お任せしますよ!」と言われることもあります。ただ,ある程度,具体的なイメージを持って発注してくれたほうが,やりやすいのは確かですね。お任せしますと言っていたのに,作った曲に対して「何か違うなぁ」みたいに言われてしまうのが一番怖いです。何が違うのか,分からないんですから。

前山田氏:
 ありますね。お任せしますって言われたのに,「これは何か違う」っていうダメ出しって。

田中氏:
 初めに言ってくれれば,こっちもそれに合わせられるんですけどねぇ。
 それに私は劇伴の場合,めったにデモテープを提出しないので,そういうトラブルになる可能性も高いんですが,打ち合わせにはちゃんと時間をかけるんです。こういうの書きますけどいいですね? ここはちゃんと任せてください。これは遊びますからいいですね? ここはあなたの言ったような感じのものを作ります。みたいに。
 それでいて,少しだけ裏切るんです。そうすると先方は,発注したものと違うから「あれ?」って一瞬驚くんですよ。だけどそこで,「いや,確かにこっちのほうが面白い」って言わせるのが,作曲家冥利に尽きるんです。

前山田氏:
 常にサプライズを用意するわけですね。

田中氏:
 そう。だから,全然メニューにないものも書きます。で,これを使わなかったら怒るよ? って(笑)。

前山田氏:
 僕もそういうところがあるんですよ。一番最初に聴いてくれるのはクライアントですから,そこをまず驚かせたくて。

田中氏:
 そうそう。それをやらないとダメですよ。
 作曲家になったばかりの頃,2年ぐらいCM音楽の仕事もやっていたんですけど,そのときにそれを痛感しましたね。クライアントが「これ凄く面白い」って言わないと通らないんです。だけど,向こうの言ったとおりに書いていくと,「いいけど何か足りない」って言われる。

前山田氏:
 言ったとおりなのに(笑)。

田中氏:
 でもそういうときってね,一番偉い人が「いい」って言うまで,クライアントや広告代理店は「いい」とも「悪い」とも言わないんですよ。もし自分が「いい」って言っちゃっても,偉い人が「ダメ,やり直し」と言い出したら,そっちに従わないといけないでしょう。だから,ずっと様子を見て自分の意見を保留するんです。

4Gamer:
 いろんな仕事の現場で,頻繁に目撃できる事例ですね。

田中氏:
 だからね,そういうときにミキサーを味方に付けるといいってことを覚えたんですよ。クライアントから「もうちょっと派手にしてよ」って言われたら,「分かりました―」って,ミキサーが一回ボリュームを下げるんです。
 そうすると,「なんか違うなぁ」って言われるから,「じゃあ今度は,これで」ってボリュームを上げるんです。そうすると「あ,派手になったからOK」って。何も変わってないのにね。一回下げるのがコツなんですよ(笑)。

4Gamer:
 ひどい(笑)。

前山田氏:
 いやぁ,具体的で勉強になります!

4Gamer:
 でもそれ,最終的に一般のリスナーが納得するようなものを作っている自信があるからこそ,できる芸当ですよね。


若い人を大事に育てることは
自分を育てることでもある(田中氏)

田中氏:
 じゃあもう一つ,具体的なことを伝授しましょう。劇伴は,クライアントが最初から全員揃っているならば,一番最初にこれぞという決め曲を聴かせるといいんです。そうすれば,大体それでOKが出て,そのあとはスムーズにいきます。
 ……でも,たいていクライアントの中でも偉い人が遅れて来るんですよ。で,よりによってコミカルな曲を聴かせているときなんかにやって来て,「こんな曲か~」なんて言われるんです。本当にね,素人は怖いですよ(笑)。

前山田氏:
 あ,でもクライアントが音楽に関して素人だからこそ,そこに向けてトゥーマッチでお送りするぐらいじゃないと,一般のリスナーにも刺さらないということですよね。

田中氏:
 そういうことです。
 あとはね,あんまり謙虚になりすぎないほうがいいんです。前山田君は腰が低いけれど,クライアントは「本当にこの人に頼んで大丈夫かな?」という不安も抱えているんです。だから少しぐらい,大物ぶったほうが,かえって安心してもらえることもあるんですよ。

前山田氏:
 最近思うんですけど,プロとして仕事をしていく以上は,純然たるクリエイターであればいいということじゃなくて,同時にビジネスマンとしてのコミュニケーション術も必要なんですよね。

4Gamer:
 それも含めてのセルフプロデュースということですね。

田中氏:
 めちゃくちゃそのとおりです。
 僕はレコード会社に3年いたことで,営業も宣伝も全部知ってる。営業マンの売りやすいようなトークとかも,すぐに考えられるんです。で,よく編成会議とかで「これ売りやすいやろ」「通しやすいやろ」って。

前山田氏:
 同じぐらいの実力がある人が何人かいたら,結局はみんな,使いやすい人,付き合いやすい人を使いますもんね。

田中氏:
 そう。あとはね,若い人を大事にしたほうがいいですよ。年取った奴はすぐにいなくなりますから。同じ場所にプロデューサーやディレクターがいても,アシスタントを大事にしたほうがいい。
 飲みに行ったら,そういう人にビールを注いであげるんです。上のほうとは,普通に付き合っていればいいんです。

4Gamer:
 若手がそういう風に接してもらったら,「自分が偉くなったら絶対にこの人と仕事をしたい」みたいに思いますよね。

田中氏:
 そういうことです。長くやってるとね,「20年前はお世話になりました。今,監督です」みたいなことになってたりするし。
 まあ,具体的な処世術はもっともっとありますから,追々教えていきましょう。

前山田氏:
 僕自身,まだまだぺーぺーですけど,ちょっとだけ実績ができてきて,自分より年下の人と仕事をすることも増えてきたんで,今度はそういう人達を育てるということにも挑戦していかないといけないですね。

田中氏:
 そのとおり。言ってみれば育てゲーですから。そういう心持ちでいれば,自分も育てていけるんですよ。

前山田氏:
 つまり,下を育てるときに,自分でも学ぶことがあるということですか?

田中氏:
 絶対にそうですよ。自分の技術なんかも「誰にも教えない」みたいなこだわりは,どうでもいいんです。全部教えればいいんです。私なんか,譜面だって全部見せますよ。すべての秘密がココに詰まっています,どうぞ! って。

4Gamer:
 そこから何を学べるかはその人次第なんですよね。

田中氏:
 そう。それにね,譜面を見たからって同じもの書けないですから。そのまま書いたら,ただの盗作だし(笑)。
 だいたい私だって,ワグナーやベートーベンの譜面は,全部見させていただいているし,彼らが遺してくれなかったら,私はこういう仕事もできていないんです。

4Gamer:
 確かにそういえばそうですよね。

田中氏:
 最近だと,ジョン・ウィリアムズの譜面がちょっと残ってるぐらいで,あとは耳コピするしかなかったりでね。そんなの,細部まで全部は採れないですからね。でも別に,それをそのままコピーできるわけじゃないんだから,譜面は見せるべきだと思うんです。だからミュージカルも,もっと譜面を出版してほしいですね。

4Gamer:
 ミュージカルだと,せいぜい代表的な数曲のピアノ譜ぐらいですよね。あったとしても。

田中氏:
 そうそう。だから島 健さんがある時期,島田歌穂さんのミュージカルの音楽監督なんかをよくやっていたことがあって,理由を聞いたら「オリジナルスコアが見れるから」だって。羨ましいなぁって言ったら,「公平君もやってみたら?」って言われて,やりたいって即答したんだけど……まだその話は来ません(笑)。

4Gamer:
 残念ですね(笑)。

田中氏:
 まあ,そういうこともあって,誰かの弟子になって師匠の譜面を見るといいんですよ。うちの事務所の大谷 幸君は,「猿の惑星」の音楽を書いていたジェリー・ゴールドスミスの下に一時期ついていて,譜面も見せてもらっていたんですね。
 でもそれを見た大谷君は,「腹立ちますよ,あの人の譜面。ほとんど書いてないんです」って。音符を書いてないのにあれだけの音が鳴るということは,それだけ凄いオーケストラを使っているということでもあるんですよ。
 結局ね,オーケストレーションというのは,どれだけ間引くかだからね。五線紙が真っ黒になるぐらいまで楽譜を書いたからって,それだけ鳴るかっていうとそういうわけじゃないんです。

前山田氏:
 引き算をしないといけないんですよね。

田中氏:
 そう。だけど,マキシマムを書けないと,引き算もできないから,若いうちは死ぬほど書けと言ってるんです。手数がめちゃくちゃ多くなるほど書けと。それから少し経ったら,どんどん間引けるようになるから。詰め込めない人は,初めからダメですね。

大先輩の話を聞いて
大丈夫じゃないことを確信しました(前山田氏)

4Gamer:
 これは完全に個人的な興味からなんですが,田中さんはオーケストラ用にもブラス用にも曲を書きますよね。オーケストラとブラスは,楽器の種類も数も違いますし,音色だって違います。何に気を配って書き分けているんでしょうか。

田中氏:
 私の場合,普通の人とは違うところが一つあるんです。それは,完成形が初めから分かっていて,それに向かって書いているということ。
 画家だとピカソが,作家だと松本清張さんがそういうタイプだったらしいんです。まあ,私は曲って絵だと思っていますから。

前山田氏:
 なるほど。そうなんですね……。

田中氏:
 そう。だから書き始めた段階で,譜面としても見えるんです。オーケストラの譜面として。絵として。形として。

4Gamer:
 そのときどきで描こうとしている絵が違うから,オーケストラであれブラスであれ,きちんと書き分けられるということですね。

田中氏:
 どっちかしかできない人もいますけど,それはその人の能力だからしょうがないんです。勉強量が問題なのかもしれないし,好き嫌いということかもしれない。あと,それぞれがより専門的になっているという問題もあるかもしれません。
 とはいえ,やっぱり何でも書けたほうがいいし,打ち込みにも対応できたほうがいい,アカペラの曲も書けたほうがいいし,って思うんですよ。足りないものがあるんだったら,勉強したほうがいいでしょう。
 ……という話をいつもみんなにしていると,浜口みたいに本当に留学しちゃう奴も出てきてね(笑)。

前山田氏:
 僕も3年後に行きますよ!

田中氏:
 そのほうがいいんですよ。だって人生って長いですからね。前山田君だって80~90歳まで生きる可能性だってあるわけですよ。
 普通のサラリーマンだったら60~65歳で定年になって,年金をもらうけど,あなた達の世代には年金なんてないかもしれないわけだから,ずっと現役でいたほうがいいですよね。そのための下地作りは,今のうちにやっておかないと。
 それでね,前山田君にはプロの作曲家,プロの作詞家,プロの編曲家になってほしい。さっきも言ったように,シンガーソングライターの登場以降,影が薄くなっているけれど,ちゃんとしたジャンルだから,それをなくしたらダメなんです。

前山田氏:
 うわー,今日,頑張ろうと思いました,僕。

田中氏:
 それは良かった(笑)。

前山田氏:
 最近,忙しさにかまけてインプットが足りてないんですけど。

田中氏:
 分かる分かる。そういう時期には,いっぱいいろんな話が来るからね。

前山田氏:
 でもやがて自分が空っぽになって,「バイバイ」って言われると思っていて……。でもそういう相談をするとみんな,「大丈夫だよ,前山田さんなら」って言うんですよ。

田中氏:
 今は大丈夫だよね。でも何年か経ってから大丈夫かどうかなんて,その人が保証してくれるわけじゃないし。

前山田氏:
 今日,大先輩の話を聞いて,大丈夫じゃないことを確信しました。

田中氏:
 うん。大丈夫じゃないですよ。私だって大丈夫じゃない。さすがに暮らしていくだけなら問題ないですけどね。もうちゃんと稼いできたし,印税もあるから。
 でも,お金じゃないんですよ。お金があって暇がもの凄くあるっていうのが,一番アホですね。逆に,お金がなくて暇があるぐらいのほうが,働こうとするもん。

前山田氏:
 やばいと思うから,ハングリーにならざるをえないですし。


とにかく曲を書きたい
今でもめちゃくちゃ書きたい(田中氏)

前山田氏:
 ところで田中さんは,どうしてそこまで音楽にのめり込むことができたんですか? 音楽への愛情が人一倍強かったということなんでしょうか。

田中氏:
 とにかく曲を書きたかったんですね。今でもめちゃくちゃ書きたいですから。とにかくそれだけなんですよ。

前山田氏:
 おお,なるほど。それは僕も分かります。

田中氏:
 私なんかの場合,仕事を断ることはほとんどないですからね。本当にスケジュール的にどうしようもないときぐらいで。

4Gamer:
 凄く細かい仕事であっても?

田中氏:
 断らないですね。
 例えば最近も,とある中学校の吹奏楽部の先生から,トップをねらえ! のエンディングテーマを,自分の生徒達のために編曲してもいいですか? というメールが届いたんですよ。この春でその学校を離れることになったんだけど,最後に自分の育ててきた吹奏楽部に,自分の好きな曲を演奏させたいんです。って。それを見て10日ぐらいで編曲して送ってあげました。

前山田氏:
 え,田中さん自らですか?

田中氏:
 もちろん。

4Gamer:
 その中学の先生もたまげますよね。

田中氏:
 椅子からずり落ちたって言ってましたよ。
 でもこれをやったのは,やっぱり子供達のためというのがあります。自分の曲を演奏する子供達に,その曲の良さを伝えたいんですよ。トップをねらえ!なんて世代的には絶対に知らないような子供達が,その曲を演奏して感動してくれたら嬉しいですしね。
 だからギャラも受け取ってないんですが,その代わり,譜面は返してもらうことにしました。あとで出版するからと。

4Gamer:
 それ,吹奏楽関係者にとっても嬉しい話ですよ。あの曲のブラス版スコアが出版されるとなったら(笑)。

前山田氏:
 でもそんな,ご自分で編曲するなんて……。凄いです。気持ちはあっても,なかなかできないですよ。心の余裕ですね。

田中氏:
 いや,余裕じゃなくて,とにかく曲を書きたいんですよ。今度なんて,うちの息子の野球部のファンファーレまで作ることになってますから。

前山田氏:
 そんなこともやるんですね(笑)。

田中氏:
 やるやる。分かりましたー! って。

前山田氏:
 曲を書きたくないと思ったことはないんですか?

田中氏:
 ないですね。

前山田氏:
 生まれてこの方?

田中氏:
 そりゃ,しんどいと思うことはありますよ。でも,だいたい夜寝て,朝6時に起きたらいつもリセットされるから,また新鮮な気持ちで曲を書けるんです。

前山田氏:
 あ,朝型なんですね。僕も同じです。夜は曲を書けないんですよ。

田中氏:
 私の場合は夜になったらお酒を飲むので,遅くとも19時には仕事を終わらせないとダメなんです。それに飲んでから書いたって,ろくなものはできないですからね。

4Gamer:
 酔っ払って書いたラブレターはたいていひどいっていうのと同じですかね。

田中氏:
 そりゃそうでしょ(笑)。
 前山田君は,曲を書くのがいやになったりするんですか?

前山田氏:
 基本的にはならないんですけどね,僕も。なんせ,曲を書いているときが一番楽しいんですよ。
 だから仕事としてお金をもらっているのに,こんなに楽しいことをさせてもらっていていいのかな? って思うことはあります。


声優という分野では
世界的に見ても日本人が一番うまい(田中氏)

4Gamer:
 凄く興味深いお話ばかりなんですが,ゲームのお話も聞かせてください。ずばり,田中さんはどんなゲームがお好きなんですか?

田中氏:
 けっこういろいろやりますよ。「バイオハザード」シリーズだと4が好きでしたし,「ファイナルファンタジー」シリーズだとXが好きでしたし。
 最近だと,「ゼルダの伝説 スカイウォードソード」が良かったですね。説明的じゃないし,面倒臭かったりもするんですけど。

前山田氏:
 今の時代には珍しいタイプのゲームですね。

田中氏:
 そう。一度ボスに負けたら,だいぶ前からやり直しで,ハートも減っているし回復薬も使い切っているから,またそれを買うために街まで戻らなきゃいけなかったりして。

4Gamer:
 ここのところのゼルダシリーズは,総プレイ時間の多くを移動時間が占める傾向がありますよね。

田中氏:
 スカイウォードソードでは幽霊船なんかもたいへんでしたねぇ。透明の船に大砲を2発当てないと姿が見えないから,レーダーだけを頼りに大砲を撃つんですけど,とにかく当たらないというね。

4Gamer:
 さすがゼルダですよねぇ。

前山田氏:
 僕はそういう風に,プレイヤーを甘やかさないゲームが好きなんですよ。ちょっと不親切なぐらいのほうが,それをクリアできたときの達成感って大きいんですよね。

4Gamer:
 ああでもない,こうでもないと,いろいろ工夫させられる分,喜びも大きくなるという側面は,間違いなくありますよね。行き過ぎるとしんどくなっちゃうんですけど。
 最近だと,インタフェースに関してはユーザーフレンドリーでありながら,複雑なシステムを採用している作品も少なくありません。

田中氏:
 でも,「ドラゴンクエスト」シリーズの転職なんかは,最初が一番面白かったですよ。二次転職なんかが出てくると,もう面倒で(笑)。あそびにんが賢者になれるのなんかが良くて。

前山田氏:
 あそびにんが賢者になるって,妙に哲学的ですよね。

4Gamer:
 ジョージ秋山の「浮浪雲」みたいな感じで。

田中氏:
 そうそう。やっぱりね,堀井雄二さんの発想は凄いんですよ。

4Gamer:
 前山田さんは最近,どんなゲームで遊びました?

前山田氏:
 「アンチャーテッド -砂漠に眠るアトランティス-」はやりましたね。あれの吹き替えの質感が好きです。言い回しなんかも,昔ながらの洋画の吹き替えみたいな感じで。

4Gamer:
 出演声優も外国映画系の方が多くて。

田中氏:
 あのあたりは手練れ揃いですからね。声優という分野では,世界的に見ても日本人が一番うまいんですけど,その中でもうまい人達が吹き替えをやってますから。

前山田氏:
 僕は声優さんと仕事をする機会も多いですけど,ああいう吹き替え文化みたいなものはなくしてほしくないと思うんですよね。
 今,アイドル的なポジションにいる方の中にも,いずれは映画の吹き替えをやりたいと言っている方も多いですし。

田中氏:
 実力があればそっちにも行けるんですけどね。
 まあ最近の若い声優さん達は,ある意味ではかわいそうなんですよ。ぽっと出の新人さんがラジオの番組を持たせてもらったり,あっという間に武道館でライブをやったりしてね。でもそれは,実力があるからじゃないんです。ファンがついているからできることだし,商売としては間違っていないんですが,祭り上げられる声優さん達にとってはいいことじゃないですからね。
 一時期騒がれるだけ騒がれて,人気がなくなったらすぐに捨てられますから。そのあとのフォローなんかは,普通の芸能プロダクションのほうがちゃんとしてるかもしれないです。

前山田氏:
 アイドル……もそうですよね。中学校に入ったばっかりぐらいの年齢で大人気になった人達が,その後どうなるかというと……何だか悲しいものがありますし。

4Gamer:
 プロ野球の世界も近いものがありますよね。甲子園で注目されてプロに入ったはいいが,プロとして結果を残せず……というケースもそうでしょう。

田中氏:
 たとえドラフト1位で入団したとしても,そのときの契約金やら年俸やらがピークだったりすると悲しいですね。それでプロ野球に見切りをつけてほかの仕事をしようとなっても,人生を野球だけに賭けてしまっていると,なかなか次にうまく進めなくて。

前山田氏:
 サッカー選手もそうらしいですね。

田中氏:
 今はサッカーのほうがひどい。

前山田氏:
 選手生命は短いし……。

田中氏:
 年俸だってサラリーマンの年収くらい,それで体を壊して20代で引退なんてね。
 ……まあ作曲家も似たようなもんですから。

前山田氏:
 まったく同じですね。

田中氏:
 曲が売れなくなったら,何をすればいいんだ? っていう話ですよ。

「田中公平」という名前がブランド化すれば
名前が勝手に仕事をとってきてくれる(田中氏)

4Gamer:
 結局のところ,若いうちにピークを迎えるより,若いうちは苦労をしていろいろなものを身につけて,ある程度の年齢でピークを迎えられるように準備しておいたほうがいい,ということでしょうか。

田中氏:
 そうです。だから後半型の人生のほうが幸せなんですよ。
 若いうちは,人に頭を下げるのも平気なんです。「よろしくお願いします!」って気軽にできるでしょう。でも50代になって,30代のクライアントなんかを相手に,這いつくばるようにしながら「よろしくお願いします」なんてやることになったら,自分も相手もつらいでしょう。
 だから,50代になったときには若いクライアントから「この人と一緒に仕事をしたい」と思われるようになっておかないとまずいんです。

4Gamer:
 田中さんは,これまでのお話を聞く限り,まさにそのとおりになっていますよね。

前山田氏:
 ですね。田中さんみたいになるための秘訣みたいなものはありますか?

田中氏:
 秘訣ってわけじゃないけど,私が一番最初に考えたのは,「『田中公平』のブランド化」なんですよ。名前がブランド化すれば,名前が勝手に仕事をとってきてくれるようになりますし,幻想も生まれますからね。

4Gamer:
 幻想……?

田中氏:
 「音楽・田中公平」とクレジットされることで,受け手がそれだけで何か凄いもののように感じてくれたり,クライアントが売り上げに+何万本かの勢いがつくと思ってくれたり,そういうことです。

4Gamer:
 ああ,なるほど。確かにそういうブランドってありますよね。安心感に直結しているというか。
 とはいえ,そうやってブランド化していくためには,それなりの年月が必要ですよね。一つ一つの積み重ねがないことには。

田中氏:
 まあ数年では無理でしょうね。それにブランド化の仕方も人によっていろいろありますしね。それぞれ合うやり方も合わないやり方もあるんです。ただ,私の場合はうまいこといきました。

4Gamer:
 例えば先ほどおっしゃっていたように,人がいないからアニメの音楽をやろうとか,ほかの人達がシンセミュージックに走るならアコースティックにいこう,みたいなものが生きたわけですよね。

田中氏:
 その一つ一つを,ブランド化のためにやってきたわけですよ。
 だから最近でも,GRAVITY DAZEの音楽を田中公平が手がけましたとなると,それだけで期待してくれる人がいるわけじゃないですか。

4Gamer:
 そして実際にゲームに触れてみると,やっぱり「田中公平すげえ!」みたいに思いますし。

前山田氏:
 でも僕は今,それが逆……というか,半々なんですよね。「あのヒャダインが!」と思ってくれる人もいれば,「ちっ,ヒャダインかよ」みたいな人もいて。

田中氏:
 若いうちはね,賛否両論あったほうがいいんですよ。今,みんなが持ち上げてくれていたら,落っこちる日だって近くなりますからね。

前山田氏:
 ああ,確かに。

田中氏:
 それに「ヒャダインかよ!」と言われるってことは,その人はヒャダインを知っているということなんですよ。悪口を言ってくれる人は,なんだかんだでちゃんと聴いてくれてますからね。それをありがたいと思ったほうがいいんです。

4Gamer:
 関心がまったくなかったら,悪口すら出ませんし。

田中氏:
 そう。だから私は「アンチを育てろ」ということも,若い人達にはよく言うんです。ヒットする作品はたいてい,最初のうちは支持者とアンチが半分ずつぐらいいるんですよ。その比率が7:3ぐらいになったときに,大ヒットするんです。「新世紀エヴァンゲリオン」も,そうでしたからね。
 それに,私がウィーゴー!を作るときも,アンチを増やそうと思ったんです。

4Gamer:
 狙って,ですか?

田中氏:
 すっごい狙いました。「幼稚だ」とか「歌いにくい」とかいろいろ言われましたけど,全部思った通りの反応でしたね。

4Gamer:
 でもそれって,絶大の自信がないとできないことですよね? 誰だって叩かれたら落ち込むモノじゃないですか。

前山田氏:
 そうですよ!

田中氏:
 いや,叩かれるのって面白いですよ。たまに,なるほどなって思うこともありますし,ただ凄い凄い言われているほうが怖いですから(笑)。

前山田氏&4Gamer:
 つ,つええ!


「GRAVITY DAZE」では
「誰だこれ?」というような曲も書いた(田中氏)

4Gamer:
 何だかお話が尽きる気配がまったくないんですが,そろそろ時間もおしてきちゃいましたね。そこでお二人の近作のお話を聞かせていただきます。

田中氏:
 金策? あ,どうすんのマンション。

前山田氏:
 そこなんですよね。こういう仕事をしていると,銀行がなかなかお金を貸してくれないんですよねぇ。でもなんとかしたいなって。

4Gamer:
 ええと,近々発表される作品のお話を……。

田中氏:
 あ,そっちは,アニメ「氷菓」の音楽をやりました。
 ここでも発注されてない曲を作ったりしたんで,それがどこで使われているのか,楽しみにしていてください。

4Gamer:
 ありがとうございます! ……って,ゲーム情報サイトである4Gamerとしては,GRAVITY DAZEの音楽について,もう少しお聞きしたいんですが……。

田中氏:
 だいたい公式サイトで喋っちゃいましたからねぇ。

4Gamer:
 ですよねぇ。

田中氏:
 まあ,GRAVITY DAZEでは,一曲,自分でも凄く出来がいいと思えるものが作れたんです。でも,先方からは「このシーンのイメージとは違う」というリテイクが入ったんですね。確かに話を聞くと,そのイメージとはちょっと違ったから,そのときは「じゃあこのシーンのための曲は作ります。だから,こっちの曲もどこかで採用してください」という交渉をしました。

4Gamer:
 GRAVITY DAZEを遊びつつ,それがどの曲のことなのかを想像するのも楽しそうですね。

田中氏:
 そうやって探してみてほしいですね。だから,ぜひ買ってください。日本国内だけでなく,世界中でも構わないのである程度売れれば,また続編の話もでるでしょうから。

4Gamer:
 それはやはり,やり甲斐のあるお仕事だったということでしょうか。

田中氏:
 そうですね。GRAVITY DAZEに関しては,先方から昭和のアニメみたいなものを踏襲してほしいと言われたんです。そこは外さずに,まったく新しい世界観を構築しようと思いました。なので先方がメインだと思っている部分……オープニング,ザコバトル,街の曲については,先方が思っているようなものの中で,一番格好いいものを書いています。
 でもそれだけじゃなくて,変わった変な曲もたくさん書いて遊んでいるんです。なので最初は「田中公平の格好いいのが来た!」と感じてもらえると思うんですが,そのうちにどんどん気持ち悪く変な感じになっていって,「誰こいつ?」みたいになるでしょう。そこら辺も楽しんでほしいですね。

前山田氏:
 いっさい,守りに入らないんですねぇ。

田中氏:
 アンビエント系の曲を書いて,譜面を同じ事務所の井内啓二君という若い奴に送ったら,「何ですかこれは」って言われましたよ。「僕らが田中さんに勝とうと思ったら,こういうことしかないのに,なんでこっちまでやっちゃうんですか」って(笑)。

前山田氏:
 「おらが畑を荒らすな」って(笑)。

田中氏:
 すんまへーんって。
 まあ,そんな感じなので,GRAVITY DAZEはメインじゃない,端々の曲が面白いと思ってます。

「GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動」


日本のアイドルという文化を
世界に知らしめたい(前山田氏)

4Gamer:
 前山田さんはいかがでしょう?

前山田氏:
 スクウェア・エニックスから配信される「拡散性ミリオンアーサー」(iOS / Android)で,音楽と主題歌を担当しました。主題歌は,ちょうちょという新人さんに歌ってもらっているんですが,それの英語バージョンは僕が歌ってます。

田中氏:
 なんで英語バージョンだけ歌うの?

前山田氏:
 世界対応のゲームなので,英語の歌もほしかったんです。なのでそちらは,アレンジャーも変えて,もの凄いアメリカンハードロックな感じにしています。
 プロデュースワークとしては,ももいろクローバーZの「猛烈宇宙交響曲・第七楽章『無限の愛』」という曲を作りました。ギターをマーティ・フリードマンさんにお願いして,シンフォニック・プログレ・メタルな曲に仕上げています。

4Gamer:
 「ロマンシング サ・ガ」的な。

前山田氏:
 ええ。かなり伊藤賢治さんの影響が出ている曲ですね(関連記事)。

田中氏:
 なるほど,イトケンか。

前山田氏:
 そうなんです。僕はイトケンさんの曲をかなり聴いて育ってきたので,イトケンイズムです。

4Gamer:
 さらに最近ではテレビにも?

前山田氏:
 ありがとうございます(笑)。東京ではテレビ朝日で,毎週月曜の深夜に「musicる TV」という音楽番組のMCをやらせていただいています。ミュージシャンをゲストに招いて,お話を聞くという。

田中氏:
 ゲストがいなくなったら呼んでください。

前山田氏:
 ぜひ!
 あと4月からはNHKワンセグで「ワンセグ☆ふぁんみ」という,毎週土曜日に放送する番組でも南波志帆さんと一緒に司会をやることになっています。

4Gamer:
 なんだか本当に大活躍ですねぇ……。

前山田氏:
 いろんなお話をいただけて凄く嬉しいんですけど,すぐに飽きられてぽいっと捨てられるんだろうなぁって不安もあったんです。でも,この3年間は出来ることをとにかく頑張って,3年後あたりは袋の中身を詰めるために,バークリーに行きます!

田中氏:
 まあバークリー行かなくても,方法はいっぱいあるから(笑)。

前山田氏:
 いえ,いきなりすっと消えたいと思います。

4Gamer:
 そしてバッと戻って来る,と。

前山田氏:
 ええ。違う形で。

田中氏:
 それなら,あんまり宣言もせずに,「ヒャダイン最近見ないねー」みたいに言われるような形がいいですよ。それで,本当にやりたい仕事だけ,バークリーに通いながらでもやればいいんです。

前山田氏:
 ですね。ありがとうございます。

田中氏:
 じゃあそれまでにも,何かこれを成し遂げようみたいな目標を持ったほうがいいですよ。

前山田氏:
 当座の目標としては,日本のアイドルという文化を……世界に知らしめたいという気持ちが自分の中にありますので。とくに,ももいろクローバーZとでんぱ組.incを。
 ももいろクローバーZは最近,知っている人も増えてきてました。でんぱ組.incはのほう本当に秋葉原のオタクに特化したアイドルなんですけど,それがかえって海外の日本のオタク文化に興味を持っている人には伝わりやすいんじゃないかと思っていて。

田中氏:
 きゃりーぱみゅぱみゅみたいなもん?

4Gamer:
 語弊はありますが,きゃりーぱみゅぱみゅがA面で,でんぱ組.incがB面みたいな感じはありますよね。山手線を東西で分けると,原宿と秋葉原ってだいたい対になる位置ですし。

田中氏:
 じゃあ,中田ヤスタカ君が原宿組で,前山田君が秋葉原組か。

前山田氏:
 同じ1980年生まれなのに,この違いですよ!

4Gamer:
 えー……ではひとまず,こんな感じで。
 お二人とも長時間ありがとうございました。


 読んでお気づきのとおり,ゲーム情報サイト4Gamerのインタビューにも関わらず,ゲームの話題はほとんどなく,田中氏が前山田氏にいろいろなことを教えていく様子を切り取ったような記事になっている。
 ただ,田中氏が前山田氏に語ったことは,前山田氏個人だけに向けられているものではなく,ジャンルを問わずものを作ろうと努力している人達,学ぼうとしている人達にも,ほぼそのまま当てはまる言葉のような気がする。
 そう判断したうえで,対談時の交わされた会話のほぼすべてを,ここに再現した次第だ。ここから何かを感じていただけると幸いだ。

4Gamer.net ― 田中公平氏とヒャダインこと前山田健一氏の対談が実現。前山田氏が「このままじゃ大丈夫じゃないことが分かりました」と語った訳は……?
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